「『楽しく生きる』ことについて胸を張るのが難しい時代」さらば愛しきアウトロー 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
『楽しく生きる』ことについて胸を張るのが難しい時代
少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、『楽しく生きる』という言葉は、一方に『退屈な人生』や『つまらない人生』があって、それに対するアンチテーゼとして初めて意味を持つものだと思います。
例えば、高度成長期からバブル期、その余韻の残る平成の始め頃までは、社会的に安定していると信じられていた公務員や大企業・中堅企業に勤めているような人たちを、「安定を選んだつまらない人生」と大雑把に括り、そこからはみ出したチャレンジングな人たちに(その不安定さにはさほど言及することもなく無邪気に)ちょっとした憧れや羨ましさを感じる、というようなことがありました(たぶん)。
現在のように、経済環境、家庭環境、男女の定義、あるいは頻発する自然災害のもたらす影響、その他あらゆるものについて多様で困難な状況や価値観が混在していると「退屈で平凡な日常を送れることは最高の幸せ」でもあり、「自由気ままに好きなことをして生きてるように見える人が実は深い孤独や罪悪感を抱いている」ようなこともあるはずです。
人生、楽しく生きようぜ!
と言われて、そうだよな、と思うより、本当にそれだけでいいのだろうか?と受け止める人の方が多いのではないでしょうか。
ロバート・レッドフォードの引退の寂しさとともに、物事が今よりは単純に割り切ることのできた時代への惜別、のような印象も残りました。
ふと思ったのですが、クリント・イーストウッドさんは、今なお色んなものを手探りしながら何かと闘ったり、訴えたりするために、映画を作る、という仕事を貪欲に続けているのですね。
本当に凄いことだとしみじみ思います。
『楽しく生きる』だけでは素直に、充実した人生、と人に語るのが難しい時代になった、ということだと思います。
こんばんわ。なるほど👀確かに楽しく生きるだけでは…難しい時代になったのかもしれませんね。楽しく生きる、楽しみ方の価値観も画一的ではなくなってきている気がします。