「カメラ視点の変化」長いお別れ keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
カメラ視点の変化
認知症の親と介護する家族・子供を描いた作品ですが、このジャンルでは『花いちもんめ。』(1985年)という先達する佳作があります。「おじいちゃんが壊れていく、家族の戦争が始まる」という宣伝用キャッチフレースのように、呆けが進行する社会的地位のある父親と家族との間の壮絶に泥濘化するドラマでした。
高度経済成長ピークのバブル期に、未来に先駆けた警鐘のように描出されたこの社会問題は、「アルツハイマー病」という言葉にまだ新鮮な響きがあり、センセーショナルではあっても、当時はまだそれほど深刻には受け留められなかったように感じます。
30有余年を経て、この問題が広く遍く人口に膾炙するだけでなく、高齢化が加速し実際に身の回りに多く散見さるようになった今、却って直接正面から在るがままに描くのは、露出症的な嫌いとなり、あまりに身につまされるために映画としては憚られるのでしょう。
本作は、発症から最期を迎える7年間の本人と家族を描いたドラマですが、エッセイ風に淡々と事実を綴った叙事詩であり、いわば日記のような客観的記録といえます。
本人の可笑しな所作・言動の滑稽さや大仰さは抑えられ、家族が狼狽える様も限定的に留められています。寧ろ、この7年間の妻と二人の娘の、認知症の夫・父を抱えた制約のある生活日誌という構成であり、そこにはドラマティックな筋立ては殆どありません。
寄せのカットが殆ど無いことも、被写対象を突き放してクールな目で捉えている現れです。本人・妻・娘たちの、多分抱いたであろう苦悩、悲憤、瞋恚、憎悪、困窮、絶望等の剥き出しの感情の奥底の起伏を深くは掘り下げず、即ち情緒的には一切捉えず感情を抑えて決して善悪や正邪を判断しない、やや物足りない気もする訥々とした語り口でした。
このスタンスは、脚本の重心の推移にも顕著です。
前半は全体の関係性の説明のために第三者の客観的視線であり、中盤は家族の介護の中心となり本作の主役といえる蒼井優扮する次女の視点、そして後半は妻・娘二人の各々の視点で、夫・父と己との関係性とそれによる生活の波紋を描いています。ラストは、竹内結子演じる長女の息子という、家族の中で最も遠い縁者の目線で終えており、将に家族にとって静かで穏やかな終焉でした。
それにしても、殆ど台詞がなく、動作も少なく、表情に変化もないにも関らず、フレームに入るだけで画面全部をそのオーラが覆い尽くしてしまう、呆けた夫・父役の山崎努の圧倒的存在感は印象的であり、本作の基調となっていたと思います。