「壁を超えて交流の可能性は?」テルアビブ・オン・ファイア ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)
壁を超えて交流の可能性は?
この映画でイスラエル人パレスチナ人は同じ人気メロドラマ『テレアビブ オン ファイアー』を見て笑ったり泣いたり怒った共有しているが、現実の社会でふたつの人種は交わらず壁を超えて交流はしていないといえるようだ。ウェストバンクのラマラア( Ramallah)にパレスチナのテレビの撮影所があるから、エルサレムから車で通勤しているサラム(Salam)はイスラエルの検問所で身分証明書の提示を求められ、武器や爆発物などを持っていないかどうかの確認される。これが現実の世界。サラムがイスラエルの検問所長アッシに身分証明書を取り上げられ、検問所を通って、家に帰れず他の道をさがして車で彷徨うシーンは私にとって圧巻だ。そこにはイスラエルとパレスチナを分ける高い壁がたちはだかっているだけだから。政治的に作られた壁が妨害して一般市民を拘束していて、イスラエルという国が壁により分けられ自由に動くことができない。
この政治的コメディは滑稽で私を笑わせ、健康にとてもいい。ゲラゲラ笑いながら見終わった映画だ。でも、この中でいくつか感心するシーンがある。
1)サラムという主役:彼はADDのようで、オタク風で自分の感情を顔に表さない、典型的なコンピューターエンジニアのような存在。はっきりいって、今まで脚本を書いたことがなかったから彼の才能が見出されにくかった。最初、何も書けないが最後にタイプのスピードは速くなり、エピソード2を書いている。才能の開花シーンが好きだ。
2)ハムス(Hammus) の話:壊滅的被害を被ったShuafat (エルサレムの町でウエストバンクの近くにあった)という町がイスラエルにとられ、この内戦の間どこにも行けず、サラムは6歳でだった。ハムス缶以外は何も食べられなかったと。1ヶ月は子供のサラムにとって長かったと。アッシを本物のハムスが食べられるレストランに招いてこのことを話すシーン。アッシにとって壁を超えたパレスチナのハムスはなかなか食べられないご馳走だ。壁のこちら側のサラムにはハムスが憎しみに変わっている。
個人的にパレスチナ人の経営する店とイラン人、トルコ人の経営する店のハムスを食べたことがあるが、パレスチナ人の経営するハムスが一番好きで、菜食の私にとってハムスはタンパク質たっぷりのご馳走で、今でもそこに買いに行く。
3)このテレビ番組に、イスラエルの検問所の兵士は『シオニストじゃない』『反ユダヤ主義』だとかいって興味を示さないが、一般市民はロマンチック、ハンサム、というレベルでこのテレビ番組を鑑賞しているのには笑っちゃう。でも、上司アッシーの脚本を兵士達の話すと興味を示さなかった?兵士たちも上司の話すのを聴き始める。上下の社会構造の典型。
4)確かに1969年のテレビ番組でイスラエル将校とアラブスパイが恋に落ちて、結婚するというのはサラムのいうとおり、時代に合っていないかもしれない。サラムはそしてこう続ける。この二人が結婚するには、現実が変わらなければと。これを今我々が生きている時代に当てはめると、現実が変わるのをメディアが待っているように聞こえた。メディアこそ率先して、現実を変えるようにリードしてもいいと思う。メディアの存在がますます増大しているから。
パレスチナとユダヤ人の争いはいつになっても続いている。テレアビブオンファイアーというメロドラマは1969年からの内戦を描いていると。69年のこのテレビ番組の最後のシーンではイスラエルの将校、エデルマンとアラブのスパイ、レイチェルは逮捕されてしまう。
現実問題としても、この民族の争いは続いていて、結婚までこぎつけるカップルはどのくらいいるか知らないが多くないだろうと想像する。このテレビ番組のエピソード2で、検閲官のアッシを使うということで、もっと政治以外のレベル?民衆のレベル?で、民族間の歩み寄りを見せていると思う。検閲官アッシーの伴侶やサラムのガールフレンドを大変満足させるように出来上がっているが、政治以外の社会ではこういう考えが大切にされるのかもしれない.