僕たちは希望という名の列車に乗ったのレビュー・感想・評価
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なんと力強いドラマなことか。彼らのその後の人生が知りたくてたまらなくなる。
様々な書籍やTVドキュメンタリー、または映画などを見て、第二次大戦後の東ドイツにまつわる歴史は大方知っているつもりでいた。が、本作で描かれた史実に愕然とさせられた。ほんのちょっとしたボタンの掛け違いのような出来事がやがて大きな騒動にまで発展していく皮肉————いや、これは皮肉という言葉では片付けられるものではなく、むしろこの一点にこそ、社会や幅広い世代をめぐる大きな問題や歪みが集約されていたと考えるべきだろう。その意味で若者たちの戦いは無駄ではなかった、と。
『アイヒマンを追え!』ではナチス追跡人の懸命なる捜索を骨太に描ききった監督が、今回は若手とベテランを巧妙に配しながら丹念なるヒューマンドラマを紡ぎあげる。そこで巻き起こる感情線が決して単調ではなく、幾重にも絡まり合って社会の矛盾を織りなしていく様が実に見事だ。彼らはどのような人生を歩んだろう。物語のその後を知りたくてたまらなくなる。
人の国の悪い所を見て自国の醜態を学べ!
事実基づく実話とあるが、「ハンガリー動乱をどうとらえるか」そこから考えねば駄目である。ナチス・ドイツの残党によるソ連への攪乱作戦と言う見方が当時は、大勢を占めていた。そこが、「ブラハの春」とは大きく違う。
また、1956年は既にヨシフ・スターリンは亡くなっていて、「スターリンシュタット」と言う名称の街も改名を急がれていた。正式には1961年に「アイゼンヒュッテンシュタット」と改名される。従って、「ロシア≒スターリン」と見なければ駄目だ。寧ろ、スターリン派が粛清を受ける時代に突入している。そもそも、この「アイゼンヒュッテンシュタット」という街は「ポーランド」と「東ドイツ」の国境の街である。
まぁ、全体主義国家に対するプロテスタントなイデオロギーを表しているのには賛成するが、画竜点睛を欠く見落としがあっては駄目で、この頃の東西ベルリンがどうであったかとか、そもそも、駅名は『ベルリン』となっていて、どうやって、西側(?)へ亡命出来たのかが知りたいし、その後の家族の現状を示さねば駄目だ。
ここに登場する東側(?)のソ連の傀儡らしき者(大人)たちは全てこの世にはいない。いなくなったのを待って作られたフィクションな話だと思った方が無難だ。と感じる。
ましてや、西側(?)へポルノまがいの映画を覗き見に来るなんて、そんな嘘話はやめるべきだ。上映される映画はホトホトB級映画だし、例え国家が介入していても、ソ連の芸術は質が高かったし、西側(?)だってそれに対抗して良い作品を作っていたはずだ。全体主義国家が強権的で、救われる余地が無いと、日本人が思ってしまうのは、日本国もナチス・ドイツと一緒に戦争に負けて、同じ様に弾圧した歴史があるからだと思う。まぁ、人の国の悪い所を見て自国の醜態を学ぶのは良いとは思う。
実話なのね
やけに大げさな話でこれ実話じゃなかったら下手な作り話だなと思ったら実話のようなので良かった。緊迫した空気とか伝わっていいとは思うんだけどちょっと中だるみ感が...あと子どもたちはちゃんと個性がたってて丁寧に描かれてるのに大臣と女同志の漫画的敵役キャラが乱暴で残念でした。
本来の自由を保持する困難
指導者がヒットラーからスターリンに代わった時代のベルリン近郊の小さな町。まだ東西の壁は無く、若者たちにとっては列車に乗り、西ベルリンのディスコへ行くのが大いなる楽しみ。
そんなある日、二人の若者は映画館でハンガリー動乱のニュースを目にすると、教室に戻りささやかな抵抗を呼びかける。
しかし、その抵抗はやがて教室中の自由の蹂躙し、彼らの日常を困難なものに変えていく。そして、彼らは友や親と離れ、街を出ることを決意するのだ。
見どころの多い映画だが、ポイントは生き方の選択は各々個々人に架せられた個々人の問題であり、ナチそしてスターリンの時代を生き抜いてきた親たちもまた全く同じであった。
本来の自由が持つ意味と価値はかなり尊い。しかし、それを我が身が保持し続けることは、かなりの苦難と犠牲を強いられる。
なんと胸打たれる青春群像劇だろうか
TSUTAYAのレンタル棚に陳列されていたのを見て、全く内容知らないで借りた映画です。
結論ですが、めちゃくちゃ面白かったし、胸を打たれました。日本にも「子供が大人の束縛から抜け出すため、自由のために闘争(逃走)する」というストーリーの映画やドラマは多くありますが、「1956年の西ベルリンと東ドイツ」という舞台がその闘争をより深刻で過激なものにしている印象です。しかも、この物語が「実話を元にしている」ということも衝撃的でした。
最低限、冷戦についての知識は持っていたほうがいいかもしれませんね。東ドイツと西ベルリンの関係は言わずもがな、劇中で重要なキーとなるハンガリー動乱とか、作中に頻出する「ファシスト」という言葉とか。ある程度知っていれば引っかからずに観れますけど、知らないと「何それ?」と頭の中で引っかかってしまってストーリーに置いていかれますので。
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1956年、ベルリンの壁が建設される少し前の物語。アメリカを盟主とする資本主義国の西ベルリンとソ連を盟主とする共産主義国の東ドイツは対立状態にあった。東ドイツの高校の進学クラスに通う学生であるテオ(レオナルド・シェイヒャー)とクルト(トム・グラメンツ)は西ベルリンの映画館に忍び込み、そこでハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュースを目にした。ハンガリーの若者たちの行動に胸を打たれた二人はクラスメイト達にハンガリーのために黙祷を捧げることを提案し、多数決により黙祷は行なわれた。しかしこの黙祷が「反革命」と見做されてしまい、人民教育相から首謀者を明らかにしなければ進学クラスを閉鎖するとの警告を受けてしまった。仲間を密告してエリートとなるか、信念を貫いて大学進学を諦めるか。彼らは選択を迫られることとなった…。
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共産主義の圧迫感というか束縛や思想弾圧についてかなり否定的な描かれ方をしているな~という印象。「当時の思想弾圧はここまで酷いものだったのか」という恐怖みたいなものを感じました。
この映画の素晴らしいところは、登場人物それぞれの考え方や感情の動きを実に丁寧に描いているところです。
「何とか言い訳をして罪を免れよう」とするテオに対して「自分がやったことなのだから責任を取ろう」とするクルト。言い訳がましい彼氏のテオに呆れてしまい逆にクルトに惹かれるレナ。自分は黙祷に反対していたのに、何故か首謀者と疑われてしまったエリック。そして彼らの家族たちの立場と考え方。
それぞれの登場人物がきちんと考えきちんと行動することで、「生きている人間のリアルな葛藤」というのが見えてくるのです。それぞれの登場人物に感情移入し、時に彼らと共に喜び悲しむことができるのです。
「1956年の東ドイツと西ベルリン」という絶妙な舞台設定によって、「この後彼らがどうなったのか」が何となく察することができるところも本当に素晴らしかった。設定を100%活かした物語だったと思います。
是非この作品を家で観るときは、途中退席せずに、トイレ休憩とか挟まないで、なるべく一気に観た方がいい。本当に面白い作品でした。オススメです!!
壁が壊れたことは知っているけど、できた頃のことは知らない。
一言「大人って、てなわん(方言で意地が悪い。卑怯)!」。
実話を元にと冒頭にあって。
ちょっと待て、こんなことあったらアカンやろうと憤慨しました。
ベルリンの壁が崩壊した(1989)のはニュースで知っているけど。
壊れるということは、作られた時の話があったわけで。
その5年前の設定で話が進んでいきます。
統制下に置かれた東ドイツの18才の学生たち。
秘密基地風の爺さん宅で聞いた西側のラジオ。
事故で亡くなったサッカー選手に対して「授業の2分間だけ黙祷をしよう」。
たったこれだけで、政治的意思だとして騒ぐ大人たち。
「首謀者は誰だ?」と、家族のことを持ち出したりして脅す。
社会主義の敵は潰す、と。
大人気ない(怒)。
でもそういう時代だったのですね。
それに対して生徒たちは、白状するのか。それとも。
楽しい映画ではありません。
でも、こういう時代があって、今の時代があることを。
知っておくべきでしょう。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「(嘘も方便だと親に言われ)一生つきまとう嘘だ」。
最初はサッカー選手の死だったのに・・・
18歳で進学コースに進んでいた彼らの純粋な行動。しかし、ハンガリーの民衆蜂起はソ連軍を排除しようとする運動であり、ソ連追従の東ドイツとしては、ハンガリーの蜂起を支持することは反革命・反逆罪にあたるとするものだった。
クラスから一人一人校長室に呼ばれていく様子はちょっと恐怖。首謀者の名前を密告したらそれで終わりなのだ。そーいや、高校のときも喫煙問題でひとりひとり呼び出された経験があったっけ・・・思い出しましたよ。あのいやーな雰囲気。結局五分刈り命令が下されましたが。
まぁ、政治的にはハンガリーも東ドイツも社会主義国だったわけで、同志の死を悼むというのは悪いことじゃなさそうな気もするんですけどね。結局は聞いちゃいけない西ドイツのラジオ番組から情報を得たことが問題視された。ラウルのおじさんもいい迷惑を被ってしまったのだ。で、サッカー選手は西のデマだったのか。両方でデマ合戦やってるみたい・・・
ただ、民主蜂起のニュースがそもそもファシスト残党によるものだったという東ドイツの新聞記事や、思想統制の発展段階だったことからも、取り締まりの甘さも散見。結局は学校側からの密告でしか黙祷問題を報告するしかない・・・。サッカー選手もそうだったけど、とにかく余計な情報を与えないようにする政府の施策。って、なんだか今の日本もそう変わりないけどな。粛清がないだけマシだけど。
人差し指を立てて挙手するシーンもあったし、反ナチという共通項があるだけにドイツの両極思想は難しい。しかも、多数決というものを否定していないし、扇動する者だけが罰せられる。クラスではエリックだけが禁固刑を食らいそうだったが、一人の罪にせず、みなで協力し合ったところが青春を感じた。みんな頭いいから、結構考えてたんですね。ただ、西に親せきがいない子が可哀そう。どうなったんだろ?
明日があるさ❗️
いつも私の頭が悪いレビューを読んで頂きありがとうございます。今は映画館はやっていません。家にいる時間が増えました。STAY HOMEでございます。
それでも気がつまります。少しだけ遠出をしました。葛飾は柴又の江戸川の向かいにある公園に行きました。里見公園です。
そこそこ人はいます。みんな初夏の陽気に誘われたんだね。マスクはしてます。ソーシャルディスタンスは保ってね。
薔薇園ではベンチで若い夫婦がワインを飲んでいます。うーん、満喫してるね。薔薇の香りに包まれてワイン🍷ですか。そうですか。
さてここで問題です。この夫婦が飲んでいたワインは赤ワインでしょうか?白ワインでしょうか?考えて下さいね。正解は・・・
ロゼでーす❗️(ややずるい)
シロツメグサ(クローバー)☘の群生を発見した。まるで白い絨毯。昔からの習性なのだがクローバーの四つ葉を探してしまうのです。しかしなかなか見つからない。すると、突然・・・
「なにをさがしているんですか?」
えっ?誰?小さな男の子。推定3歳。あのね〜
四つ葉を探してるんだよ。敬語を使えるんだね、偉いね〜 その子は良く分からないのかお花を一輪摘んで私にくれた。お母さんが謝りに来た。その後四つ葉の説明をしている。男の子は、よつば🍀よつば🍀・・・呟いている。
花言葉はgood luck(幸運)だ。
大人になったら君は私の事なんか忘れるだろう、でも私は君の事を忘れないよ。
さて長い枕を終わります。すみません。5月は映画館が休館中です。故にDVD視聴のみです。
邦画中心ですが、この映画をチョイスした理由は仲良くして頂いている、もみじまんじゅうの里の方の推薦があったからです。
この方は本当に凄い。生粋のメカマニア。ある映画で拳銃の情報が異常に細かかったのでコメント欄でツッコミを入れた事がある。
さいとうたかをプロの銃担当か❗️
返答は「秋元治プロの車担当です!」だった❗️センス抜群!いや、この映画には銃は出てきません。大体アクション映画を観ていて、あの銃はベレッタとかS&Wとかルガーとか…カンガエタコトナカッタ。私の知ってる銃は・・・
竹原ピストル❗️
♩よー、そこの若いの
君だけの花の咲かせ方で
君だけの花を咲かせたらいいさ
舞台は1956年の東ドイツ。まだベルリンの壁は出来ていません。進学校に通うテオとクルトは高校三年生です。テオは彼女に四つ葉のクローバーをプレゼントしたりします。ただインチキですが。
時には墓参りと言って西ドイツに行ったりします。忍びこんだ映画館でハンガリーのソ連に対する武装蜂起を知ります。そしてクラスメートと共にハンガリーのサッカー選手プスカシュの死を知り授業中に黙祷をします。しかしその結果、大変な事態が起こります。
実話ベースなのですが、まじっすか?ソ連に忖度しすぎじゃないっすか?
当局は首謀者を特定しようとします。信念か友情か?メッチャ、サスペンスフルです。会話劇なのに。「12人の怒れる男」以来の感じ。観て損はないですよ。
こんな長文を読んで頂き感謝いたします。最後に皆様に言いたい言葉があります。
Good Luck‼️
高校生の問題意識の高さに感激!
本当の話をベースにしているようだが、第二次大戦後ナチス崩壊のドイツではベルリンの壁ができる前は東西両ベルリンは行き来はできたわけで、映画ではクリスマス/正月シーズンは両ベルリンの往来も厳しくはなかったと言っている。
この時代の東側で生きていた人々の話だが、社会主義国家にするために思想の統一、ナチスの全体主義をいいスケープゴートにしてロシアの力を借りて、(ロシアが抑圧していたのかも?)ロシア体制を東ドイツに作っていく過程。東の見解ではロシアがハンガリーブダペストの動乱を抑止する力があるとみているし、西は全体主義の賜物になっている。
そして、米国、英国などの西ドイツと国を完全に二分する思想抑制下の東の人の心を描いているので、興味深い。ドイツ映画はナチスの全体主義時代や批判、そして、現在の統一後の映画しか鑑賞したことがなかったし、この1956年の時代の東西ベルリンの境界線(Stadtgrenze)に住んでいた人々の生活の 映画は皆無だったのでドイツ映画の別の政治的思想弾圧の一面を見た気がする。
好奇心のある高校卒業を控えている生徒たちの情報収拾力、多数決で行動を起こす民主主義(?)問題意識の高さ、自分の周り以外にも目を向けることができる(意識化できる)などが、大多数の生徒を西ベルリンに向かわせたんだと思う。
ここで、テオ(労働者の息子で、兄弟が彼を含めて三人の役)の多数決という捉え方が経験により成長したのがいい。全員退学させられた時、テオの案で、西に向かおうと。でも、彼は一言、自分の意思で行きたい人だけがいこうと。そこで、そこで多数決に従うやりかたを取らず、自分の意思を尊重するもっと民主主義的なやり方で他の生徒に話している。そこがテオの将来をより明るくしている気がする。
戦前のドイツはヒットラーの全体主義や連合国、ロシアの侵略、ユダヤ迫害など自分の立ち位置をどこに置いたかで人生が変わってくる動乱の時代だったようだ。そこから、はびこる『裏切り』も日常茶飯事のようだったに違いない。その中で、テオの父親だけは労働階級の動乱(Uprising 53)について一切、口にしないが、テオの友達カートを裏切る行為を自分の子供可愛さで興奮のあまりテオに進めたが(テオはそれをしないことは承知だった。)結局、父親本人も密告しなかった。テオを見ていると父親と同様に善悪をよく理解しているし、それにそって行動をしている。カエルの子はカエルということわざがあるが、倫理的な精神構造を引き継いでいる。
サッカーで有名なハンガリーの選手Ferenc Puskas が殺されたと西のニュースで伝えられたが実際は死んでいなかったと東のニュースが伝えた。後でネットで調べたところプスカスは2006年ごろ他界している。東西でお互いに洗脳しあっていたのかもしれない。
静かなる闘い
1956年、ベルリンの壁建設5年前…。
東ドイツの学生が西ドイツの映画館で、ソ連軍の軍事介入でハンガリーの民衆が蜂起を起こし、多数の犠牲者が出たニュースを知り、心を痛める。
級友に呼び掛け、授業中にハンガリー民衆へ2分間の黙祷を捧げる。
が、その行いがソ連影響下の東ドイツでは国家への反逆行為と見なされ、生徒たちは教師や当局に徹底的に問い詰められる。
生徒たちは密告すべきか、沈黙を貫く=友情を取るべきか、究極の決断を迫られる…。
当時の東西ドイツの政治背景絡み、日本人には…。
あるひょんなきっかけが無かったら、スルーしていたかもしれない。
ちょうど公開時だったか、「アンビリバボー」でこの事を取り上げ、非常に感動し、映画も是非見たいと思った。
ひょんなきっかけでこの映画に出会えた事を感謝したい。
彼らはごく普通の若者だ。何の自由も無ければ、これっぽっちの力も権限も無い。
黙祷は心からハンガリー民衆を悼むと共に、国へのほんの些細な反発行為。
国に反発する事はそんなに悪い事なのか…?
平和な国で治安を乱すような犯罪行為ならば問題だ。
が、権力で抑え込む体制国家で信念を持って対する事は悪い事なのか…?
悪い事だったのだ。当時の東ドイツに於いては。
こういう場合、家族が味方になってくれるものだ。
が、労働者階級の家族が多く、体制側に屈する家族がほとんど。
特に質が悪いのは、教師や当局側。
校長や教師たちの執拗な問い詰め。
あの当局大臣なんて、言葉を汚くして言うのならば、クソ!
無力な若者たちの前に大臣自ら現れるという事自体威圧的であるが、その権力を振りかざし、女生徒には今なら即刻辞任&大炎上&大問題間違いナシのセクハラ紛いの圧力。
さらには、一週間以内に首謀者を差し出す事、さもなければ特待クラスのお前たちの進学(=将来)を剥奪する。
これが、権力にへりくだった大人のする事か。
大人は権力を固持し、それを武器とし、無力な若者たちを苦しめる。
いや、それどころか、お前たちは大人の言う事を聞き、お前たちの行為など取るに足らない、愚かで下らないもの。
お前たち若者は、ただ従ってればいいんだ。
今から60年前の出来事。
当時の大人たちはもうほとんど健在してないかもしれないが、この大人たちを問い詰めたいものだ。
アンタたちの行いは、今も誇らしく語れるものか、と。
そういう時代だった、と、はぐらかすな!
恥を知れ!
決断を迫られた若者たちはどんなに苦悩した事だろう。
自分の人生や将来は大事だ。
が、密告し裏切り、自分だけ将来が約束され優遇されれば、一生後味悪く引け目を抱いたまま。
この若者たちの行為を、愚かで自業自得と言う人も居るだろう。
若さ故の軽はずみな、自分たちで蒔いた種。
が、それは決して間違っていなかった!…と、声を高らかに言いたい。
結末は知っていたが、
今、多くの人々を感動させ、映画として語り継がれる。
若者たちの永遠の友情。不屈の静かなる闘い。
東独ってやはり真面目な共産主義
「グッバイ、レーニン!」「善き人のためのソナタ」など東独ファン?にはたまらないテーマ。ドイツで産まれた共産主義が、ソ連を経て久方ぶりに故郷に帰ってまいりました!というこん平的なブーメラン。
ハンガリー動乱もプラハの春も、ソ連戦車によって蹂躙された。が、ハンガリーもチェコスロバキアも諦めたわけじゃない。ヨーロッパ・ピクニックによって、ベルリンの壁は打ち破られた。東独が必死になって放送した黒いチャンネルも全く徒労に終わった。東独の市民は、必死になって西側陣営の放送をパラボラアンテナで拾っていたからだ。
この作品を観ながら、当時ハンガリー外相だったホルン・ジュラが東独首脳に対して言い放った「国民に逃げられるような国を作ったお前らが悪い」云々を思い出した。まことに東欧共産主義の崩壊は面白い。
そうでありたいと思う。
悪役の裏事情物語が映画が何本か上映中である。事情があれば悪事も裏切りもしょうがないというのが、現在の世の風潮だと思う。
今どきの高校生なら、普通に真実をのべるのだろうし
それが何か悪いことだとは、私も思わない。
でも、この映画を見終わった今は
彼らのようでありたいと思っています。
ウッカリしてた。そうだった。
そうでなくちゃいけないぞ私。と。
ベルリンの壁建設前の東ドイツ。 進学クラスの学生達がハンガリーへ黙...
ベルリンの壁建設前の東ドイツ。
進学クラスの学生達がハンガリーへ黙祷を行ったことから国から反逆者とみなされてしまう話。
知識不足で理解できなかった部分も多々あり;
実話ってのがすごいなー
フランス映画に比べてドイツ映画はまだ見やすくて自分には合ってます。
緊迫感がなかなか。
男子学生達がイケメン揃い。
ヤダ、カッコいい……ってなカットがいくつもありました。
二本立て一本目。光り輝く青春ものかと。 違いますやん、どころか、重...
二本立て一本目。光り輝く青春ものかと。
違いますやん、どころか、重すぎますやん。
ハンガリー動乱の犠牲者に追悼の黙祷をしただけで…東ドイツ、ソ連、怖すぎ。
誰が首謀者かを探る為の密告奨励。ほぼ恫喝の聞き取り。なんて汚い圧のかけ方。仕事で似た経験のある私は虫唾が走りました。
浮気姉ちゃんはじめ、ラストの若者の決断はなかなかグッときます。最後まで同調せん奴もおったな、あれはあれで勇気がいると思う。彼らが、そして家族がその後どうなったのかが知りたい。
社会主義って怖いイメージだけど、実際はどうなんだろう。知らずに安易には否定できないですよね。共産主義とは何か違う?ちゃんと勉強しとけば良かった。
それも含めて若者に見て何かを感じて欲しい素晴らしい作品でした。見るべし!
青春映画、体制映画、歴史映画、半ノンフィクション。紋切り型ともいえ...
青春映画、体制映画、歴史映画、半ノンフィクション。紋切り型ともいえそうなキャラクターがうまく動いていて、それが映画を成立させる。邦題はどうか?
東ドイツ的1950年代/ただの18歳でいたかったよね。
第二次世界大戦後とか、東西冷戦時代とかっていう要素を除いたとしても、風味絶佳な青春映画だったとおもいます。わたしこういうの大好き。
で、第二次世界大戦後の東ドイツで、1950年代で、東西冷戦時代で、という時代についての理解というか、ニュアンスを感じられたという意味でも、良い映画でした。
東ドイツには、ヒトラー時代に国内で迫害された共産主義者たちがたくさんいて、彼らはヒトラーを倒して社会主義国を作ったことをとても誇りに思っているように受け取りました。で、冷戦はこれからおそらく激化していくようで、ベルリンにはまだ壁がない。ので、ベルリンに行って西側に紛れるということが庶民レベルではまだできたということなんですね。
4人の男の子と1人の女の子がメインキャラクターですね。特に市議会議員かなんかの息子のクルトと、炭鉱労働者の息子テオが中心です。
最初っから黙とうに懐疑的だったエリックの物語が切なかったです。
戦死した共産主義者の父親を崇拝していて、母と義理父(牧師か神父か)を目の敵にちょっとしていて、共産主義を父に倣って崇拝していて。
真面目だからうまく嘘をつけなくって、最初にぼろを出してしまって大人に一番に目を付けられる。そして揺さぶられてちょっとげろってしまったりして同級生からは裏切り者扱いされる。でもこれ以上は、と思って頑張ってたら、党の調査担当者に父親のことで揺さぶりをかけられてしまう。
父は共産主義者だったからユダヤ人同様に強制収容されていたけれども、強制収容所から出るために資本主義者に寝返った。そして戦後?そのことが同胞にばれて処刑されていたってことを知らされる。
エリックは一切母からそんなことを聞いていなくって、動揺しまくってしまって射撃場で教官を撃って、銃を持って教会へと襲撃してしまう。
エリックの件を受けて、党はエリックを犯人にして事態を収束させようとするが、首謀者であるクルトはそれを拒否。
自分が首謀者だと告白します。
テオのみならず、他のクラスメイトの多数も自分が首謀者だと言い張り、クラスは閉鎖される。
で、数名を除いてクラスのほとんどが、ベルリンを通じて西側へ逃げるという結末へ向かうのです。
信じていることが信じられなくなって、受け止められない。
ティーンエイジャーのあるあるなのにね。
それを安全地帯でできなかった彼らが、悲しい。
一方で抑圧された世界の中でもティーンエイジャーは、身勝手でキラキラしていて眩しい。
そのコントラストが非常に良い良い味で、堪能しました…
珍しくパンフレットも買っちゃいましたしね。
最も恐ろしこと
学生が、自由な思想を剥奪され、校内で弾圧を受ける。社会主義への反革命に、国家が怯え慄き思想を抑圧する行動が当たり前にとられていた長く苦しい時代があり、学生もまた被害者となっていた真実。希望とは、自由な思想を抱くことに直結する。故郷を捨てない選択と、家族と別れる選択、共に抑制を受けない自由な選択であり、学生が飛び乗る車内には、自分達で手繰り寄せた希望の光が射し込んでいた。
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