「マクロスがやりたかったことへの、答え」劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!! ぎんさんの映画レビュー(感想・評価)
マクロスがやりたかったことへの、答え
先ほど見ました。私は以前から、マクロスΔは、見やすさのメリットによりデメリットがあると感じていました。
それは、キャラクターやストーリーが真っ直ぐであるために、表面的なものだけで見がちなのです。
例えば、アニメ本編で、カナメが囚われた美雲を歌声で目覚めさせるシーン。
視聴者は、歌が届いた!で終わることが多い。しかし、彼女たちは生体フォールド波で影響しあっている。美雲が歌に敏感であることは、彼女のルーツ、そして歌が精神に干渉できることを示します。
歌が好き。フレイアが言いますが、歌が好き、という純粋な気持ち。
それは、人工的な気持ちかもしれない。そして、その気持ちが悪用されるかもしれない。
それは既に本編で示されていた。マクロスプラスや2のような危険性がある。しかし、利用する方には正義の女神である。
今回、映画でついに直接の「兵器利用」となりました。ワルキューレ自身ではないが、同等の存在です。
そして、長年監督が答えを出していなかった、歌は兵器じゃない?歌は純粋に聴いて良いの?という問いに、ついに答えが出されたのです。
あくまで、答えの一つでしょう。
歌は、純粋に心で歌って良いのです。
歌は、そのものが純粋に美しい。
それによって引き起こされることもあります。フレイアの結晶化も、敵の死も。
しかし、受けとる人次第なのです。つまり、歌に純粋に感動することと、自分自身の思考を他人に委ねることは、別けられるべきなのです。
それでこそ、文化なのです。
文化を認め、しかし自分自身の生き方は文化に委ねない。
フレイアの生き方は、歌うこと、でした。それは、彼女の人生が歌に汚染されたのではなく、彼女自身が人々との出会いや戦況を通して決めたことなのだと思います。
歌に魅せられ、好きになり、生き方にする。
しかし、決して歌に委ねず、考えることをやめない。
現実でも、軍歌やプロパガンダがあります。マクロスFではアイモOCがありました。現実の様々な事象を見て、監督が感じていることが一つの答えになったのかもしれません。
これは、あくまでも私が映画から感じとった学びです。他にも様々な見方があると思います。