「ガヤトリを責めたくなって、見るのがしんどかった。」パッドマン 5億人の女性を救った男 だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
ガヤトリを責めたくなって、見るのがしんどかった。
55ルピーは現在のレートで82円前後みたいです。それが「高い」そうです。
わたしの感覚では、82円程度ならば払えるんじゃ?と思いますが、
きっと55ルピーでできることがほかにたくさんあるので、高いと思うのでしょうね。ただ、映画を見ながら1ルピー=20円くらいするのかな、だとしたら1000円超えるし、そら高いよねって思ったのですが、え、100円以下なの?じゃあかえるんじゃね?って思ってしまいました。
(ですが、本作ホームページのコラムによると、インドでは地方と都市の物価格差が大層多きいらしく、「ナプキン1100円」なんだそうです。と、考えると尻込みするガヤトリの気持ちが分からなくもないです)
生理中は家に入れない風習や、生理のタブー観など「時代錯誤」とか「男尊女卑」とか「女の血にまみれて生まれるのに何がタブーじゃい」という憤慨がぼんぼんあふれてきてしまって、それを何とか抑えて見進めるのに苦労しました。
また、苦しんでいるはずの女性たちが、現状を当たり前と思い、そこから逸脱することを天変地異のように恐れ、忌み嫌うその態度に、より一層憤慨してしまって、正直なところ、ラクシュミが村から出ていくまで、がまんしてがまんしてがまんして、見進めたという感じになりました。
ラクシュミの行動もまあ、結構ひどいっていうか、デリカシーがないんですけどね。
お隣の初潮を迎えたばかりで初めて外で眠る女の子に、ベランダへよじ登って手作りナプキンを渡そうとするところなど、勘弁してくれって思ったし、
女子医大にナプキンを配りに行こうとして、正門からずんずん進んでいこうとするところとか、変質者に思われるよ!無理に決まってんじゃんって思いました。
もちろん、この辺りは映画として面白がらせるための演出だろうとは思っているのですが。
女性用下着にお手製ナプキンを装着した自分で着用するシーンは笑いました。
なんでピンク?なんでそんな恭しく上げるの?と。
インド映画らしく、みんなでシンギング&ダンシングもちょろっとあります。
ラクシュミの村はおそらくインドのマジョリティであるヒンズー教徒。
パリーのパパはインテリのシーク教徒(てことはパリーもシークなのかな?)。
町ゆく女性たちに、イスラム教徒やカトリックのシスターなどが見られ、様々な立場の人々へのまなざしも感じられました。
後半の休憩後は、面白かったですよ。
ナプキンの中身が綿ではなく、セルロースファイバーだと突き止め、それを手に入れ、機械を作った。そして、パリーと出会い、ナプキン製造機を女性たちに売って、そのナプキンを女性たちが売り、女性の自立を助けたっていうストーリーラインです。
国連でのスピーチは、いきなりラクシュミがスタンダップコメディアンみたいになってて、ちょっとたじろぎました。
女性たちがナプキンを作って売って、収入を得る部分はやはり感動しました。
なんですが、前半のいらいらを消し去ることはできませんでした。
立ち止まって考えればわかるんです。
ガヤトリやラクシュミの母や妹たちのような人を応援したいならば、彼女らの現状を責めることになんのメリットもない。むしろ障害にしかならない。
だから、この映画ではそういうことをしないんです。
それが、この場合の正しい態度だとわかっていはいます。
でもどうしても、わたしはラクシュミを責めた女たちを、特に妻であるガヤトリを受け入れられないと思ってしまいました。自分で何もしないのにって。およよと泣くだけ?と。
この気持ちを当の本人たちに直接ぶつけてしまわないために、わたしに必要なのはなんなのでしょう。わたしの母はほぼガヤトリ達みたいな人なので、思考停止かつ依存的、慣習・男性に盲目的に服従し、中身がない(とわたしにはみえる)信仰にすがるような言動を見つけては、徹底的に責めてしまいます。直接的に。
それが母に良い影響など与えないことは、重々承知の上なんだけど、責めてしまう衝動を抑えられないのです。
なので、母とは物理的距離を保つよう心掛けているのですが、それは問題の解決にはなっていない。
この映画を見ながら、わたし自身の問題を突き付けられ、居心地が悪かったです。このわたしのある種の女性たちへの嫌悪感は何なのか。どうして責めてしまうのか。
これから考えていこうと思います。
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わたしの初潮は1992年だったのですが、母から生理中には神社の鳥居をくぐってはいけないと言われました。はじめはそうなんだと思って従っていましたが、小学校の通学路に避けられない鳥居があるし、なんで列を乱してわざわざ鳥居の外を通らなあかんねんと思って無視するようになりました。
また、お湯が汚れるから生理中は湯船につかるなとも言われましたが、学校で配られた生理についての冊子には、生理中こそ清潔にして体を温めなくてはいけないので、湯船につかりましょうと書いてあり、そちらに従いました。
水の圧力で湯船のなかで出血はしません。湯船に入る前に、外性器をきちんと洗い流しておけば湯を汚すことはないと体験で知りました。
見ながら、そういえばと思い出しました。
映画で出てきたナプキンは、割と分厚く、長さも足りないけどあれでインド女性は足りたのかしら、横もれとか伝わりもれとか、わたしは前漏れがけっこうあって…とかいろいろ思いました。
あと、汚い布の汚さ度合いが分かりませんが、ナプキンだとかぶれやすいので、古い手ぬぐいなどを布ナプキンとして使うこともありますが、肌あたりはかなりよいので、それはそれでいいよ?とも思いました。
まあ、隠して干すとかはしませんし、汚さがきっと違うのでしょうね。