「マイさんの描き方についての危険性(性暴力への向き合い方)」十二人の死にたい子どもたち 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
マイさんの描き方についての危険性(性暴力への向き合い方)
マイさんについての描かれ方が、とても心配です。
劇中詳しくは説明されていませんでしたが、この映画がマイさんについて多くの人に与えてしまうであろう印象をある種の典型的なパターン(ステレオタイプ)で挙げてみます。
❶外見と言葉遣いで軽薄そうな第一印象
❷ネットで知り合った中年男性、ということで援◯交際や金銭的報酬を示唆(少なくとも社会通念上の健全な交際ではない)
❸彼女の病気はフレディ・マーキュリーのAIDSに比べれば致死性が低い(だから北村匠海くんに、そんなので⁈みたいに軽く見られる)、軽い病気でしょ?
❶と❷が同一人物に重ねて語られると、男女を問わず、多くの人がそれは自業自得じゃないか、みたいなことを感覚的に思ってしまう風潮があるのではないか。本来罰せられるべきは未成年者を呼び出し、感染リスクを隠してキスを強要した男であり、マイさんは純粋な被害者(犯罪被害者に落ち度があるとか無いとかの判断をしてはいけない)であるにも関わらず。
もし、橋本環奈の役の女性が芸能界の力関係の中で、キスを強要されて、ヘルペス感染している設定だとした場合、自業自得と責める感情が起きるだろうか。
もし、金髪でない優等生タイプの女子高生がネットで知り合った男性にレイ◯された裁判があったとした場合でも、男性側が、
「未成年者だとは知らなかった」
「ネットで誘って会ってくれたのだから、女性側も性的行為を期待しており、当然合意があると思ってた」
「レイ◯というのは性行為のプレイのひとつなので、無理矢理ではありません」
と主張して、結局起訴には至らない事例も多いと聞いています。ましてや、未成年者でなければ、もう大人なのに警戒心もなく脇の甘い女性の自業自得、という、表向きは誰も口にはしないけれど、何か類似の事件が起きるとどこかで加害男性の罪より先に被害者女性を責める思考回路が根強く存在していると思うのです。
北村匠海くんが自分のことを、因果応報、と言ってましたが、対比的に、「マイさんは死ぬような病気じゃないし、自業自得だよね。それでこのメンバーに入るなんておかしいんじゃない?」と言ってるように私には聞こえました。
この映画を見て、このような考え方を具体的、意識的に思う人は殆どいないと思いますが、女性も含めて違和感なく受け入れてる人が多いのだとしたら、性的被害に晒されている女性が、万一の時でも被害届を出しづらい状況がなかなか改善されないと思います。
❸について
病気の軽重は本人がどう受け止めるかの問題であって、致死性や他の人の病気と比べるものではない。
アフリカや中東の飢餓、難民の状況に比べれば、会社におけるパワハラや学校におけるイジメなんてどうってことないだろう。
そんな言葉で当事者が救われることは絶対にないし、そういう意味の無い比較はするべきでないが、この映画でのマイさんの悩みは他の11人と比べたら大したことない、と何となく納得してしまった人もいるのではないか。しつこいようですが、個々人の悩みを比較して論じてはいけないのです。
性的暴力の被害者女性に対する自業自得的な決めつけや個々人が抱える悩み事の深刻さについての考え方について、無意識的に偏った刷り込みを助長するリスクについて、大いに懸念がある作品だと思いました。
琥珀さん、未鑑賞ですが仰る通りだと思います。「レイプされた時あなたは何を着ていた?」カンザス大学がレイプされた時に着ていた服の展示会、レイプされた時に着ていた服のファッションショーを見た際に、露出の多い服装ではありませんでした。少なからず「女性側の自業自得」という考え方は社会的に刷り込みはされていると感じます。
差別とかイジメ、虐待などについて映画界もテレビ業界も気にしてるはずなのに女性が受ける性的暴力の心的・身体的影響についてはまだかなり鈍感な気がします。