風をつかまえた少年のレビュー・感想・評価
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向学心と努力
農耕の歴史は自然災害との闘いの歴史でもある、飢饉にまつわる悲劇は日本史でも幾度も語られてきた・・。貧困の救済は資金や物資だけでは一過性である、教育、技術習得こそが産業の礎となり自律的且つ持続的発展に繋がるのだろう。
映画は主人公のウィリアム・カムクワンバ14歳の頃を描いた自伝に基づいた実話のようだ。
物語の大半が苦しい飢餓生活の描写だから気が滅入る、母が「食べるものが無くなったら私の腕を食べさせても子供は守る・・」というセリフがあったが口減らしの悲劇を本当に描いたらこんなものでは済まされなかったろう、脚色に助けられた気もする・・。
それでもマラウイは他のアフリカ諸国のような内戦が無かっただけましかもしれない・・。
驚くのは19世紀でなく21世紀初頭のアフリカという点だ、未だに村には電気も無く人力で荒れ地を耕し糧といえばトウモロコシに頼る生活は飽食の時代と言われて久しい日本では俄かに信じがたいアフリカの実情だろう。
技術的な話の深堀りは一般受けが悪いと思ったのでしょう、話は自転車を巡って父親との対立と理解の成り行きに焦点がおかれていました、やはり賢母の存在は大きいですね。
この物語のミソはオランダのような風車による灌漑ではなく廃車置き場の電気部品から風力発電にたどり着いたところでしょう、廃車があるなら車のオルタネーターを使った方が充電にはフィットしますが風車が大きくなりますね、知識も無かったのでしょう。ランプを点けるだけなら自転車の交流のダイナモでも良いがバッテリーを充電するとなると倍電圧整流など電気回路の知識が不可欠、その辺は図書室で独学とされている、義理の兄さんは理科教師ならもう少し力になってくれても良いのにと口惜しいですが映画は事実なのでしょうか、いずれにしてもウィリアムは凄い向学心を持った少年であることはまぎれないでしょう。
エンドロールのその後の紹介では努力が報われたようで何よりです。現地には日本大使館もあるようですから支援は行われているのでしょう、風力発電のノウハウをもつ清水建設さんなど日本にもできることは有りそうですね。
清く正しい物語
貧しい国。電気が届かない村。干ばつ、飢饉。考えるのは次の選挙のことだけで、有権者の批判には暴力で答える政治家。形だけの民主主義。
日本で暮らす我々には想像しにくいそうした環境で、学費を払えずに学校を退学になった少年が、本を読んで学び、独学で風力発電設備を作り上げた。
そしてその電気でポンプを動かし、井戸水を畑に流す。これで飢饉を恐れる必要はない。清く正しい物語。
アフリカの大地に沈む夕日が美しく記憶に残った。
アフリカの夕日とサハラ砂漠の赤い砂はいつか本物を見てみたいんだよな。
間違いなく★5の映画!
いい話系の映画は退屈で寝てしまいそうになるシーンも多いのですが、この映画は退屈するシーンが全くなく最後まで楽しめます。
日本にいるとあまり馴染みのない国の話ですが、知るべき世界がたくさんあるなと思える映画でした。
勉強することの大切さも学ぶことができます。
少し時が経ったらまた見直したいです。
親と子の心が通じる
瞬間がちょうど電気が通ったみたいにびびっと感じました。
大人の事情、学校の事情、国の事情。。。色々言い訳しながら妥協して生きているところはあるが、実現できると確信した夢をどんなにハードルが高くても、成し遂げる主人公の想いや父親として息子を理解する気持ちは見習いたい。
痛快ではないが真実の重さは万金に値する
上映最終日直前に鑑賞。先のレビューで陰鬱な展開が大部分だろうな…と覚悟していったのは正解でした。この映画を同苦(苦痛を共感)したいと思わない人は、空腹や喉が渇いた状況で鑑賞されぬよう…たぶん鑑賞終了までに後悔します。
ここで一番勉強になったのは教育の大切さもさることながら、政治の公正さ・為政者のモラルがいかにかけがえないかということ…主人公の友人の父でもある族長は、たまたま大統領選の演説会で飢餓問題をなおざりにしている大統領の批判を口にしたために取り巻きから暴行されてしまう辺りは、アフリカをはじめ政治の近代化されていない国の貧困の元凶を目の当たりにした気がします。
最後の主人公の親父さんが目の前の苦境に没頭する悪循環から脱してくれたのは奥さんの手柄ですね。あそこで救われた印象は強いです。
現実の主人公はその後TEDなどで喝采を浴びてますが、他の貧困国にも同種の問題から脱出できる活躍を期待したいです。
もっとタイトルに現実感を
どこにでも居るアフリカの少年。
マラウイと言う最貧国に住む一家。
たんたんと映画が進み単調・・・と思いきや!
少年らしい明るさと反対に住む世界がどんどん悲惨に・・・もう観ていて辛かった。
でも少年は負けなかった悲惨な世界にも大人にも。
スクリーン観ながら声を出して応援したくなった。
ワンコのシーンは観てね。
主役の少年はケニアの洗練された子でどことなく良いトコの子って感じがあった。
不覚にも何回か泣いてしまった(T_T)
感動出来なくて御免なさい。
今のアフリカに夢なんてあるのかよ、ってのは言いっこなしで。干ばつ、伝染病、内戦、大量殺戮。そんな話ばかりを見せられて来てるせいか、拍子抜け感はありますが、場所はマラウイだしね。
細かい所が気になりだすと、トコトン気になってしまって。色々な面で、トコトン。少年の偉業には心から拍手を送りたい。けれど、映画としては全く感動出来ませんでした。何年かしたら、環境少女も映画になんのかなぁ、と考え出すと萎える…
ただ一つ思った事は、日本に生まれて良かったと。また、世界的な干ばつリスクはゼロじゃ無いと主張する人達もいます。マラウイの飢餓も「明日は我が身」、かもね。
日本の台風を分けてあげたい。
風車を作って水を引き、干ばつの被害をなくそうという試みを14歳の少年の発案で行ったという実話がもとになった映画。ただ、その科学的知識とか風力発電器製作の経緯といったシーン以外にも、アフリカの中でも貧しい国の現状を訴えてくるのです。そしてラジオが主な通信機器(しかも電池で)であり、少年たちは9.11テロのニュースよりもサッカー中継にしか興味がないという微笑ましい光景。そして、葬式で始まり、葬式で終わるという構成も面白い。
人口1500万人の国マラウイ。名前しか知らなかったのでwikiでさっと調べてみましたが、映画でわかるように教育には力を入れているようです。識字率が60%超えというのもその証左。学校では公用語の英語を使っていたのも興味深いところでした。しかし、授業料を払えなかったら退学ってのは痛いですよ・・・収穫が終わったら払うと言ってんのに・・・
そんな農業国、災害の多い国、教育熱心なのはわかるのですが、大統領が村を訪問したときに政治の愚かさも目に付きます。干ばつで農作物が獲れないし、飢饉のため食糧難だって訴えようにも、大統領は次の選挙のことしか考えていない。言論の自由と民主主義を演説し、大統領に文句を言った族長がフルボッコにされるシーンも痛々しくて、上の奴らのえげつなさが見え隠れする。まるで西日本大豪雨の際に宴会をやっていたり、千葉が台風で甚大な被害を受けている際に組閣にしか頭が回らなかったりと、どこかの国の閣僚と同じだと感じてしまいましたよ。トホホ・・・。
思いっきり泣いてしまったのは犬カンバの死だったし、新しく子犬を飼ってるところでまた涙。とにかく、長い目で見ても教育優先!インフラ整備!次の選挙のことなんか考えるな!ですね。
少年と犬
他の方たちが書いているように、風力発電機を作り始めるまでは確かに長かったが、そこに至る経緯は知る必要があったかと。
何せ観てるのは電池がなくなればコンビニでいつでも買える世界の私達なのだから。
暮らしや文化や家族の強い絆、それらを知らなければ、お!畑に水が〜良かったね〜で終わってしまう。
少年が制服を着たシーン、学校へ行けるのは限られた子達だけ。それだけに家族の喜びも大きいのだと感じた。
しかし、なかなかインパクトのある制服の色だけど、手足の長い彼らに似合うんだよね、これが。
いつも一緒にいた犬が可愛くて可愛くて。
貧しいのに、自分の食い扶持を分けてあげたり。
なので亡くなったシーンは辛かった。
しかしつくづく私達は物にあふれた暮らしをしていることを強く思い知らされた。
あの学校の図書室を見て愕然としてしまった。
でも、今はライフラインより通信網の方が先に整備されたのでは?田舎でもみんなスマホ持ってるらしいと聞くが。この国はどうなんだろう、とふと思った。
風車の話が、思っていたより短い
実話のようです。原作は読んでいませんが、自叙伝なのでしょうか。とても、面白かったのですが、廃棄物で風車を作るのは、ラスト20分くらいでした。予告編を見ても、タイトルからも、風車を作る話がメインだと思ってたので、ちょっと、思っていた感じと違いました。…とは言っても、ラスト20分の風車を作るシーンのために、ヒントを見つけていたりするので、重要なシーンなのかもしれません。
これ、911の年の話なんですよね。まるで、戦後の日本みたいな話でした。少年は、勉強したくて学校に行ったのに、学費が払えなくて、退学になりました。でも、勉強をしたくて、図書室に通うんですよね。日本って、無償で義務教育を受けられたり、本当に、恵まれてるなぁって思いました。
それから、少年の父。人が良すぎるだけの、ダメ父でした。ダメ過ぎて、ちょっと、イラっとしました。特に、風車を作ることに反対したシーン。この父親、お腹空いてイライラしてるのか?って思いました。最終的には、息子のこと信じてくれたので良かったですが、母親が怒る気持ちが分かりました。
前半の飢餓のシーンとかが長過ぎて、可哀想って思いが強かった。もっと違う脚本だったら、もっと感動できたなかなと思いました。
さまざまな気持ちと記憶が呼び覚まされた。
飢饉や貧困に対する自分のイメージがいかに浅いか愕然とした。そんなどん底にあって、人としての品性や希望を失わない主人公や家族は素晴らしいと思った。
子供達に観て欲しい映画。
政府は知らんぷり、寄付金も届かない国。勉強をしたくても学校に行けない子供達。世界中に将来を担う隠れた逸材が何人いるんだろう。パパは自分を過小評価しているように見えましたが、家族思いで周囲に気を配れる男。彼がいなければ今のウィリアムはいなかった。
難しいストーリーではありません。是非、子供達に観て欲しい映画です。
日頃の行ないが大事
恥ずかしながら勉強不足でマラウイという国の存在を知らなかった。映画を見る限りではかなり貧しい国で、毎日同じものばかりを食べている印象である。食べていくだけで精一杯の生活で、両親もこの生活がいい生活だとは思っていない。子供たちには自分たちよりもいい暮らしをしてもらいたい。できれば学校にやって知識を身につけて、世の中の役に立つ人になってほしい。そして収入をたくさん得て、毎日の暮らしに汲々としない幸せな人生を送ってほしい。戦後の日本人の両親の願いも同じようであった。
農業は自然を相手の仕事だから、先が読めない。長雨や台風、津波などの自然災害も恐ろしいし、植物には害虫や病気もある。熱帯気候のマラウイでは乾季には作物を育てられない。必ずしも水さえあれば栽培がうまくいく訳ではないが、本作品は乾季に食糧危機に陥る状況を打開するために奮闘する少年を描く。
主人公ウィリアム・カムクワンバは、小学校は行けたが、授業料を払う義務のある中学校へは、頭金を支払った分だけしか通えない。機械の構造などに詳しく、近所の人からラジオの修理を頼まれるほどである。勉強が好きだが、夜は明かりがないから勉強できない。日本で歌われる「蛍の光」は、夏の夜は蛍の光を頼りに、冬の夜は雪あかりを頼りにして勉強したという出だしだが、電気の供給がなくホタルも雪もないマラウイでは、灯油ランプである。しかし灯油を買う金がなければ夜は闇で勉強などできない。
それでもウィリアムは勉強し、やがて乾季の対策を考え出す。普段から真面目で親の仕事を手伝うウィリアムの必死の頼みは、母親をして父親を説得させる。また、姉はウィリアムのために一大決心をする。日頃の行ないは大事である。わかっていても感動する風車のシーンは本作品のハイライトである。ウィリアムは家族だけでなく、地域の人々から信用されていたのだ。
これより先は当方の私的な意見である。意見というよりも偏見かもしれないが、子供を作ることを是とする人にとっては不愉快な見方なので、予めご注意申し上げる。
ひとりの少年の成功物語はそれなりに評価できるし楽しんで鑑賞できたのだが、観ていてひとつ疑問が残った。これほど貧しいのに、どうして子供を作るのかという疑問である。人間には子供を生む自由と生まない自由がある。貧しくて子供を育てられないなら子供を作らない選択肢もあったはずだ。人間以外の生物は、自己複製のシステムとしての生物だから新たな生命を誕生させようとする。しかし人間だけには子供を生まない選択をする能力と自由がある。
先進国では日本を筆頭に、少子化がはじまっている。生まない自由を行使する人が増えたということだ。子供がいなければいじめられる心配もないし、よその子供をいじめる心配もない。育児ノイローゼもないし教育費もかからない。大人になって殺人を犯したりする心配もない。自分が歳を取って要介護になったときに、子供に負担をかけることもない。子供がいれば沢山の喜びがあるが、ハイリスクハイリターンなのである。
悪魔パーピマンはゴータマに「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は実に喜ぶことがない」と言ったが、ゴータマは「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない」と答えた。
子供を生むのもよし、生まないのもよし。個人の自由である。ただ子供が与えてくれる喜びだけを考えるのではなく、子供がいることで生じるリスクについても考える必要があるのではないかと思う。女性は子供を2人以上産めなどと人権無視の発言をする阿呆な政治家や教員もいるが、人類の存続や共同体の存続の責務を個人が背負う謂れはない。
人口爆発を続ける途上国では乳幼児が多くの割合で死亡する。餓死する人たちもあれば政府に虐殺される人たちもいる。ボロ布のように失われていくそれらの命のひとつひとつが、アメリカ合州国大統領の命と同じ重さであることをよく考えなければならないと思う。
マラウイってどこだ
まず映画冒頭で舞台がアフリカのマラウイという国だとわかるが、そもそもそれがどこにあるのかわからなくて、自分の無知が悲しくなった。(その後で知ってる近隣の国名が出てきてとりあえずぼんやり把握した。)しかし今検索してみると、とっても大きな湖がある。それでも見ていて、ここで農作物は育つのか?と疑問に思ってしまうようーなシーンから始まる。
お父さんが農業を営んでいる14歳のウィリアム少年は賢い。実践から機械はどんな機能を持つか教えてもらわなくてもわかってる。知らないことがあることも知ってる。どうすれば農作物を育てることができるのかを考え、知りたいと思い、その回答が学校にはあることを知ってる。
とりあえずお父さんもお母さんも教育を大事だと思ってるし、ウィリアムを学校へ行かせてやりたいと思ってる。でも学校はお金がかかる。食うか食わずの状態になってしまえば、学費は後回しにされてしまう。
農作物を作るのに学校に行きたいのに、学校にいくお金どころか食べるのもままならない。この映画はこういった悪循環から脱出した実話が元になっている。世の中にはウィリアムのように未来を切り開いてくれる人がいるもんなんだなぁと、知ることができて幸せになれる。
余談だが、Chiwetel Ejioforの名前が難しく、何度聞いても覚えられない…
目に見えない風と希望をつかまえる
アフリカのマラウイのこと。
ウィリアム(マクスウェル・シンバ)は父トライウェル(キウェテル・イジョフォー)の甲斐あって学校に通うことができるようになった。
アフリカでも最貧国のひとつであるマラウィでは、学校に通うことなどなかなかできることではない。
けれども、通い始めた矢先、大雨による洪水、その直後に大旱魃に襲われ、頼みの綱の作物の収穫はできなくなってしまう。
ときは、2001年。
米国では同時多発テロが発生し、マラウィでは民主化されたといえでも政治は一部権力者の手に握られており、寒村には援助の手が差し伸べられることはなかった・・・
というところから始まる物語(というか、書いたあたりでは、もう中盤過ぎ)。
アカデミー賞ノミネート俳優のキウェテル・イジョフォーの初監督作品であるが、彼の出身は英国ロンドン。
両親もナイジェリア出身なので、マラウイとの直接的な関係はないが、やはり、アフリカンの血が騒いだのか、それともヒューマニズム的動機からなのか、そこいらあたりはわからない。
けれども、初監督(驚くべきことに脚本も兼ねている)作品にしては、社会派実録エンタテインメントとしてガッチリとつくらている。
途中、ウィリアムの姉が大学進学の権利を得たものの活かすことができず、生家のある村で暮らし続けなければならず、また、ウィリアムを教える理科の教師と恋仲になり、挙句、口減らしと自ら言って出奔してしまうエピソードや、理性的であった父トライウェルが旱魃を機に、政治活動に走ったり、または逆に頑迷な農夫生活に戻ったりというエピソードも出るのだが、描写がエンタテインメント寄りになっているのは惜しい。
ただし、この手の社会派実録には少しばかりのエンタテインメント性がないと商売にならないのはわからなくもない。
最終的には、タイトルにあるとおりにウィリアムは「風をつかまえ」て、村を旱魃から救うわけだが、風も希望も目に見えないものである。
そこいらあたりを踏まえると、クライマックスの風車と水の描写は、定石といえども巧みで、やはり感動してしまいましたね。
映画は、イギリスとマラウイの合作です。
必要は発明の母
William Kamkwamba本人の執筆による原作を基にした作品。
彼の出身国Malawiの貧しい村Wimbeで安定した農業を営むために、ほぼ独学で風車を作ったという実話。
これを可能にしたのは、ごく短期間でも学校に通えたこと、図書室でこっそり本を借りれたこと…。
学校に行けるのは授業料を払える家の子のみ。延滞したら即刻退学という厳格ぶり。だから生徒も教師も見る見る居なくなってしまうという状況に、無償教育の貴重さを実感しました。教員の給料確保も大事なのは分かりますが、校長先生の言い方がきつ過ぎて言葉を失います。
学校に来ても学習意欲のない生徒を多く抱えている教師が観たら歯がゆいでしょう。
照明もラジオも、何なら風力原動機も、
必要なら作ってしまえと。
Williamの賢い所は、足りない物を得るにはどうしたら良いか、問題点を直視し現実的に解決策を探る能力でした。
Williamの知的好奇心を阻む教師、経済状況、生活環境を何とか乗り越えて風車製作に辿り着きますが、作品全体としてみると国民/村人の悲惨な暮らしぶりに重点が置かれており、風車自体は作り出したらいとも簡単に成功するので、重心を少しずらした方がもっと感動したように思います。
Williamが再利用した部品のひとつに消えかかった日本語表記があり、巡り巡ってこんなにも遠い国で役立っているのかと感慨深いものがありました。
油がもったいないから夜は勉強できないとか、寂れた古本屋のような図書室が知識の宝庫だとか、モノが溢れるほど豊富な日本では一昔前のような話です。駅前の放置自転車も、回収される古本も、不法投棄される電化製品も、こんな物でも良ければと全て差し上げたくなります。当時のWilliamが日本を知ったら、宝の山があちらこちらにあるような国です。
だからと言って、アフリカの国の話ねぇ…と、あまり他人事でもありません。世界149ヶ国の中でMalawiと日本の共通点は、男女平等度が低いこと…。世界経済フォーラム (WEF) が発表した”Global Gender Gap Report 2018”によれば、日本110位、Malawi112位です。
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黒人の肌は紫外線に強い為、皺が出来にくい上に目立たないので、見た目年齢不詳になりがち。白髪の有無や体格で検討を付ける感じです(^^)。
Williamの母Agnes役が、「市場一の美人」だけあって綺麗な方でした。
大統領夫人の頭巾がミッキーマウスの耳みたいでした。
“Democracy is just like imported cassava. It rots quickly.”
観てよかったなぁ
映画館から出てスマホの電源をオンにしたとき、さっきまでスクリーン上であんなに切実だったことと全くかけ離れた話題が溢れていてちょっとクラクラした。
これがたかが20年ほど前の話だなんて…。
涙も枯れる苦難の数々、瀕死の状況にある集団心理の危うさ…かなり迫力ある描かれ方でしたが、過剰さはなく青少年にも飲み込める絶妙な匙加減が良かったと思います。
正直いくらでも悲劇色を濃くすることはできるので…。(幼い妹さんが成長して良かったし、悲しいけど相棒の犬が自然に倒れたのも優しさかも)
ライオン・キング(2019)のヴィラン、スカーの声を当てたキウェテル・イジョフォーさんが監督・脚本・出演。ここでも情けなさ愚かさもあり、そして憎めない大人の男を演じています。
超実写版ライオン・キングからはアフリカの自然の偉大さや命の尊さを感じられなかったのですが、裏表でこちらの作品に触れることができて縁があったなぁと満足しています。
全くの余談ですが、主人公ウィリアムを演じた少年のお名前がシンバなんてミラクルw
監督は蠅の羽音にこだわりがあったのでしょうか…妙に印象に残っています。
ラストの明るい光で吹き飛ばしきれないほど作品を覆う闇は濃かったですが、ライオン・キング、天気の子と本作を並べて観ることができた2019年の夏は幸運だったなと感じています。
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