「寅さんのいない寂しさを共有する」男はつらいよ お帰り 寅さん REXさんの映画レビュー(感想・評価)
寅さんのいない寂しさを共有する
東京国際映画祭で鑑賞しました。
感想から述べると、本当にいい映画でした。涙が止まりませんでした。
語彙力が乏しい自分が恨めしいのですが・・・エンドロールでは文字通り、泣きっぱなしでした。
こんなに笑って泣いて、泣きすぎて懐かしくて胸が締め付けられて、ああ、私って本当に寅さんが好きなんだなぁとつくづく感じました。私の中で、架空の人物でこんなに恋しく思えるのは寅さんだけかもしれない。
それは渥美清という俳優そのものが好きだということにもつながると思うのですが、渥美清さんが私生活を一切見せなかったことで、より渥美清=寅さんが一体化して、寅さんの存在感が現実味を増したとも思うんですよ。
だから、私およびファンの中では寅さんはファンタジー性がないんです。誰の親族の中にも一人はいそうな「ちょっとだめなおじさん」が、本当に存在してしまってるんです。だから、「便りはないんだけど、どうしてるのやら」とでもいうように、ふと思い出したときに強烈に恋しくなる。寅さんを思い出すときに一種の郷愁を帯びるのは、「子どもの頃はよく遊んだのに」という子どもの立ち位置に自分が還ってしまうからなんです。少なくとも、私はそうです。それは満男そのもので、私は満男を疑似体験しているようなものなのかもしれない。
で、本作も満男が主役です。満男は7年前に奥さんを亡くし、めちゃくちゃいい子に育った娘と一緒に暮らしてます。脱サラして、作家として一歩を踏み出してヒット作がうまれ、サイン会まで行うほどになります。
後藤久美子の演じるイズミはばりばりのキャリアウーマンなのですが、台詞の読み方が初期のゴクミの大根役者ぶり(失礼!)にそっくりで、歳を重ねたのでもっとうまく演技できるはずだろうに、あえてその頃に寄せている感じがしました。それが国際社会で活躍していて、たまに日本語が辿々しくなる女性像とマッチしています。満男は寅さんのようにアグレッシブではないですが、肝心な所で躊躇したり曖昧な態度を取るところが非常に寅さんに似ていて、DNAを継いでるなぁと思わせて笑えます。そして、優しいところも。
で、満男の出版社の編集担当者役・高野演じる池脇千鶴が非常にうまい。満男との距離を壊したいような一線を越えたいような、もどかしい女心と空気感を表現してます。
カフェとなった「くるまや」のなかで登場する色々なアイテムやシュチュエーションから思い出される、寅さんのいた日々。
誰も「寅さんはどこにいるのやら」など、寅さんが実際どうなったのかという直接的な台詞は言わないんです。
ただ、思い出す。それがヒロインや名場面とともに挿入されるんです。寅さんを取り巻く家族やリリー、友人たちと、その思い出を一緒に共有しているようで、切なくてたまりませんでした。
寅さんのいない喪失感から逃げずに受け止めるようなラストに、心の底から感謝しました。
みんなの心に寅さんをよみがえらせてくれた監督に、本当にありがとうと言いたいです。