バーナデット ママは行方不明のレビュー・感想・評価
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何だって出来る!家族の愛の物語
何度でもやり直す事は出来ると教えてくれて、元気をもらえるとても素敵で面白い作品でした。かつては天才建築家として脚光を浴びたバーナデットが、やっぱり創造の仕事がしたいと、新しい南極基地の設計を目指してからの行動力が痛快。そして親友のような娘のビーのママを思う気持ちが温かくて可愛かったです。やはり人は自分のやりたいをやって生きて行くのが一番大切。あきらめないで続ける事の大切さを教えてもらいました。
ケイト・ブランシェットはこれまでキャロルしか見た事がありませんでしたが、この作品を見て、改めて素敵な女優さんだと思いました。
ケイト◦ブランシェット、(演技の)極地点はあなたです
天才建築家である妻、Microsoftに自分の開発したソフトごと高額で招かれた開発者(エンジニア?)の夫。
どう考えても自分とは縁のない、とびっきりの才能に恵まれた人たちの話なのに、〝あ、そこ分かる〜〟〝ふむふむ、私の感じてた違和感もそういうことだったのかも〟となんだか腑に落ちるようなシーンに出会えます。
実社会において、みんなそうだから、で済まされていることに何かと違和感を覚えることの多い人、だけどすぐには論理的な反論が浮かばなくて、渋々ながら状況打破ができない人。
いつの間にか、誰かの決めつけや、そういうことにしてしまったほうが周りの人たちが楽。論理的に説明できない自分のいら立ちに対して、良き理解者然として救いの手を差し伸べてくれる人たちがたまらなく嫌。
そんな〝善意〟の人たちに囲まれて息苦しくてたまらない。だから一人でいる方が楽。
そういう方にとってバーナデットは、かつて見た自分、或いは今まさにその中にいる自分、の生き写しのように感じられるのです。
あの立て看板程度の〝毒〟は誰でも持ってるし、吐き出し方がわからないだけ。バーナデットはそんな〝ワタシ〟や〝アナタ〟のために代行してくれるのです。
この映画を観た後、会社や学校で、なんだかイラつくなという時は、トイレや屋上でそっとつぶやいてください。
あー、わたしも南極行きたい❗️
少しはスッキリするかもしれません。
南極での行動が現実離れし過ぎていることもあって、「再生の物語」が心に響かない
主人公のバーナデットは、現状に適合できず、ストレスを溜め込んでいるはずなのに、そのように見えないのは、どうしたことだろう。
むしろ、(少々古いが)豪邸に住み、夫は大企業に勤め、娘は一流の学校に通っている彼女は、人も羨むような生活を送っているように見えて、お隣のママ友とのトラブルはあるものの、決して「鬱」とか「適応障害」とかの心の病にかかっているとは思えないのである。
やがて、新進気鋭の建築家だったバーナデットの過去が明らかになるが、彼女が挫折した経緯にそれほど大きなインパクトはなく、何で仕事を投げ出してしまったのかも納得できない。
そもそも、社会で華々しく活躍していた女性が、仕事を辞めて家庭に入ったことで、精神のバランスを崩すという図式は、少々類型的で、短絡的すぎるのではないか?
いずれにしても、彼女の満たされない現状がなかなか実感できないため、やりたいことをやって自分を取り戻すという彼女の「再生の物語」も、あまり心に響いて来ないのである。
バーナデットが南極に向かう経緯にしても、夫と娘に合流しようとしたからなのに、2人を探そうともせず、観測隊に潜り込んでしまうという展開には、違和感を感じざるを得ない。
そもそも、観光船にしてみれば、乗客がいなくなったら、スケジュールを変更してでも徹底的に捜索するはずで、これほど身勝手で迷惑な行為はないだろう。
当然、近くの観測基地にも問い合わせるだろうから、その時点で、すぐさま所在が判明して、船に連れ戻されることは間違いないし、ましてや、そのまま基地に居座って、南極点にまで行ってしまうことなど絶対にあり得ないだろう。
仮に、彼女が、南極点の基地を設計し、建設するにしても、現実的な手続きや手順を踏まえたものでなければ、それは、「絵空事」にしか見えないし、ラストで出てくる(恐らく)本物の施設の映像に、どこか唐突感を覚えるのも、そうした現実離れした展開のせいに違いない。
それから、母と娘の親友同士のような関係も、「寄宿舎」と「私立の進学校」の違いがよく分からず、実感しづらかったのは残念だった。
20年たってしまったが、バーナデットが新たな1歩を踏み出し、エルジーが気が付いたということで、取りあえずヨシとするか。
ぶっちゃけて言うとバーナデットは退屈していた。天才とまで言われた才能を埋もれさせ家庭にいるだけの暮らし、生活、人生が退屈でつまらない。息苦しさや、窮屈さも感じてたかもしれない。
バーナデット自身がそれらを感じ、自覚していたかは分からないが、パートナーのエルジーが全く気付かずにいたことだけは間違いない。バーナデットを家庭に閉じ込め才能と創造性を発揮できなくしてしまったことが、彼女の心を乱してしまったとは思っていない。
映画は2つの会話、つまりバーナデットが久しぶりに会った知人とした会話、エルジーとカウンセラーとがした会話を交互に対比して見せることで、エルジーが全く分かってないことを観客に分かりやすく示してくれている。
バーナデットの知人とカウンセラーは真逆の結論を出す。
バーナデットと話した知人は、君はやはり建築家の世界へ戻るべきだ、外の世界へ飛び出すべきだと言う。
一方、エルジーと話したカウンセラーは、バーナデットを家庭から更に閉じ込め入院するように言う。
僕は終盤にバーナデットが南極へ向かい、そこで再出発を決意し家族が祝福する迄の一連の流れより、2人の会話の対比のこの場面のほうが印象に残った。
もっと早く話し合ってこうなってたほうが良かったと思うが、話し合わなかったのは2人の意識の差が原因かもしれない。
あくまでも僕の周りの少数からの伝聞だが、いま具体的に結婚を考えてなくても、いつかは結婚をしようと考える大体のの女性が、出産を機に仕事を辞めるか続けるかという選択を1度は考えるらしい。具体的に考えなくても頭に浮かぶぐらいはするらしい。中学、高校生ぐらいで考えることもあるかもしれない。
対してほぼすべての男性が、パートナーの出産を機に辞めるという選択肢を考えない。辞めるということが思いもよらないというべきか。
相手のパートナーに「仕事はどうする?」とか、「どちらでもイイ」とか、「辞めてほしい」とか言うが、自分が辞めるという選択肢は全く考えない。小さい頃から見聞きしないので全く考えないのだろうか?。 昭和の頃は選択肢はゼロ、今でもほぼゼロだろう。裏付けるデータは調べていないから推測。
イロイロ聞くと、女性のほうが子供の頃から選択したり気をつけないといけないということが多い。だからパートナーだからこそ話し合ったた方がイイのだが、コミュニケーションをパートナーと多くとっていると思える欧米でもこういう現状なのだなあと思う。僕の知ってる欧米はTVドラマや映画のみの情報だが。
あと原題Where'd You Go, Bernadetteが何でこんなコメディタッチな邦題になるんだ?内容と少しずれてないか?と最初思った。
だけど、僕のように「邦題なんか何だろうがケイト・ブランシェット主演なら見に行く」という人は見に行くし、そうでない人用にはコメディっぽい題名にしといたほうが観客数が多くなるような気がする。
・・・というような事ではなかろうか。
ケイト・ブランシェットは凄い俳優さんだ!
「ター」でのケイトさんしか知らなかったので、改めて、どんな役でもできる人なんだなあと感心。
個人的にシンディ・ローパーがかかった時点でやられました。ケニアの音楽(ジャンボブアナ?(こんにちはおじさん?))もよかった。
でも、南極であんな勝手なことしてたら死んでしまうよなあ。
アニメですが「宇宙より遠い場所」もとてもいい作品なので、この作品で南極に興味を持った人はぜひ!
南極
ハイテンション鬱
「天才建築家」も、鬱でハイテンションの「主婦」も、ママを一筋に信じる「娘」も、IT長者の「夫・父」も単純で表面的な人物造型で説得力がなかった。バーナデットがどういう建築家で今に至ったかの経緯も、検索したり誰かが作った動画でわかるレベルで説明おしまい!にしてたのはがっかりした。
彼女を「天才」建築家にする必要は果たしてあったのか?「優秀な」で十分だと思った。そういう人で色々な理由で仕事の一線から退いた女性は沢山いたし今もいるだろう。それとも人嫌いとかママ友との付き合いが苦手なのは「天才」を理由にするときれいにまとまると考えたのだろうか?
鬱の初期に怒りっぽくなることはあると思うので他人に対するアグレッシブさはよくわかった。でも理不尽な対応であってもバーナデットは行動力あるし、家事ができず家の中がカオス状態であっても、自分の外見はきちんとできているのはちぐはぐだった。
仕事がしたい自分に向き合い本心を認めるのに20年かかるのか・・・?現場から20年離れてすぐ戻れる程、現場は変化していないのか・・・?疑問が溢れ出る映画だった。
ママだって自分の人生を生きたい
体の構造上、女性がママになるしかないけど、多くの人はママから仕事人に戻ることが心身共に難しくなる。
一卵性母娘って言葉がぴったりの母娘。
どこのママもそうだと思うけど、ママになれたのはとても幸せだし、子どもも可愛くてたまらないけどママ業が好きかと言われたら決してそうじゃない。どうしたって自分が後回しになってしまうから。
彼女はバリバリのキャリアウーマンだったけど、色んな問題から自分が子育てに没頭している中、旦那さんがガッツリ稼いでくれたら、敵の居ない安全な家の中にいるうちに守りに入ってしまったのかもしれない。
結果、彼女が自分を取り戻すために足りなかったのは休息じゃなくて、自分らしく生きる為に創造すること、つまり大好きな仕事に戻ること!
作りたい、と思ってからの行動力が凄かった。もうやるって決めたら絶対にやる人なのがよくわかったわ笑。
そして娘ちゃんのママへの想いが胸に刺さる。
一番近くにいて愛情を注いだ人が自分を理解してくれているというのは、何よりもの幸せだと思うな。
子育てに集中しすぎて外に目を向ける余裕がないママ世代に是非観て欲しい、絶対まだ輝けるチャンスがあると希望がわく!
沢山笑って沢山うるっときた、とても良い作品だった。
こじらせ主婦がアイデンティティを取り戻すまで
個人的にリチャード・リンクレイター作品に好きなものがない…というか、観たいと思わせる“引っかかり”がどうしても生まれてこなかった。そんな自分が本作を観たいと思ったのは、ケイト・ブランシェット主演作だったから。『TAR/ター』で高慢なカリスマ音楽家を演じた彼女が、こちらでは普通の主婦役というのに“引っかかり”を感じたため(製作はこちらの方が先)。いざ観たら、普通どころか結構こじらせた性格の主婦だったので、やっぱりブランシェットらしい作品選びだった。
主婦=バーナデットが何故こじらせたのかを辿っていくのが主なストーリーだが、その理由は誰しも起こり得る事。「社会の厄介者」から脱却するには、喪失したアイデンティティを取り戻す事しかない。
ストーリー自体は原作に概ね沿っているが、細かい点での脚色も。原作では夫エルジーが不倫してしまう件を止めて妻に寄り添う善き夫に変えたり(エルジー役のビリー・クラダップの好演が光る)、バーナデットの生き方を示唆する曲として用いていたザ・ビートルズの『アビィロード』を、映画ではシンディ・ローパーの『タイム・アフター・タイム』にしたのも、作品のテーマをより分かりやすくしていると思う。このあたりは劇伴チョイスに定評のあるリンクレイターらしい。
「人生が面白いかは自分次第」と早く学んだ方が楽しく暮らせる――とどのつまり、リンクレイター作品では一番好みとなったけど、一つ苦言。といっても作品自体ではなく上映形態の事情だが、バーナデットが心のバランスを崩す出来事などの細かい描写が、字幕版だと文字数制限で伝わりにくくなってしまっている。原作で補完できたとはいえ(ただ原作自体も独特の書式になっていてこれはこれで読み辛くもある)、このあたりは残念。吹き替え版とかでそれが解消されてほしいもの。
ケイト様の演技に釘付け
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