「ドロレスへの手紙」グリーンブック bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
ドロレスへの手紙
制作・脚本のニック・バレロンガ(トニーの長男)が、最初に付けようとしたタイトルは「ドロレスへの手紙」だったらしい。いや、それで良かったんじゃない?ってのが、まずはある。
イタリア移民としてさげすまれているトニーが、黒人を更に差別する姿は、映画の冒頭部。差別されたものが、更に誰かを差別すると言う、根深い差別の構図。共に何かを成し遂げる事で成立する本当の人間関係。互いを尊敬する事が出来る人間が持つ、内面の美しさ。
テンプレなんですけどね。
「結局は白人が黒人を救う話」だと言う指摘が、米国内にはあるのだと。映画をご覧になった方は、覚えておいてほしい。「差別が無くなると困る人達」はアメリカに溢れている。日本と同じ。「問題が解決すると困る人達」「与党が成果を上げると困る人達」「権力は悪でなければ困る人達」などなど。彼らの主張を鵜呑みにするのは自由ですが、それが正に「無知」ってヤツです。
「白人には成りきれない。黒人でも無くなってしまった私は、一体何者だと言うのか?」。ドン・シャーリーの悲痛なる叫び。でも彼は彼自身の口から答えを語ります。「ドン・シャーリーが弾けばドン・シャーリーだけのショパンになる」。人は皆、自分が何者かの答えを求めたがる。あなたの血液型はAだから几帳面です、と言われれば安心する。大切な事は「何モノなのか」ではなく「何をするモノか」。
メリポピでもあったよな。「本の表紙に騙されないで」。ドン・シャーリーは人の心を動かしてしまう力を持つ人で、ピアノを道具として使う。
トニーはドン・シャーリーを天才だと認め、彼の知性と孤独に触れた事で偏見を捨て去る。最愛のドロレスへの手紙は、同時にドン・シャーリーへの敬意でもあり。
ドン・シャーリーはトニーの純真を見抜いて好意を持ち始める。手癖は悪い、品は無い、悪食。だが酒に飲まれない。
アカデミー賞は芸術賞にあらず。最も多くの人のココロを動かし映画の発展に貢献した作品と人に贈られる。十分に資格あるでしょ。
感動と言う意味では、去年のリンクレーターの方が良かった。けど、涙交じりの笑顔で終わってくれた、このロードムービー、とても良かった。
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追記 3/4
自分自身の体験から感じた事を書いておきます。言いたいことは二つ。「欧州とアメリカの差別の構図を同質として見る事はできない」ことと、「オスカー授賞の意味」です。
「最強のふたり」と比較する向きがありますが、根本的に「欧州」と「アメリカ」の差別の構図は異なると感じています。フランスやドイツなどで「肌の色が異なるカップル」を見掛けることは稀ではありません。肌の色が異なるグループが一緒に行動していることも珍しくありません。人種的な差別は厳然として存在します。私自身も、パスポートコントロールでパスポートを放り投げられたことがあります。英語が不自由なことを馬鹿にされることもありますが、北米のそれに比べれば、全く気になりません。肌で感じる段差は、階段の数段程度。むしろ今抱えている最大の問題は「多国籍化し過ぎたこと」じゃないかと思います。誰もが「ナショナリズム」の主張をしたいのにできないジレンマを抱えている様に思えるのです。いわゆる「差別」とは少し違うと思う。
アメリカは酷い。明確な差別意識を感じます。ガソリン・スタンド併設のコンビニやコーヒーショップで黒人店員に「英語が下手な事」を理由に差別的な態度を取られた経験は、一度や二度では済みません。飲食店で「アジア人に肉を食わすくらいならタダでホームレスにくれてやりたい」とか「Glasseeeeees(一緒に居たもの全員が眼鏡をかけていたことを揶揄された)」などと陰口をたたかれたこともあります。
アメリカの州によっては、ある規模以上の企業は、一定数のマイノリティを雇用するよう義務付けられています。それは良いのですが、驚かされるのは「マイノリティ専用のオフィス・休憩スペース・食堂・ロッカー」などを設けることも規定されている事です。グリーン・ブックをご覧になった方は、それがいかに不自然なものであるのか理解できるはずです。法律が「隔離」の存続を規定しているのは絶対におかしいと、私は思っています。なぜ、彼らとのコミュニケーションの機会を奪わなければならないのかが理解できない。
欧州で「友達を紹介するよ」と言われて、連れて来られたのがインド人だった、なんてのは普通。アメリカでは「友達を紹介するよ。インド人だけど、君は気にするか?」となる。
「差別を継続するにもエネルギーが要る。そんなことに労力を使うより、彼らの力を取り込む方が良い」。と言う現実的な判断を、遠い過去にしている欧州。現在、一挙に増えすぎたムスリム・ショックを社会が吸収できずに混乱していますが、時間が解決すると思う。100年単位の時間が必要だと思うけど。
「黒人は差別を受け続けているし、それは決してなくならない」と悲観視し、根本的な解決策を取ることを阻害する団体が利権をむさぼっているのがアメリカ。
(これが日本と同じだと思う。私が知らないだけで、欧州にもあるのかも知れませんが。)
最強の二人の構図は、「知性・年齢・経済力のギャップ」であり、グリーンブックは「弱い者が更に弱いものを蔑視する差別意識」です。この根本的な相違は、欧州(特にフランス)とアメリカの差別の構図が同質でないところから来ていると思う。
「人種問題はAwardへの近道」と揶揄する風潮について。私が審査員であっても、グリーンブックにしたかも知れない。「ともに何かを成し遂げることで差別を乗り越えたバディ達」と言う物語への称賛です。単に差別を取り上げただけではなく、「未来への提言」があるからです。人種問題への理解があるフリしてるだけの審査員も居るでしょう。仮にそうであったとしても、結果そのものを肯定します。普遍的なものとして後世に残したい。類似品が、過去・未来に溢れかえっていたとしてもです。普遍的で正しいメッセージを持つ作品に賞を与える。授賞者の意図は、そう言う事だと思います。
今晩は。
是非、”おちゃらけ路線”8割の、今作のような骨太なレビュー2割で甚だ、勝手ながらお願いしたいものです・・。
私は、爪を能あるように見せるのに必死ですが、”能ある鷹の方”には気が向いた時に”たまーに”本気の爪を見せて頂けると、大変勉強になりますので・・。
では、又。
なんか買っておかないと、本当に飢餓状態になります、お仕事とか一人で居ると。誰かのうちに世話になってれば生き残れるかな、ですね。すっごくわかります。
bloodtrailさん、コメントにコメントありがとうございます!私はこの映画、最強の二人と比べてしまったくちです。でも、北米とヨーロッパは違います、本当に。ヨーロッパでも色々ありますが北米みたいな(多分、南?)システマチックな差別はないです。
今晩は
骨太で、読み応えあるレビュー・・。
”同じような経験はしていますが”bloodさんのような、論理的で説得力ある文章は私には、未だ書けません・・。
映画の内容が鮮明に蘇り、尚且つあの映像が発していた幾つかのメッセージを容易に理解させる、的確な文章。
とても、勉強になります。
では、又。
bloodtrailさん、差別の構造・歴史が北米とヨーロッパで異なるという点、同感しました。北米は滞在したことなく自分のこととしてはわかりませんが、ドイツのことでbloodさんが書かれていたことはとてもよくわかります。
追記観ました。差別意識の件楽しく読ませて頂いたのでコメントを。私の場合は最近タイ旅行中バイキング風レストランにて食べる分だけのカードを事前に買う仕組みの受付レジ。集団で行った為、若いバイトらしき女性店員に「単純な英語でしかも集団で同じ言葉並べてカード頼むんじゃねぇよ。」と目の前にてタイ語で愚痴をこぼされましたね。(その後すぐ、後ろの女性責任者に頭コツかれ、てへっ(≧∇≦)みたいな顔してましたが。)差別というかは種族が違う為の皮肉。全世界裕福化によりこの様なグローバル化は止まりませんね。
琥珀さんへ
コメント、ありがとうございます!
❶は全くその通りですね。この映画では二人が、「肌の色から来る偏見」「粗野な言動から受ける印象」を捨てて、互いを尊敬して行く様が、ちゃんと描かれていて良かったです。
❷は根の深い話ですね。「対象の否定」「他者よりも上にある事(マウンティング)」。突き詰めて言うと、この二つだけを行動規範にすると、テロリストになる。ってのが持論です。
レビュー拝見して思い出したことが2つありました。
❶ドラゴンタトゥーの女の原作『ミレニアム1』でミカエルがリスベットに言った言葉。
友情の定義ってなんだと思う?
相手に敬意と信頼を持つこと。それもお互いに、でなければならない。
こちらは女性への差別がテーマでしたが、差別を乗り越える大事なポイントのひとつだと思います。
❷どなたが書いたか忘れましたが、そもそも敬意や信頼や人を殺してはいけない、といった概念を学ぶ機会がない人たちがいる。ISなどのテロリスト(たぶん、ボーダーラインに出てくる麻薬カルテルの構成員などもそうだと思います)などと交渉が成立しないのはそういう背景もある、という内容のエッセイ。
たくろ~さんへ。
コメントありがとうございました!私にとってイタリアは未踏の地です。出張で度々ドイツへ行ったのですが、あそこにはイタリア人が経営するイタリアンレストランがかなりの数あります。行きつけだった3件で、必ず同じジョークで出迎えられていました。
4人で店に入ったとします。出迎えるウェイターが、「いらっしゃい、あんた達何名? (私たちを指さしながら)1,2,3,4,(自分自身を指さしながら)5。5名様、ごあんなーい!」。多分、イタリア流なのだろうと思います。
ある日、日独男女6名で店に入りました。私たちに続いて、ドイツ人の年配のご夫婦が入店。出迎えてくれたウェイターは、いつもの様に、「1,2,3,4,5,6,」、すると後ろの年配ご夫婦が、自分自身を指さしながら「7,8」、全員がウェイターを指さしながら「9」。アメリカでは、こんなホノボノを感じた経験が、あまりありません。人種偏見の意識は、北米よりもドイツの方が低いと感じました。
現地の人からは、「フランスはもっとオープンで、ベルギーはオープンを通り越して変態」と聞きました。「変態の地」にも行って、滞在してみたいです。笑
今日観てきました。全く同感です。60年代のお話なのに「未来への提言」を感じさせますね。「最強のふたり」と似てるとか、比べる人がいますが、私は「全然ちがうじゃん!」と思いました。私もヨーロッパ(イタリア)に住んでいたことがあるのですが、人種への意識はアメリカや日本とは異質なのかな?と感じていました。
似たような作品があるからと言うのは野暮。いいものはいいっすよね。