靴ひものレビュー・感想・評価
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父親への腎移植の説得に成功し、歓喜した発達障害有する主人公だったが、その結幕は・・・
ヤコブ・ゴールドワッサー 監督による2018年製作(103分/G)のイスラエル映画
原題:Laces、配給:マジックアワー、劇場公開日:2020年10月17日
かなり、ジーンときた。特に、父親が息子から腎臓移植されたのに感染症で亡くなったしまう展開には驚かされるとともに、コレが現実かもしれないと悲しくなった。冷静になってみれば、医者の指示を無視して、タバコもお酒もあれだけ好きなだけ嗜んでいたら、仕方がない結果かなとも思えた。そして最後、一人ぼっちになってしまった主人公にガールフレンドが出来たのは大いなる救いに感じ、上手い脚本だなとも感じた。
最初同居を嫌がりながら、次第に息子への愛情を深めていく父親を演じた俳優ドブ・グリックマンの演技は、とても感心させられた。発達障害者を演じたネボ・キムヒガディの演技の評価は自分には無理だが、彼が臓器提供委員に自分の腎臓を父親に移植したい気持ちを訴えるセリフの迫真性には、しっかりと涙ぐんでしまった。自分の靴の紐さえ結べないと臓器提供を却下した委員が、判断を変えたことの説得力は十分であった。
監督ヤコブ・ゴールドワッサー、製作マレク・ローゼンバウム 、ミヒャエル・ローゼンバウム 、ヨナタン・ローゼンバウム、脚本ハイム・マリン、撮影ボアズ・イョーナタン・ヤーコブ、美術ヨエル・ヘルツバーグ、音楽ダニエル・サロモン。
出演
ネボ・キムヒガディ、ドブ・グリックマンルーベン、エベリン・ハゴエルイラナ、ヤフィット・アスリンリタ、エリ・エルトニオデデ。
障害を乗り越えて
父と息子の姿から家族のつながりというものを描いた作品。
母親を亡くした事により何十年ぶりに親子で生活することになった。
だが、その息子には脳に障害があり、周りのサポート無くして生活出来る状態ではなかった。
父は、それを知っていながら現実というものに向き合う事を避けて、母親にばかり負担をかけていてた。
その事により離婚する事になった。
共に生活する様になってから相手の事を知っていく内に自分と変わらない存在なのではないかと少しずつ距離が変わっていった。
この障害持った彼が言った「他よりもサポートが必要なだけだ!」何とも切実だけど、正直でかっこいいと感じた。
障害者というだけ人を括ってしまうのは、どこか自分の中で傲りの様な部分があるからなのではないかと感じた。
こんな主人公みたい誰よりも真っ直ぐで誠実な事は、とても素晴らしい。
だけど、現実は、それをする事を受けいられる環境がないよな気もした。
【”君はポンコツではない!立派なヒーローだ!” 発達障害の息子が、一度は自分を見捨てた父親のために行った尊い事。不愛想だが、息子を想う父の姿も素敵な、親子の関係性修復の物語でもある。】
■今作の魅力
・36年前、発達障害を持って生まれたガディ(ネポ・キムヒ)と関係が良くなかった妻を捨てたルーベン(ドヴ・グリックマン)は、妻の事故死により、急遽ガディを”一時的に”自宅のある車整備工場に引き取ることになる。
ー ルーベンが戸惑う姿。それは、そうだろう・・。
ガディはイロイロと拘り(一時になったら、昼食。食事は御飯とオカズがキチンと分けられていないとダメ・・etc.)があり、厄介でもあるし・・。ー
・が、30数年ぶりに一緒に暮らし始めると、徐々に打ち解けてくるルーベンと息子ガディの姿が良い。一度は、施設に入れたが、施設の対応と苛められたガディからの電話を受け、自宅に連れ戻すルーベン。
そして、ガディを優しく気遣い、見守る、整備工場の従業員デデや、近くの食堂で働くデデの恋人アデラ(ガディのお気に入りでもある)。そして食堂を営む、不妊に悩む親族のリタ達の姿が自然で素敵である。
ー 彼らは、ガディを偏見の眼で一切見ない・・。けれど、ルーベンとの関係性を少し心配もしている・・。その微妙な塩梅が良いのである・・。-
・ガディを担当するソーシャルワーカー、イラナの姿も良い。ガディを心配しつつ、ルーベンの一見不愛想だが、心根が優しい所に惹かれていく・・。ソーシャルワーカーとしての立場も貫きつつ、二人を気遣う姿。
・ルーベン自身、身体の変調に気付いているが、ガディの面倒を見るために周囲には告げず、こっそりと医者に通う姿。
イラナから勧められた特別給付金受給のため、ルーベンとガディは行政官の面接を受けるが、ルーベンと別れるのが嫌なガディは”靴ひもを結べないフリ”をする。
・ルーベンの症状は急速に悪化し、末期の腎不全で”直ぐにでも腎臓を提供してくれるドナーが必要”だと、医者に告げられて・・。
だが、ルーベンは愚かしき拝金主義の弟、リタ(血液型が合わなかった・・)に、ドナーを依頼するが・・。ガディからの申し出は拒む。
- 被後見人は、後見人のドナーにはなれない・・。それは、ドナーは”心身ともに健康であることが必要だから・・”と言う行政判断。
友達である父ルーベンを助けるために、”心身ともに健康であることを証明するために、懸命に”靴ひもを結ぼうとする”ガディの姿。
けれど・・。
ガディは、ドナーになるには不適合と言う苦渋の判断をしたソーシャルワーカー、イラナ達に、懸命に訴えるガディの言葉が心に響く・・。”サポートが必要なんだ・・!”ー
<父であり、友だちでもある、ルーベンの命を救おうと、懸命に頑張ったガディ。
そして、一度は逃げ出した施設に戻り、音楽の好きな女の子と再会し、
”靴ひもを自分でキチンと締めて”
立ち上がり、二人で手を繋いで歩いて行く姿・・。
君は、ルーベンがいなくても、もう大丈夫だ。
何故なら、ユーモアがあり、心優しく、いつもニコニコ笑っている君は、皆のヒーローだから・・。>
<2020年12月6日 刈谷日劇にて鑑賞>
靴ひものシーンをいまいちできずにもったいない思いをした。
イスラエル映画が、日本で配給されているという事で、
少し難しいのか、と身構えてしまったが、とても簡単で優しい映画だった。
お父さんが、最初はハンデのある実の子を預かるのを面倒くさがっていたのに、
次第に感情移入するしていく様は、わかりやすく描かれていた。
ただ、タイトルでもある靴ひもを結ぶシーンで、
あれわざと結べないように最初していたのを後で気づいてしまった。
あのシーンでの父の表情やセリフから上手く伝わらなかった。
最後は自分で結んで施設に行くというのは、彼の今後に希望が持てる光景だった。
毎回障害のある役を演じる役者さんは本当に凄いと思う。
役作りにしても、他の役とは極めて違って困難だろうし、
少しの隙も許されないだろう。
生活に他人のサポートが必要な人を発達障害者というのなら、そうでない人なんて殆どいないのではないかなぁ。…そんなことを思うようになりました。
初めてのイスラエルの映画かも、と思ったのと
発達障害者をテーマにしていること。
それが気になって鑑賞しました。
発達障害を持つ息子 (ガディ)
その母子をかつて捨てた父 (ルーベン)
母の突然の死によって、一緒に暮らし始める二人。
二人の間にある、30年以上の空白期間。
母がしてくれたこと。それを父に求める息子。
理解の及ばない息子。ただもてあます父。
とまどいながらも始まる二人の生活。
少しずつ距離も縮まってくるのだが、
父の腎臓に致命的な病が見つかってしまい…
という感じの人間ドラマです。
「発達障害」 をテーマにしているため
それが原因で起こる色々なトラブルも描かれますが
その内容と、それを巡る周囲の反応が
とても自然に描かれており
それがこの作品に 「リアリティ」 をもたらしている
そんな感じを受けました。
◇
最後の場面
母に続き、父を亡くしたガディ
「村」に再び入所し、
以前より気になっていた女性に声をかけます。
周りに頼るばかりだった自分に決別し
未来に向かって歩きだそうという姿に思えました。
腎臓提供を申し出るも審査官に断られたとき
涙ながらに訴えるガディ。
「僕だって、強い心を持っているんだ」
「できることがあるのにさせてももらえないなんて。 ヒドいよ」
※ こんなセリフだったかなぁ …汗
ガディの心からの叫びは、相手の心を揺るがすのに充分でした。
何事も、その気持ちがあれば、これからもきっと大丈夫。
彼らの未来に幸あらん事を。
良い作品でした。
満足です。
◆心に残った場面
発達障害の仲間が暮らす 「村」
に体験入所した主人公。
先住者から嫌がらせをされ
心が弱ってしまった日の夜。
電話をかけてきた父に、ふと漏らす言葉。
「父さんは死のうと思ったことある?」
そのまま切れる電話。
次の瞬間、ためらいなく息子の元へと車を走らせる父。
寝ている息子に
「帰ろう。 うちで暮らすんだ」
ガディの中で、
「父」 が 「大切な友人」 に変わった瞬間
だったのかもしれません。
◆余談 …かも
主人公ガディの年齢?
映画.comの作品紹介では、 50才
作品の中で「年齢は?」と尋ねられて 38才
公式サイトを観てみたら 30代半ば
うーん
どれが正解なのだろう…
主人公の「姉」のような女性(レストランオーナー?)が妊活中
という話からすると、「50才」は違う気がしますが…
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
愛は地球を救う
鑑賞前から24時間テレビのような感じかなぁ、と思いつつ、レビューがいいのでもしかしたらいい意味での裏切りがあるかもしれない…、と期待しましたが…、そのまんま24時間テレビな内容でした
とはいっても、途中クスッと笑わせられましたし、館内でグスッと涙してる人がチラホラいる気配があり、そんな悪い映画でもなかったのですが…、好みではなかったのかもしれません
元々ライフイズビューティフルみたいな映画は苦手なので
予定調和な映画でしたが、舞台がイスラエル!
ちょっと特異。
これだけで見る価値有り
というのは、鑑賞中1つ、とてもひっかかることが!!
デデの恋人の黒人のアデーラ(名前うろ覚え)
ガディがアデーラの優しさに惚れて、父ルーベンに恋心を打ち明けた時、確か『身分違いだ。彼女は黒人だ』と言いませんでしたか?
身分違いと最初聞いた時は、「お前は障害者だから無理だよ」というつもりなのかと思ったら、まさかの「黒人だ」発言
え? それって、まさかの黒人差別!?
そんな堂々と黒人差別!?
いや、もしかしたらユダヤ教徒ではないとかそんな意味?
ん???
少し前に見たパレスチナ側の映画、『テルアビブオンファイア』もユダヤ側がパレスチナを差別していたけど、それはまあ紛争中だものね、と流したけど、またもや出会ってしまったユダヤ人の傲慢?さ…
もしこれが人種差別なのなら、先の大戦で哀しい記憶があるのに、なぜ?、と思いました
透明性が社会を変える
ガディは目立たない障がい者ではなく、目立つ障がい者である。この意味は、ガディと一緒にどこかに出かけたら、周りの人が障がい者ガディにすぐ気づくだろう。まず大きい声をだすし、感情のコントロールはできないからなんでも言う。歩くときは壁に沿った場所を歩くし、人にすぐ声をかける。
私の近所にガディと似た人がいる。名前はAで、一人で住んでいて、時々父親が迎えに来てどこかへ連れて行く。コロナのパンデミックなので、最近見かけないが、どこにいても大声で話しかけてくる。まるで皆が友達のように。よく表にいて陰に潜んでいないから、誰もが彼を知っている。でも、私は彼の父親に会ったことがない。
こういう存在感のある障がい者がでるの映画を観たことがあるだろうか? ザ・ピーナッツバター・ファルコン(2019年製作の映画のザックはダウンシンドロームであるが、https://filmarks.com/movies/81710/reviews/78661019
ガディの方がより大声で多弁であって、ザックとは障がいが違うと思う。
一般的に言って、社会のなかで、身体の障がいを抱えている人は見かける機会はあるが、薬で症状を抑えているような精神的に障がいを抱えている人にあう機会が少ないと思う。それにたいていガディが行くようなメンタル施設に入っているからだ。施設では彼にとって、似たような仲間がいて安全性がかなり保たれていると思う。
ガウディが家庭と住んでいる場合は、家族だけでなく、コミュニティーが協力していかないと。コミュニティーも彼を育てていかないと無理だと思う。彼の良さを発見して(歌が歌えるー歌詞を書いてCDを出す予定と。力持ちであると言っているーサムソンのようにちからがあると)それを反映させられる(食堂でお昼を食べているところで歌える)場所もいる。そして、コミュニティーの一人ひとりにとってもガディの存在は大きくなるし、微笑ましく寛大にみてあげられるようになる。この寛大さが別な意味でも社会を良くしていくと思う。困っている人に一人一人が一声かけることができるようになると思う。
靴紐だが、これを結ぶシーンが3度も出てく。人の手を借りず自分でできるという身しょう者の級を図る目安かもしれないが、最初は重度の障がいの証明により、負担金がいるため靴紐を結ばなかったが、二番目は自分の意思で腎臓を父親、ルーベンにあげる証明をしなければならなく、そのことに焦りとストレスがかかり、結びたくても結べなかった。三番目は自分そのままでいることができるから、だれにも自分を証明する必要がないので、結べた。精神状態が極端に現れる。
好きな言葉は誰かが父親にガディから腎臓をもらえと言ったとき『ガディはこれ以上何かを失えるようにみえる?』と父親が答える。愛の証。
この映画のように人々に寛大さの重要性を与えたり、身しょう者の課題に透明性を与えるテーマはインクルーシブ教育として社会に必要なことだ。
しかし、2箇所、気になった言葉使いがある。それは、
ガディがアデラ(ウェートレス)と結婚したいと言ったとき、父親は、彼女は相応しくないと答える。
その理由は彼女は黒人だからと。ガディは黒人の女の人たちはやさしいから好きだと答える。
もう一つはDr. Huri(フーリ)が医者だとルーベンがいうが、彼の弟はアラビア人?
その反応をみて、ルーベンは病院は彼は臓移植でトップだよといった。私は、パレスチナ側からの映画を良く観るが、お互いの偏見はなかなか消えない。
この映画は全米各地のユダヤ映画祭で上映された作品だ。
サポートしてもらう勇気
公開規模も小さく、また見慣れないイスラエル映画という事もあって過度な期待はしていなかった事もあってかとても見応えがあり、非常に心温まる作品であり涙した。
予告で謳ってる通り主人公のガディは発達障害を持っている。母親の死をきっかけに幼少期に別れて以来の父親と過ごす事になる。
予告を見たとき、そしてこの作品の冒頭の段階では発達障害という部分にフォーカスを当てて作品が展開されていくのかなと思って心が見る準備を無意識にしてしまってる。
それを見事に裏切られそんな偏見を無意識内にしてしまってる事が恥ずかしくなってくる。
ガディはもちろん発達障害である為時には他者から特別なサポートを受ける事はある。それは作中でも幾度となく描かれていた。では健常者は人からサポートは受けないのか。決してそうではない。人は皆弱く1人では生きていけない。人からサポートを受ける事を恥じらいと思うから頑固になり一人で無理を強いても乗り越えようとしてしまう。
ガディの父であるルーベンもまた人に弱さや脆さを見せる事なく強く生きていこうと冒頭では描かれていた。
当初はガディがサポートを必要とする事を理解できず、またその姿を恥じていた。
しかし共に生活していくうえでガディをサポートする事が自然となる。
それはルーベンもまたガディに小さな事でも助けられる、サポートされる事もあったからであろう。
人はこうして他者からサポートされる事で自分もまた他者をサポートする事が当然になる映りゆきが自然に描かれていたのがこの作品のとても美しいところであった。
終盤はルーベンの腎臓が悪化しガディからの臓器移植で悩む姿が描かれていた。最終的にはルーベンはガディからの臓器移植を望み、ガディからサポート受ける勇気をもたらしたが手術の際に感染症を起こしてしまいルーベンは亡くなってしまう。
この作品を通して感じるのは助け合い、サポートし合う事の大切さだ。
完璧な人なんてのは中々いない。弱くて、そして脆くて当然なのだ。
もちろん弱い事を盾に何事からも逃げたり人に甘え過ぎるのは良くない。
ただ時には人から助けを請う、サポートを求める勇気も必要な事がこの作品で感じさせてもらった。
その勇気を得るには人に優しく、そして困ってる人、弱ってる人を助け、サポートする事で得られるのであろう。
とてもいい作品に出会う事ができた。
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