「絶望しかなくても生きてゆく」赤い雪 Red Snow 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
絶望しかなくても生きてゆく
ひとりの人間の存在は時として非常に小さく、時としてとても大きい。宇宙の時空間から考えれば、人間の存在は一瞬で消えた塵のひとつにすぎないが、日常生活の尺度で言えば、ひとりの人間が周囲に及ぼす影響は意外に大きい。複数の人間が集っているところに暴力団の組員みたいな大男が来たら、たちまち場の雰囲気は凍りつく。大人でもそうなのだから、小さな子供にとって、周囲の人間が与える影響は計り知れない。ましてそれが親ともなると、子供の生殺与奪を左右する力を持っている訳で、そして子供はそのことを知っている。
ある親が人格破綻者で子供をスポイルする人間だったりすると、その子供は最悪の場合、殺されてしまう。生き延びたとしても、親から愛情を与えられていなければ、愛情というものに無縁の人格になってしまう。愛のない人間に育てられたら、愛のない人間になってしまうのだ。同じことは暴力に対する禁忌についても言える。暴力がタブーであることを教えないと、暴力に歯止めがきかない人間になる。殴られて育った子供は人を殴る人間になるのだ。自分がされたら嫌なことを相手にしないという基本的なルールさえ、破ることに余念のない人間になってしまう。
本作品はそういった、どうにもならない不条理がテーマである。永瀬正敏が演じる主人公の一希は子供の頃に弟を殺された経験を持つ。容疑者は夏川結衣演じる人格破綻者の女だが、物的証拠がなく、ずっと黙秘したので無罪になってしまう。そのことが主人公にどんな影響を与えたのか。その後主人公はどんな人生を歩んだのか。
一希よりももっと悲惨なのがもうひとりの主人公、菜葉菜が演じる早百合である。早百合は人格破綻者の母親のせいで幼い頃に心を破壊されてしまった。人格破綻者の貧しい親からは聖人は生まれない。クズがクズを育てて、周囲の人々を不幸に巻き込んでいくのだ。
主演の菜葉菜は、これまではエキセントリックな脇役が多かったが、本作品では愛情も良心も破壊されて心に穴が空いた、不幸で悲惨で酷薄な女を演じ切った。虚ろなその眼は、戦場で死の恐怖から逃れるために心を無にする兵士のように不気味で恐ろしい。ベテランの永瀬正敏や井浦新を相手に、一歩も引かない見事な演技だった。
世の中は不条理だ。生きていくこと自体が理に合わない。世の中には本当は絶望しかないのかもしれない。それでも人間は生きていく。繰り返される不条理は人間が絶滅するまで続くのだ。やるせないが、ここまで明らかにされると、ある意味爽快である。鑑賞後は明るい気持ちにはなれないが、決して不快な気分ではない。人間は泥まみれにのたうち回って生きていくと思えば、逆に気が軽くなるものなのだ。