「ミクロとマクロの融合の話」キングダム movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
ミクロとマクロの融合の話
一奴隷として底辺のシンが、同じ生い立ちのヒョウの無念の死を晴らすため、2人の夢の、天下の大将軍になるべく出発する。
貧しくて奴隷として売った両親、王の替え玉として死んだヒョウ、ヒョウの最期を見たがために皆殺しのシンの雇い主含む村の全員、、戦国時代に王の政に利用されるためだけに流される、数多の血と想いの詰まった命。
下僕から成り上がれた者の中にも、ヒョウのように運良く王族の替え玉という大任を出世のチャンスと捉える前向きな者もいれば、王に支えられるなんて身に余る光栄と謙虚な者、恨みを持つ者など色々な受け止め方があり、シンはヒョウと約束した天下の大将軍という夢が支えになっている。
私情のため、民が犠牲になろうと無感情なセイキョウもいれば、戦国時代の無駄な流血を一刻も早く終わらせるために国境などない天下統一を目指すエイセイやヨウタンワのような王もおり、武装と策両方に長けた王騎のような者もいる。
シンは間近でそれを見て、個人の戦闘能力と夢だけではなく、頭脳や考えを悟られない立ち回り、軍として強くなるため家臣に好かれる大切さ、人の痛みをわかる優しさと人徳など、将軍に多くの能力が必要な事を学んだ事だろう。
ミクロで見れば民一人一人の背景も経緯も感情も様々だが、それにとらわれるだけでは国全体は良く出来ず、マクロの視点で民の痛みもわかりながら全体にとっての善を追求するのが国政に必要。その理想形としてヨウタンワが出てきているような気がする。
ヨウタンワは闘う力は男性だけに与えられたものではないことを体現し、過去の学びから、他の国を過度に信頼し交流したり、他の国を出し抜いたり攻め入ったりせず、でも自国の軍はいつでも即戦力になるよう鍛え、普段は守りに徹している。馬群ではなく野戦的な戦法だがそれが想定外の強さをもたらす。
エイセイも、シンのような国の末端の人間との関わりのない人生だったが、ただの鳥瞰・俯瞰ではなく、マクロな視野を手に入れた事だろう。
戦場に夢などないと言う、冷酷で戦闘能力は一級品のセイキョウの護衛の左慈も、現実味はあるが冷酷ゆえ人徳をなくし最後にはより想いの強いシンに斬られ、シン自身も、ヒョウを殺された恨みがモチベーションだった時よりも、ヒョウとの約束・夢を思い出した時の方が格段に強くなる。
死体をゴロゴロ見ていつ討たれるかもわからぬ戦国のストレスだらけの世において、強さを保つモチベーションはなんなのか。約束や夢などというとありきたり精神論な感じがするが、結局人間最後は、仲間でも友情でも民でも、なにか自分以外に「守りたい」ものや気持ちがあることが強いんだ、それを感じる作品。
主人公のシンがアホで、奴隷上がり故の過去の深い葛藤や傷など生い立ちからくる人間性の深さをあまり感じられないのと、原作も読んでいないので、脚本そのものにはあまり思い入れがわかなかった。
このままシンが活躍していく話となると、そこらへんのヒーロー映画と変わらない印象。
ただ、ヒョウが残した刀の鞘を山の民が持っていたラストに、強い始まりを感じた。