マチルド、翼を広げのレビュー・感想・評価
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ありったけの愛とイマジネーションを捧げてくれた母への感謝の思いに満ちている
イマジネーションはあらゆる意志や物事の原動力と成り得るものだ。俳優であり、今やフランスを代表する監督にまで成長したノボフスキーにとって、この原動力を授けてくれたのは他ならぬ母の存在だったのだろう。
本作は幼い少女が精神的に不安定な母と共に暮らしながら、重要な場面で何度も涙を飲んだり、母のことを懸命に気がけたり、時には孤独に心が張り裂けそうになったりもする物語だ。しかし、だからといって母のことを恨んだり攻め立てるどころか、本作は絶対に特定のキャラクターのことを嫌な人物として描く真似はしない。
むしろ迸るのは愛であり、ありったけの感謝だ。この母が突飛なイマジネーションを通じて自分に捧げようとした愛がいかに大きなものだったのか。それが映像の温かみ、少女の奮闘からじっくり伝わってくる。ある意味、個人的な映画なのかもしれないが、それを誰もが共有できる境地にまで昇華させている点もまた素晴らしい。
ファンタジー
上映中にもう一度観たいと思わせる母と娘と小さなフクロウのおとぎ話
全員バカ センスもゼロ イライラしかしない映画
優しく、愛おしい
母と暮らすマチルドは9才の女の子。
母親は何らかの障害がある。情緒か精神か。アルツハイマーかも知れない。恐らく(日本の制度を照らせば)、育児能力がないと判断され、児相に行くケースだと思う。
夜遅く帰る、食事を作らないなどはよくあること。突然、デパートでウェディングドレスを買う、娘の学芸会で自分もステージに上がってしまう、など。マチルドは母親の奇行に振り回され、学校でも孤立気味。それでも、マチルドは母親を支えようとする。
父親は離婚して、別々に暮らしている。
ある日、母親がフクロウを拾ってきて、マチルドにプレゼントする。このフクロウはなぜか、マチルドとだけは話せるのだった。
フクロウはマチルドに「君はいかれた母親に縛られている囚人だ」と言う。
劇中、まるでミレーの名画「オフィーリア」のようにマチルドが死んでいるようなイメージが、たびたび挿入される。
また、学校の人体の骨格標本を“埋葬”するために地面に穴を掘ったら、死体のように、そこに寝そべるシーンもある。
母に囚われ、死んでいるようだ、との象徴だろう。
それでもマチルドは母と一緒がいい。
母が施設に入ると聞いて、マチルドは学校から急いで帰る。このときの、前のめりで走るシーンが印象的だ。
ラスト、成長したマチルドは施設に母を訪ねる。突然の豪雨に見舞われるが、2人は手を取り、ダンスを踊る。2人とも無言だ。言語化出来ない母と娘の絆を感じさせる。
そして、その後2人は部屋に戻り、一緒に詩を作る。マチルドが小さな子供の頃、母が彼女を慈しんだ記憶を呼び起こす。
施設の近くの湖に、やはり「オフィーリア」のイメージで水に沈むマチルド。しかし、このときは水中から起き上がる。
いつまでも母親に囚われているわけではなく、彼女も自立し、そして母親に向き合っているのだろう。
ここでもフクロウが登場するが、もう話さない。フクロウの声は、マチルド自身の心の声だったのである。
本作は、母親だけを一方的に責めるわけではない。母親の行動に業を煮やし、マチルドもまた間違いを犯す。彼らに関わるフクロウも父親も、みな優しい。
たまらなく愛おしく、深い印象を残す作品だ。
とりわけ、マチルド役のリュス・ロドリゲスが素晴らしい。子供らしい無邪気さと、家庭に問題ある子供にありがちな大人びたところの両面を見事に演じている。
彼女たちは幸せなんだろうと思う
感受性が豊かな人が変わった子と言われる
母は精神的に尋常でない人だけれど、ある面から見ればとてもおもしろい人。父も精神的に弱い面があるけれど、優しい男性です。
マチルドはこの両親を彼女なりに愛していて、9歳なのに孤独に置かれひどく困らされても恨んだり怒ったりするのをぐっと我慢している。
そんな健気な少女だけど、彼女も母親の異常なほどの感受性の鋭さを受け継いでいて、しかも異常にはならないところがすごくいい。
母親のせいで恥ずかしいことが多いけれど、自分の感性と相通じるものがあり、母親と共に生きようというその心意気。彼女の社会的自我の分身がフクロウとの会話で語られているのもオシャレ。押付けがましいところがなく、気持ちのいい映画です。
子役リュス・ロドリゲスの性格も役に影響している。監督が選んだ理由もよくわかります。自分の過去を投影するだけでなく子役に惚れ込んだ。負けん気が強そうでユーモアもある性格が、走ったり、鳥と見つめあったり地面を掘ったりするときの身體の使い方に現れていて、演技ではなく、子供の素晴らしい精神と存在感を感じさせます。
フランスで人骨を標本に使うのは、本当のことなの?これを死者への冒涜と感じて、物置から盗んで山に埋めに行くマチルドの感受性こそ正しい。
短いけれど大人になったマチルドをアナイス・ドゥムースティエが演じているのも納得。配役も監督の勝利です。
絵画オフィーリアに母への不安を重てあります
良い映画を観ました
一人の少女の成長物語でも有りました
映画の中の時間は1年くらいのことでしょうか
冒頭の小学生の少女はラストシーンでは大人の女性になりかけています
身体的にもそして心の内面においても
見事にその変貌の過程を写し取っています
繰り返し画面に写される森の中の池に仰向けに沈み死んでいる女性の幻想
それはジョン・エヴァレット・ミレーの絵画オフィーリアそのものでありました
オフィーリアはご存知の通りシェイクスピアのハムレットの登場人物です
彼女は行き違いの果てに狂気となり水死してしまう哀れな女性です
もちろん母への不安を象徴するものです
もしかしたら精神を病んだ原因を暗示してもいるのかも知れません
幼い心がその不安を受けめきれずにそれが溢れ出したが故の行動の数々と、父の庇護の下で心の安定を取り戻し母を受け止める力を持つまでに至った成長した姿の物語でもありました
ふくろうとの対話は孤独の象徴でもあります
彼女の心はふくろうという自己の対話で深く考える力を養い成長していったのです
トリュフォー監督の思春期にも似たフランスの小学生達の瑞々しい姿とその成長の物語でした
正に正統的なフランスの映画と言えるでしょう
フクロウ
マチルドを助けるフクロウの事が気になってちょっと調べてみたら、ヨーロッパでは賢さと知恵の象徴と言われているみたいです。確かに彼はいつもマチルドを冷静にさせたり知恵を与えたりピンチの時にはいつも守ってくれていました。本当にフクロウが人間の言葉を話せるかどうかは想像性の問題として、マチルドを見ていると孤独な時や辛い時には、知恵やイマジネーションが味方になってくれる事が分かります。私にとってのフクロウが映画や本であるように、誰にでもフクロウがいるのではないでしょうか。
大きくなったマチルドとママが雨の中で踊る姿を見て、やっとママの事を理解できた気がします。ママは感性の塊の様な人なんですね。マチルドもママの感性を受け継いだからこそ、喋るフクロウがやって来て彼に助けられたのかもしれません。今の世の中、効率を重要視していますが本当は創造が自分を救ってくれるのかも。
意味不
子供にとって親の存在は計り知れない
いやあ、わからんかった…
久しぶりに、“観念的” な映画観たわ〜
心身症のどうしようもない母親と、心は繋がりあっている娘の日常、別離、再会。
母親のひいひいひいお婆ちゃんの話が、映像で繰り返し現れ、喋るフクロウと娘はやりとりしながら、話は進む。かといって、SFやファンタジーではなく、心象風景的な映画、としか言えないなあ。
飽きることなく観られました。映画としての出来はいい。意外な展開はほとんど何も起こらない。いや、母親がおかしいからどれも意外な展開か。なんか、そういうことはどうでもよくなって、母親と心を通わせる娘と少しだけ同期できると思うよ。
母親と娘の繋がりって、こんな感じなんだろうな。男の俺にはピンとこないが、こんな母親とかは関係なく、深い絆で結ばれているよね、というメッセージは伝わってきました。
女性に生まれて、観てみたかった。
ある方の感想にありましたが、確かに、「大人の味わい」だは。
苦しくて悲しいお話でした。
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