「結末の解釈」マダムのおかしな晩餐会 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
結末の解釈
カフェで小説の仕上げをしていたスティーブンは、突風で飛び散った原稿を掻き集めていました。通りかかったマリアは、それが何であるかも知らずに拾い集めるのを手伝った後、短い挨拶で別れます。
数分後、同じカフェにデビッドが現れます。屋敷を出たマリアの後を付けて来たら、そこにスティーブンが居たと。デビッドはスティーブンが執筆中の小説の結末が、どうなったのかと尋ね、かつてマリアが好きだと言った通りのハッピーエンドで「あるべきだ」と言い残し、笑顔で立ち去ります。
暗い表情で橋の上を歩いていたマリアの頬が、少しづつ緩んで行きます。視線の先にはデビッドの姿があったから。
偽者のマダムとして出会った時は派手に光る靴を履いていたマリア。今は本当の自分に戻り、なんの飾りも無い黒い靴を履いています。デビッドは生身のマリアを笑顔で抱きしめてキスすることでしょう。雨は降って無いけどね。チャンチャン!
しかし、結末の表現、描かなさ過ぎではないかと。
ヒントは、「マリアに続けてデビッドがスティーブンがいるカフェに姿を表したこと」と「まだ執筆中の小説の内容と進捗をデビッドが知っている事」。
前者は「尾行した」と考えるのが合理的。問題は後者。テラスで飲んでるスティーブンの所に、ロンドンから彼を追いかけて来た雑誌記者が訪れて小説を絶賛しますが、これで観ている方は混乱する。小説は、まだ執筆中なので、デビッドはその内容を知る由も無く。カフェでのスティーブンとのやり取りは「スティーブンが全てをデビッドに暴露したから」と考えられます。
映画としては、気負いのない洒落た脚本。自然なコメディ。象徴的な演出。マリアをシンデレラに例えた演出とか最高だったし、チェスの白黒対比にプールサイドの人間模様など、気が利いてて、作り手のセンスを感じました。
良かった。期待を遥かに超えてました!
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12/31追記
映画は「メイドのマリアがマダムになるまでの話」。原題「Madame」は、この「希望を感じさせるラスト」に照らせば、「満たされない生活を送るセレブのマダム」を指しているのではなく、「内面に輝きを持つ純粋なマリア」の事を言っているのだと思う。映画の主題はネガティブな皮肉でも何でもなく、「人の本質」の部分で惹かれ合った、いい年こいたオッサンとオバサンの「愛の物語」だから。つまりはポジティブ。
マリアの顔を見て一番最初に思い浮かんだのは、ピカソの「泣く女」。絶対似てる。美術鑑定士であるデビッドは、最初の晩餐会で、マリアと美貌の未亡人に挟まれますが、未亡人のことを「Nightmare」だと言います。外見にとらわれることなく人の本質を見抜く力を持っているデビッドを、素直に尊敬する。つか、だから美術鑑定士が務まるんですよね。納得。
地方で公開は少し遅れたけど、年の瀬に、いい気分にさせてくれる映画でした。
KinAさんへ
スティーブンの小説はマリアをネタにしていて、タイトルはMadameです。だから原題マダムの意味するところはマリア、もしくはアンとマリアの対比なんだと思うのです。
詰まる所は邦題なんですよね。こんなデタラメな邦題を付ける理由を、配給会社に問いただしたくなります!笑
本当ですね、スティーブンでしたね!
私も自分の文章で名前連呼してるのに全然気付いてませんでした…笑
マイケルはデヴィッド役の俳優さんの名前ですね!
原題についての考察もすごく腑に落ちます。この映画についての印象が変わりました。
KinAさんへ
ごめんなさい。人名を間違えてました。ボブの息子で小説家は、マイケルでは無くて、スティーブンでした。間違えてるんだから、突っ込んでくださいな 笑!
マイケルが全てをデビッドに暴露した、考えつきませんでした…!非常に納得です。
マリアの笑顔についてもやっぱりハッピーエンドで良かったんだなと安心しました。ありがとうございます!