「原作は司馬遼太郎の小説『峠』(未読)、監督・脚本は小泉堯史。 20...」峠 最後のサムライ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
原作は司馬遼太郎の小説『峠』(未読)、監督・脚本は小泉堯史。 20...
原作は司馬遼太郎の小説『峠』(未読)、監督・脚本は小泉堯史。
2019年に完成していたけれども、コロナ禍で幾度かの公開延期。ようやくの公開となります。
幕末の動乱期の越後長岡。
家老・河井継之助(役所広司)は幕府側、朝廷側のどちらにも属することなく、中立の立場を目指していた。
どうであれ、戦は回避、民の平安を守り抜くことがあるべき姿であるとの信念であった。
しかし、朝廷を担ぎ出した薩長軍との交渉は決裂に終わり、戦は回避できなくなってしまう・・・
という物語。
登場人物は多々いるが、あらすじを書くと、これだけである。
映画の焦点は主人公・河井継之助にあてられ、妻・おすが(松たか子)のモノローグで映画がすすんで行きます。
幕末を舞台にした映画というと、勝者・敗者の別にかかわらず、英雄的な人物の豪快な活躍が描かれることが多いが、この映画では、そこいらあたりはあまりない。
妻のモノローグで語られる物語の前半は、継之助・すがの夫婦の物語。
お座敷での夫婦揃ってのカンカン踊りや、自宅座敷で並んで聴くオルゴオルの音色など、寄り添い同じ方向をみる夫婦の像が印象深い。
振り返ってみれば、監督・脚本の小泉堯史の映画は『雨あがる』『阿弥陀堂だより』『博士の愛した数式』と、いずれも夫婦の映画であった。
本作も、その延長線上にある。
後半は、意に反して戦となった長岡の物語。
多勢に無勢といってもよいぐらいの戦力差がある戦であり、負け戦は決定的である。
唯一、米国仕込みのガトリング砲を使って反撃する描写ぐらいしか、長岡側の勇猛果敢な描写はない。
映画的に、この後半が、観ていてしんどい。
戦相手の薩長側の兵をほとんど写さないのは演出上の工夫かもしれないが、煙幕越しの戦闘だったり、と同じような絵面が続く負け戦なので、ほんとしんどく、もっと短くてもよかったのではないかしらん、とも思った次第。
(ま、戦のシーンを削ると、あまりに地味すぎる幕末映画になって、商売にならないかもしれないのだが)
ということで、個人的には前半は感心したけれども、後半はあまり気乗りがしませんでした。
タイトルも『峠 最後のサムライ』というよりも、『峠 継之助とその妻すが』の方が相応しいかな。
主人公の背景などあまり描かれていないのだけれど、役所広司の存在感だけで納得させるような演技でした。