「10代の青年たちに課せられた重すぎる決断」僕たちは希望という名の列車に乗った REXさんの映画レビュー(感想・評価)
10代の青年たちに課せられた重すぎる決断
壁が建設される前の東ドイツ、1956年が舞台。ベルリンの壁は1961年に建設されたというから、そのたった五年前の出来事です。
西ドイツに逃れた彼らが、壁が建設された時にどのような思いで受け止めたのだろうか。多くの人が仰るように、彼らの“その後の人生”が知りたくなります。
ナチ党への嫌悪感。同じ社会主義国であり東西分裂の主要因であるソ連への懐疑の目。抑圧や圧政への不満。
学生らの言動からは、社会主義への根本的な背信ではなく、あくまでそれを利用して圧政をもくろむソ連、または追従する政府への不満がくみ取れた。その辺のセンシティブな感覚というのは、母国の人間ではないとなかなかわからない。
他国の者には窺い知れない、敗戦後の東ドイツの空気感、その一端を垣間見ることができました。
当局による、仲間同士で密告させるという極めて卑怯な手段に屈服するか否か。首謀者を生け贄にすれば母国も将来も捨てなくて済む。
しかし実際に黙祷はテオとクルトが発案したのだから、それに巻き込まれたくはないという生徒がいても致し方なく、最後まで二人に賛同しなかった生徒も描写されていたことに、好感を覚えました。
ヒロイズムに徹し涙を誘うなら、クライマックスでクラス全員が立ち上がる描写をしてもいいはずですが、そう描かなかったことで、より真実味と重さを感じさせます。
「連帯責任」という不条理さを強いるいかにも社会主義らしい当局の姿と、西に逃げるのはあくまで個人の判断で、という学生たちの姿が対照的でした。
映画紹介文では「2分間の黙祷で」と書いてあったため、学生たちが黙祷を高らかに宣言して行ったのかと思ったらそうではなく、黙祷といえるのかもわからない代物でした。しかしこの「ちょっとした冒険」的な行為を行っただけで政府の人間が動く事態になってしまう恐ろしさ。
自由に発言できる権利と、それを享受できる社会が当たり前に出来上がったのではないということを、まざまざと思い知らされます。
学校の道徳や社会の授業でこの映画を是非見せて欲しいと思った。ここで語られることは教科書よりも雄弁。
余談ですが、彼らが心配していた「卒業テスト」は、西ドイツでも簡単に受けられるのでしょうか。戸籍謄本の管理や住民票の取得など東西関わらずできるものだったのか、そういったことにも興味が湧いてきました。