パッドマン 5億人の女性を救った男のレビュー・感想・評価
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インドのメロドラマの本気とその先。
因習にとらわれたインドの女性のために、安価な生理用ナプキンの生産と普及に努める男“パッドマン”の実話をベースにしたサクセスストーリーだが、ジャンルをひとつに限定することができない貪欲さはインド映画ならでは。本作もコメディ、社会派ドラマ、メロドラマが複雑に絡み合っている。面白くて楽しくて、それでいて胸を打つ感動作として傑作認定した上で言及しておきたいのが、この映画のメロドラマとしての秀逸さだ。
この映画のラストで、主人公とヒロインは別れる選択を迫られる。お互いに身を引かなくてはならないと納得した上であるだけに、切なさもひとしお。そしてこの映画の凄みを感じたのが、ふたりの別れが、主人公が成功へと駆け上がるハッピーなエンディングと同時進行であること。社会的にも認められ、故郷に錦を飾り、愛妻も取り戻した。映像も音楽も幸福感に満ちているが、観客には二人が犠牲にしたものの大きさがしっかりと感じられるのだ。憎い。巧い。このラスト、たまんねえな。
パッドマンという名のスーパーヒーロー
予期していた以上に、本当に素晴らしい映画だった。私がインド映画で一番楽しみにしているのは恋愛パートの歌なのだが、これもきっちり入っていて大満足。
主人公・ラクシュミが妻・ガヤトリに惚れて惚れて惚れまくって、その末に結婚したんだ、っていうことは大事な部分。それを普通に台詞や芝居でやると控えめ過ぎたり、あるいは嘘臭いほど過剰だったりするせいで、イマイチ伝わらない残念な感じになることもあるのだが、その点歌はイイ。
大袈裟な愛の台詞も歌詞なら気にならない。
愛する妻・ガヤトリと片時も離れたくないラクシュミだが、「女の穢れ」のせいで一人寝を余儀なくされる。嫁を貰うまで現象すら知らないラクシュミに対して、「トライアウト」と揶揄する近所の少年は現象自体の知識はある。
インドが内包する「格差」の一つが序盤から明確に示される。
ひたむきに妻の為を思い、その思いがやがて「ナプキンの自作」という突拍子もない行為へと繋がっていく。
言葉足らずな面はあるものの、ラクシュミの純粋な思いと、それを許さない伝統的な価値観のギャップはとても歯痒い。
しかしそれは観ているこちらが「あって当たり前」の世界の住人だから、なのだ。
「ないのが当たり前」の世界の住人たちは、高過ぎるナプキンの使用を躊躇い、女の領域に立ち入ろうとするラクシュミを不審に思い、守ってきた伝統を破壊しようとする異物を拒む。
それも考えてみれば当然の事。当然だから、歯痒く、辛く、心を揺さぶられる。
ラクシュミがパリーという良き理解者・パートナーを得て快進撃を重ねる様子はまさに爽快。顧客と従業員、知識と雇用が拡大していく様子は、本当に胸踊る気持ちがした。
一見すると「生理」関連の事だけを取り上げている映画のように見えるが、インドという巨大な市民を抱える国家の問題点が色々とリンクしていて、本当に興味深い。
問題だらけだからこそ、その問題を解決する事が大きなビジネスに繋がっていくし、国そのものを大きく育てることに繋がる、という明確なメッセージを、さらに拡散させていこうという製作側の意識にも素直に感動させられる。
最後に、ラクシュミが自分を支え続けてくれたパリーではなく、ガヤトリの元へと戻るエンディングについて。
ラクシュミのそもそもの動機が「ガヤトリを守りたい」というものである以上、どんなにパリーが魅力的な女性でも、どんなにパリーがラクシュミの理解者だとしても、ガヤトリの元へ帰るエンディング以外はあり得ない。
いや、私もパリー派だよ?パリーとイイ感じになったことも微笑ましく観てたよ?
ただ、パリー自身も自分の父に対して告白したように、「愛する人を守りたい、その笑顔を守りたい」という純粋さを失ったら、多分ラクシュミはパリーにとっても「特別な人」ではなくなってしまう。
インドの先進的女性の代表格のようなパリーに、幸せになって欲しい気持ちは痛いほどわかるけど、やっぱりラクシュミがラクシュミである特別さ、というのはガヤトリへの献身的な愛抜きには語れないよね。
このちょっとやるせない感じも、「パッドマン」の良さかな、という気がする。
『教養はないが感情がある』
サタジット・レイの『大河のうた』に出て来たロケ地がそのまま使われている。今ではサタジット・レイと言ってもあまり知られていないだろうが、淀川長治先生はチャップリンと同じ位好きだったはずだ。この映画はその要素がなんとなく含んでいる。つまり、インドの昔からのメロドラマが基本なのだろう。しかし、主旨に共感する。空気が読めない変態男ではない。いささか、脚色された部分もあろうかと思うが、男目線の罪なきフェミニストだ。
ナプキンでここまで話を作るのか?と笑ってはいけない。よく考えれば、全人類の約半分がそれに悩まされているわけで、本来は当たり前のことなのだろう。月や火星に人間を送り込もうとしているのに、女性は未だにナプキンを使っている。
さて、
ピルと言う薬がある。避妊薬である。この単語を口にすると、おかしな目で見られる。しかし、ピルは生理痛によく効くと言った事が確かめられている。
女性が国際宇宙ステーションに滞在なんて言う話で、女性の地位向上を喜ぶのではなく、ナプキンの要らない『何かを』を発明する女性は出て来ないものだろうか?それでこそ、女性の地位向上の繋がると思う。
追伸 エジソンを発明王とするが、彼はいくつかの発明はしたかもしれないが、教養はあったが、感情はなかった。いやいや、お金に対する感情しかなかった。だから、彼は発明王と言うよりも、偉大なる実業家と見ている。ノーベル賞を授けるなら、ノーベル経済学賞だと思う。
この映画の主人公もある意味実業家なのだが、彼には感情があった。つまり、女性の雇用まで、視野に入れている。日本では『ヤクル○レディ』なのだろう。だから、新しい経済を考えたと言う事で共感をしたい。
追追伸 インドの女優さんは綺麗だなぁ。みんなトレーシハイドみたいだ。
本当は5でもいい
ラストがなぁ。
インド映画にありがちな選択。
革命を起こした人ならば、
ちゃんと支えてくれた人と
幸せになって欲しいもの。。
なんで?良い結末に連絡してくるなど
当たり前にダメだから。
それよりも、苦楽を共に
一緒だから上手くやれて来た人と結ばれるべき。
まだまだ最後、インド映画は人生を変えて一緒に頑張って来た人よりも、元鞘に戻りがち。
ラストは納得いかない。
後半のスピーチ終わりまでは良かったのに。
拍手
ちょっと前に公開されていた映画ですが、上映期間中は忙しくて映画館に行けず、、(涙)
今回はスマホの小さな画面で鑑賞しました。
結果、これは映画館で観たかった〜!!
インドは今でも男尊女卑の文化がある社会と聞きますが、日本の生理の歴史とインドのつい最近までの生理事情はとても似ていました。例えば生理が穢れたものとして扱われていること、女の子が初潮を迎えればお祝いをするところ、生理がある女性は家族のいない外の部屋に5日間とほど隔離されること。
昔の日本でも穢れとして生理の女性は月経小屋に隔離されていました。生理のときに使用していた下着も日光に当てて干せないとか、衛生的に良くないのに。
今の日本では考えられませんが、本当にこの国でもあったことです。生理に関しては今でも良いイメージはありませんが、この映画のテーマになった生理用品が広まっていない頃のインドでは、男性から生理の話題をされるのはとても恥ずかしくて辛いことだったんだと思います。
主人公のラクシュミは奥さんへの愛が溢れんばかりで、奥さんはその優しさが分かっているからこそ、男性であるラクシュミが女性の生理に触れさせるのが申し訳なかったり、恥ずかしかったり、理解できなかったことが辛かったんでしょうね〜。
女性自身も生理に対する文化的な偏見があって、男性には知られたくない恥ずかしいことと言う思いがあるので、そんなインドの女性たちからしたら、ラクシュミは「生理ってどんな感じなの?ねぇ、生理ってこれ使うんでしょ〜」って言いながら近寄ってくる変態的行動にしか見えなかったんでしょうね、、、100%善意でラクシュミがどんなに良い人なのか知っいてる視聴者の私は、観ていてとても辛かった。
今でも女性には女性にしか言えないことってあります。
生理もその話題のひとつです。
周りに理解して欲しいなら、女性側ももう少しオープンになる必要もありますよね、隠しながら、理解してよ!っておかしいですから。
とても勉強になって泣ける映画でした。
おじさん主人公にこんなに胸を締め付けられるとは、、
今後なにか機会があれは映画館でぜひ観たいです。
悪習から女性を解放する第一歩
2001年インドの小さな村で愛妻と暮らし始めたラクシュミ。血=穢れという考えから生理中の女性は家の外に出すのが一般的であり、女性側もそれを当然としている。
ある日、妻が生理の処理に不潔なボロ巾を使っていると知ったラクシュミは、清潔な生理用品を求めて大枚をはたく。しかし慣習に縛られた妻は使用を拒否。それでも町医者にかかる十人に一人は不潔な生理処理によって病気になった女であると知ったラクシュミは、愛する妻や妹達に清潔で安価な生理ナプキンを届けられるようナプキン開発に乗り出す。
しかし旧態依然としたインドの片田舎では、生理について話すこと・男が生理に関わること事態が恥ずべきことだと思われており……
面白い!ビジネス本来の「人の暮らしを豊かにする」ことを価値とした主人公の提案が認められていくサクセスストーリー。
失敗しても、すぐに次の手を考える前向きさを持つ主人公を応援したくなります。
驚くのはこの物語の開始時点で21世紀だという所。おそらく今も場所によって、このような血を嫌って生理を忌避する文化的慣習は残っているのではと思います。
日本でもあまり公にしない恥ずかしいもの、男性には相談しないもの、という風潮はあるので、笑えない部分があります。
パッドマンというタイトルなのでつい「インドの女性を生理の煩わしさから解放した」という点に目が行きますが、途中出てくる暴力夫から逃れて自立のためナプキン工場で働き始める女性のエピソードなどから、この映画の本質は「インドの悪しき風習に縛られた女性の解放の第一歩」というところにあると思います。
風習に縛られているのは男性キャラだけではありません。作中出てくる妻や妹達などもそうです。「周りの目があるから」ナプキンを使うわけに行かない、男性とナプキン製造に関わるわけに行かない。この問題は生理など知らない子どもや女性協力者パリーの登場で解決していきますが、地元は最後でも決してラクシュミの偉業を本質的に認めたわけではないでしょう。「世界的な大きな舞台で大きな賞を貰った栄誉」に酔っているので歓迎されますが、血を汚いと思うこと、男尊女卑がまかり通る風習などは残ったままだと思われます。
そういう意味で、この物語は現代への問題提起の第一歩であると感じました。
描かれるロマンスについて、物語は一見パリーが進歩的な理解ある女性で、妻はラクシュミの気持ちに無理解だと思えます。
ですが、実は彼女は何度も周囲の目を気にしながらもラクシュミに協力しようとしています。実家に帰って家父長制をかさに着た兄にラクシュミとの離婚を迫られてもしなかった。「生理について話すのは恥」という慣習に縛られながらも、彼女なりにずっとラクシュミを想い続けている。それはテレビに出たラクシュミの活躍内容「まだナプキンのこと?」よりもまず彼のしまわれたシャツ「誰がしまったのかしら」に着目するところからも読み取れます。
ラブロマンスの行方としては、そうあるべき二人がくっついた。そうなる方が好きな彼のままでいてくれるはずと、パリーもよろめきかけたラクシュミを明るく突っぱねた。
主人公こそ男性ですが、いろんなしがらみと闘ういろんな女性を描いた名作だと思います。
インド映画なかなか
インド映画観るのは4作目くらいか?なかなかおもしろい。最初に使ってくれた女性と結ばれて欲しかったな。それぐらい彼女は彼を救って助けた人だと思う。妻はきっかけだったかもしれないが、足も引っ張った。友人も素敵だった。
愛する妻のため
愛する妻のためにそこまでできるのか、関心した。製品として完成しても、出身地の人たちは、なかなか認めてくれない。賞を受賞した後、違う人生を選ぶこともできただろうに、そうしなかったのは、自分の原点に戻りたかったからだろう。個人的には、納得のラストだった。
男性は全員、観ませんか。
習慣に捕らわれず、目の前の事実と向き合い、周りに流されず、思考を働かせる。いつの時代も「考える」者が、行動をする。周りに合わせない=異質な者と視られるが、単にその思考に追いついていない。理解しようとしない。慣習にさらされ、幼いころから刷り込まれた知識で、小さなコミュニティで生きてきたのだから、「悪」でもない。
思考を停めた時点で、それ以上の発展はもたらされない。「考えようとしない」ことが、よくない。それを、ラクシュミはわかっていた。
このままもし妻が病気になったら、妹が病気になったら、自分が許せない。
妹がいたはずだが、これまで家の中ではさほど気にしなかった。だが、結婚して初めて、女性の抱える問題を身近に感じた。妻が、2001年には因習となったにならわしに捕らわれている。そこに「ナプキン」という改善策があるのに、病気という危険に直面しているのに、『何もしない』わけにいかない。『守る』と誓ったから。
なんと男気のあふれることか。ただ『守る』という目的のために、世間体も恥も外聞も気にしない。『守る』ために闘った、男の話。攻撃的なヒーローというより、ガーディアン(守護者)みたいな印象です。かっこいい。
最高?普通?最悪?…最高! 彼こそ、本当のヒーロー!
インドから、ヒーロー映画がやって来た!
え? どんな特殊能力を持っている?
いえいえ、彼は至って普通の男。
でも、正真正銘のヒーロー。
インドで安全で安価な女性用生理ナプキンの開発と普及に貢献したアルナーチャラム・ムルガナンダム氏の実話に基づく物語。
…と、ただ言ってしまえばそれだけ。
しかし、本当に苦労の連続だった!
きっかけは、妻だった。
毎月訪れる女性の“アレ”。その時妻が汚い布を使ってるのを知って、ラクシュミ(物語や人物は一部脚色)はショックを受ける。
ちゃんとしたナプキンを買おうとするが、驚くほど高価。
それでも妻の為にと友人から金を借りてまで買うが、逆に妻に咎められる。
こんなのに大金を使うなら、食費や生活費に。こんなのに大金を使うくらいなら、今まで通り布でいい。
納得いかないラクシュミ。ならば、作ってしまえ!
友人からクリーンな綿や布を分けて貰い、見よう見まねの自家製ナプキン。
早速妻に使って貰おうとするが、妻はこれに酷くショックを受ける。と言うのも…
インドでは女性の生理について触れるのはタブー。
“恥”であり“穢れ”。その間は家にも入れない。
ましてや男がその事やナプキンに触れるなんて…。
また、この当時(2001年)のインドに於ける女性のナプキン使用率は僅か12%。汚い布や紙や葉っぱを使い、時にはそれらが原因で感染症や不妊になる事も…。
ただ妻の身体を思い、良かれと思って始めた事なのに…。
妻からOKを貰うまで、ラクシュミは試行錯誤を繰り返す。
密かに身内に使用して貰おうとしたり、医学生にリサーチしたり。
発明あるある。自分で実際に使ってみたり。(どう使ったかはご想像にお任せします)
が、ある失敗で、ラクシュミのやってる事が村中に知れ渡り…。
フレンドリーで真面目で、家族を大事にする立派な男だと思っていた。本当は、頭のおかしいイカレ野郎だったのか。
村中からは、ヘンもヘン、大変態。
身内からは、恥も恥、大恥。
まるで殺人でも犯したような大罪人扱い。
こういう場合、妻だけは唯一擁護してくれるものだが…、その妻が夫を恥じている。
こんな恥と辱しめに晒されるくらいなら、死んだ方がマシ、とまで…。
村中、身内、妻からも見放され、ラクシュミは村を出ていく…。
自分の家族や人生や幸せをメチャクチャにしたナプキン。
もうナプキンなど二度見たくもない!…と、普通は思う所だが、ラクシュミは諦めない。
よりいいナプキン開発を続ける。それこそ、何もかも犠牲にしてまで。
どうして、そんなにも拘る…?
拘りたいからだ。
ここで諦めてしまったら、これまでの事は何だったのか。
それに、妻一人も守れない男なんて男じゃない。
確かに、男が女性用生理ナプキンを作る。
非難や軽蔑の格好の標的だろう。
でも、それがあるという事は、それを作った者が居るという事だ。
偶々それが女性用生理ナプキンだっただけ。偶々それを作ろうと思い立ったのが男だっただけ。
それの何処がおかしい? 何処がヘン?
寧ろ、女性の身体の自然的な現象を恥や穢れとし、そんなのには汚い布でも使ってればいいといった風潮の方こそおかしい。
誰かが、これじゃダメ、これじゃおかしいと気付く。
誰かが始めなければ。
諦めず、失敗や試行錯誤、苦労を続け、やっと理解してくれる協力者が。
ある大学教授の息子のパソコンから、ナプキンの原材料を知る。
その大学教授から、ナプキンを作る製造機を購入するよう薦められる。
原材料は購入出来ても、さすがに製造機までは購入出来ない。
ならば…
自家製ナプキンの時同様、製造機を作ってしまえ!
ラクシュミは元々工房務めの腕のいい職人。
製造機の原理を自分なりに分かり易く理解し、見事作ってしまう!
そして、最大の転機が訪れる…。
自立した都会的な女性、パリーとの出会い。
出会いのきっかけは勿論、ナプキン。
ナプキンを自分でも作ったというラクシュミに好奇心と関心を持つ。
彼女の薦めで、開発したナプキン製造機を発明コンペに出品。
すると…、何と見事、大賞を受賞!
やっと彼のやって来た事が認められた!
特許を取り、会社やブランドを立ち上げて世界中に売れば、億万長者に。
めでたしめでたし。
…と、本来はなるのだが、
ラクシュミはそんな億万長者になれるチャンスを捨てる。
もし、そんな事をしたら、せっかく安価を目指して作ったナプキンの値が上がってしまう。
自分はそんな金儲けの為に作ったんじゃない。
ただ、多くの人の安全の為に、安く買える為だけに。
バカが付くほど私利私欲の無い男なのだ。
ラクシュミはまた地道にナプキンを使って貰うよう各地を歩いて回る。
が、やはりまだまだ抵抗や偏見が付いて回る。
そんな時再び力を貸してくれたのが、パリー。
ラクシュミは発明家。物作りには長けてても、物を宣伝したり売ったりする事までは…。
ましてや女性の性に関するもの。
女性で尚且つ社交的なパリーの存在が物を言う。
何でもかんでも一人では出来やしない。
サポートしてくれる人物が必ず居る。
ラクシュミにとってパリーは、その名の通り、導いてくれた“妖精”。
ラクシュミ、つまりムルガナンダム氏の功績は、安全で安価なナプキンの開発だけではない。
それを作る為、女性に働く場を与えてくれた。
インドと言えば他の映画でも触れられていた通り、男尊女卑社会。
女性の社会に於いての地位や立場は著しく低い。
そんな女性たちに自立の場を。
本当に二重に頭が下がる。
いつの時代も前例の無い何かを始める時は必ず非難の的。
それを切り拓く。
自分の為じゃなく、誰かの為。多くの人の為。愛する人の為。
功績が認められ、ラクシュミに国連でスピーチの依頼が。
たどたどしい英語でスピーチするラクシュミ。
ユーモアも交え、しかし熱く、感動的なそのスピーチは、ラクシュミの人柄や全てを物語る。
やはりインドは世界随一の娯楽映画の帝国。
インド映画としては比較的短めの140分(他国の映画だったら充分長尺)の中に、主人公の伝記/サクセス・ストーリーを軸に、笑いや感動、社会的な問題を織り交ぜ、全く飽きさせない。本当に面白い!
監督は新鋭らしいが、とてもそうは思えない手腕。
主演アクシャイ・クマールの熱演も素晴らしい。
切なさも。ラクシュミとパリーの間に仄かな感情が。
ラクシュミは妻を心から愛している。パリーも一時のただの高ぶった感情と言うが…
別れの後、ラクシュミの人柄や想いを語るシーンが涙を誘う。
演じたソーナム・カプールもインド美人。
妻への愛が始まりだった。
それが多くの女性の為となり、自立の場も与え…
誰にも真似出来ない苦労の連続とその乗り越え、功績、決して諦めなかった信念…
彼をヒーローと呼ばずして誰をヒーローと呼ぼう。
本当のヒーロー。
その名は、パッドマン!
あっという間の140分
夏にインド周遊旅行に行ったこともあり、思わずレンタルしましたが想像していたよりずっと良かったです。インドの映画は長いものが多く途中で飽きることもありましたが、本作はストーリーが面白くてあっという間にエンディングでした。少し現実的でない部分もあり、やはりフィクションも入ってますがそれでもいい話でした。最後は、やはりモトサヤで、ラッキーすぎない男だったことが良かったです。都会の女性までゲットしてたら作りすぎになるところでした。
ラクシュミと結婚したい笑
奥さん羨ましい…
というか、奥さんもうちょっとラクシュミのこと分かってあげて〜
結果的には報われてよかったけど…
けど、けど、
最後はパリーとくっついて欲しかったな〜 モヤモヤ
最後のスピーチはとても心打たれた。
女性の自立が経済を支えるというのも、これからの時代、特にインドのような新興国や途上国においては重要課題であり、この映画によってインドから全世界にメッセージを発信されたのはいいことだと思った。
はじめてのインド映画なかなかよかった。
長く、独特ではあるが、これからも機会があれば観に行こう。
2019.1.10鑑賞
真価は後半に
まぁ例によって長い。長いがこの映画の真価は、多く紹介されている前半でなく、ナプキンを開発して以降の後半部にある。逆に言うと、開発までの苦労話はある意味ありきたりだったりして…
彼の発明の本質はむしろパリーとともに生み出したビジネスモデルにある。女性を二重三重の意味で救うビジネスモデルにこそ。
そして白眉は国連でのスピーチ。ラクシュミの魅力を余すことなく伝えているし、彼の想いに涙が溢れてくる…
やっぱり長いけど…ww
今、彼を留めてもだめになる。
インドの偉人伝でした。
前半は、
結婚したばかりの妻ガヤトリとの
ラブラブで、微笑ましい。
いかに彼が
愛してるかがわかります。
一転
愛するガヤトリのために
始めたナプキンの開発が
周囲や家族、妻からも
拒否され地域から異端視
されてしまいます。
ドン底…
諦めない彼に、
ユーザー第1号の女性が味方に。
賛同した
学歴ある学生のパリーは
就職先を蹴って
地域での地産地消モデルに
彼と共に奔走する。
やがて、
パリーの協力で
社会から認められ、
国連講演でのパフォーマンスは
胸をうちます。
村から追われても
貫いた思いは
女性を開放するという
博愛精神であることが
すごく伝わります。
~お金稼いでも、笑うのは自分だけ
いいことすると、大勢の女性がわらう。
俺は国のため、
たくさんのことをやりたい。
今のインドは女性18%だけナプキンつかう。100%にしたい。
インドを完ナプキン国に。
この後、
パリーは身をひくのですが
このくだりが、
本作で唯一残念だったところ。
社会が認めないときに、
去っていったガヤトリと、
ドン底のときに苦楽を共にしたパリーで、
今後の人生を歩むなら
どちらなんだと考えさせられました。
パリーでは…😒
社会的には妻が正解なんだろうか。
救いは、ガヤトリが彼はいつか
帰ってくると
信じていたところかな。
けれど、
思いとしては、
社会観念が変わったから
一緒に暮らすのではなく、
社会観念が彼を許さないなら
一緒に村を去って
彼と共に生きて欲しかったですね。
そもそも、自分のことで
彼が思い詰めているのを迷惑
としているのが残念。
育った環境での基本思想が、
夫より家や血縁を重んじるように
優先づけされているから
仕方ないのかも知れないけども。
空港でのラクシュミのセリフ、
タクシーでのパリーの別れのセリフ
がつらい。
~今、彼を留めてもだめになる。
偉大な功績の陰には、
たくさんの思いで
成り立っていることが
感動につながりました。
ずっと前向きだったラクシュミに
素直に感動しました。
おすすめ。
泣いた。
何となくタイトルと内容をネットで見て、
不思議な映画だと思い観に行きました。
初のインド映画、実話という事で
真剣に観ました。最初から最後まで感動し
飽きる事はありませんでした。
また、主人公が何度も変人扱いされても
諦めない姿勢を見て泣きました。
えっ、何でこの映画作ったの?と思わず
観に行ってください。凄く良い映画です。
ソーシャルイノベーションの教科書のような映画
ソーシャルイノベーションの教科書のような映画である。
以下は本作のモデルとなった“パッドマン”本人を紹介する動画である。本作の理解の一助となる。
https://youtu.be/-bVkk3TcEb8
ほか、TEDの動画もおススメ。
「どうやって私は生理用ナプキン革命をはじめたか!」
https://www.ted.com/talks/arunachalam_muruganantham_how_i_started_a_sanitary_napkin_revolution?embed=true&language=ja&utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare
パッドマン=ラクシュミは妻ガヤトリを娶り、幸せな生活を送っていた。ある日、生理中の妻がボロ布のようなものを洗って干しているところを見る。
これに驚いたラクシュミは薬局でナプキンを買うが、非常に高価だった。
ラクシュミはナプキンの自作を始める。
妻を想ってナプキン作りを始めたラクシュミ。
しかし、壁は技術的なこと以上に、インドの人々の意識や因習にあった。
当地において生理は「穢れ」「忌むべきもの」と捉えられ、生理期間中の女性は家族からも離れて暮らす。そして女性であっても、生理のことを口にすることすら避ける風潮があった。
一方で、不衛生な生理用品を使うため病気になり、若くして子供を産めない身体になる女性もいるという。
ラクシュミがおこなったことの意義は、単に安価なナプキンを作って、女性の、生理における衛生環境を向上させたということには留まらない。
何よりもまず、女性たちに雇用の場を提供した、ということ。
上記の通り、インドでは生理の話題は嫌われる。ラクシュミがそうであったように、男性が関われば「変質者扱い」すらされる。
そこで女性の出番だ。ナプキンの製造や販売を女性たちの活躍の場としたのだ。
貧しい農村地域では、子供を学校に行かせることが出来ないこともある。しかし母親は、たとえ家計が苦しくても子供には教育を受けさせたいと願っていることが多い。
本作でも収入を得た女性が、「これで子供を学校に通わせられる」と言って喜ぶシーンがあった。
インドは男尊女卑の価値観が色濃い。家計は男が握っている(女性にはカネ勘定が出来ないと思っている男性も多いのだろう)。
女性が仕事を得る、ということは、女性も家計に口を出せるようになるし(上述の通り、それは就学率の向上効果につながる)、何よりも女性の社会参画、社会的地位の向上を促すことになる。
また、本作のストーリーを追えば、男性だけでは出来ることが限られる、ということも分かる。社会的な課題の解決には、女性の助け、女性ならではの視点が不可欠であったことも示されるのだ。
この映画の価値は、こうした社会課題解決のプロセスを、笑いあり涙ありのエンターテイメントとして成立させたことにある。
本作の関心が社会課題解決にあることは、中盤、物語の転機となる工科大学のアイデアコンテストでの審査員のスピーチを初めから終わりまで流したことでもわかる。
そのスピーチはまさしく、ラクシュミのおこないを価値付ける役割を担っていた。
クライマックスはラクシュミの国連でのスピーチだ。
彼の英語は、ものすごくブロークン。というか単語の羅列。それでも、伝えたい想いの熱さが、スクリーンのこちら側にも届き、揺さぶられる。
所有ではなく共有、そして競争ではなく共創、みんなで自分たちの生活をより良くしていこうというメッセージが胸を打つ。
そこには信念があるからだ。
“世界一貧しい大統領”ムヒカ大統領(ウルグアイ)のリオでのスピーチも思い出させた。
https://youtu.be/F7vh7eQUtlw
メイカーズ革命の視点も触れたい。
モノを作って売る産業は、大規模な工場を建設し、大量にモノを生産することで「規模のメリット」を生かし、大量のモノを安価に市場に投下することで国家規模のマーケットを支配してきた。
ところが、今作でラクシュミが試みたのは、少ない資本で小規模の工場を作り、小さな地域で製造、販売するエコシステムを構築する、というものだ。
(ちなみに、こうした手法はラクシュミが事業をスタートした時期からやや遅れて3Dプリンタが比較的安価になり、さらに拡大した)
つまり、それまでは巨大資本を持つ大規模メーカーがもっぱらおこないえた「製造業というビジネス」が、より小規模に立ち上げることが可能になったのである。
大工場を建設する資金も必要もなければ、大量の労働者を雇う必要も、大量生産したモノをさばく流通網や営業部隊を作る必要もない。
このような観点からも、ラクシュミが実現したことは革命的なのである。
日本に住んでいると、すべてが成熟し、あらゆるモノが、あらゆるところに行き渡ってしまっていると思いがちだ。
だが、世界は広く、そして共感と気付く目を持って見れば、この世界に解決されていない課題はまだまだある。
課題があれば、その解決はビジネスチャンスとなり、同時により良い社会を作ることにつながる。
目を開け、そして、この世界をより良いものにするために、少しでもアクションしよう、とこの映画は伝えているのだ。
困難に立ち向かう主人公のバイタリティに元気をもらいつつ、大いに笑って泣ける。加えて、主人公を取り巻く女性が美女揃いで見惚れるほど。インド映画お約束の歌や踊りのシーンもあり、長めの尺だが、たっぷり楽しめ、かつ、この世界の行末を考えさせられる。優れた1本。
高校生、大学生に観せたい(特に男子)。
テストマッチ
パリーが
ローラと篠原涼子足して2で割ったみたいな顔だった。
生理用品が普及して無い事や
月経中に
穢らわしいと
5日間外へ出てなければいけないとか
マジで驚きました。
ホント....いつの時代だよ
なんて従順な女性たちなのでしょうか
後半演説のシーンで
男なら30分血が出たら即死ぬって
言ってましたが
女性も死ぬんじゃね⁇
前向きな姿勢を貫くことを肯定するエンターテイメント映画
ソニーピクチャーズ配給のインド映画。2000年頃のインドを舞台に、"インドの月経男"と呼ばれ、低価格で衛生的な生理用ナプキンの国内製造・普及に奔走した、実在の人物、アルナーチャラム・ムルガナンダムをモデルにしたフィクションである。主人公の名前をラクシュミカントに変えて演出されている。
古くから月経が"穢れ"と認識され、各家庭には、毎月、女性が隔離される部屋が用意されているという驚くべき事実。
発明好きのラクシュミカントは、妻のために衛生的な生理ナプキンを使ってほしい。そこで海外製ナプキンを薬局で購入するが、"贅沢だ"と言われてしまう。
それならばと、見よう見まねで綿製のハンドメイドを作るが失敗を繰り返し、妻や家族からは恥だと言われる。しまいには、村から追い出され、離縁状を送られるまでに発展する。
それでも諦めないラクシュミカントは、試行錯誤を続ける。
芸術・教養のある先進的な考え方の女性バリーとの運命的な出会いで、発明コンクールで優勝して賞金を得るだけでなく、国連に招待され演説するまでを描いている。
困難の壁に立ち向かう"サクセスストーリーの感動"と、音楽とダンスを交えたインド映画独特の"エンターテイメント性"があり、ヒューマンドラマとしての出来映えがバランスいい。
本編が60分経ったところで、"Intermission"(途中休憩)のテロップが入る。インド映画として137分は長尺ではないし、上映はぶっ続けで進むが、グイグイと引き込むエピソードの数々によって、最後まで目が離せない。
中国を抜いて世界一になろうとしている人口10億人のインドは、急速な経済成長や国際化に伴う常識の変化に伴い、国民生活には様々なひずみが表出している。
本作はインドでは大ヒットしたが、隣国パキスタンやクウェートでは上映禁止になっている。いつもの理由「イスラムの伝統、歴史、文化を損なおうとしている」である。安全・衛生に目を向けられないのは、残念な限り。どういう抵抗があるかは、映画を観ればよくわかる。
制作陣が伝えたいのは、生理用ナプキンも取り巻くインドの非常識を変えること。あえて伝統的な物事を真っ向から否定するのではなく、それよりも"正しいこと"、"合理的なこと"を強調しつつ娯楽映画とすることで、教育への前向きな姿勢を貫いているのが、素晴らしい。
説教臭くもなく、自慢ばなしでもない。家族愛や人類愛、恋愛要素もあり、とても楽しい映画だ。
(2019/1/1/TOHOシネマズシャンテ/シネスコ/字幕:松岡環)
実話というのがまた素晴らしい
たまたまレビューを見て、観に行きました。誰かを誘いにくい内容だなと思ってしまい1人で観たけど、誰か誘って映画の後は一緒に話をしたくなる内容でした。さっそく映画好きの人に推薦しました。
主人公の妻を思う気持ち、開発者としての志と支える人たち、ナンセンスな習慣を打ち破ることが難しい現実、女性の地位向上に向けての課題、と様々な方面からの見方ができて見応え十分でした。
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