楽園(2019)のレビュー・感想・評価
全64件中、41~60件目を表示
つじつま合わせに生まれた僕等
高層ビルに磔の 価値観は血の涙を流す
消費が美徳の人間が こぞって石を投げつけるから
騙されねーと疑い出して 全部が怪しく見えてきて
人を信じられなくなったら 立派な病気にカテゴライズ
不健康な心が飢えて 悲劇をもっとと叫んでいる
大義名分が出来た他人が やましさも無く断罪する
人殺しと 誰かの不倫と 宗教と 流行の店と
いじめと 夜9時のドラマと 戦争と ヒットチャートと
ふざけた歴史のどん詰まりで 僕等未だにもがいている
結局なにも解らずに 許すとか 許されないとか
死刑になった犯罪者も 聖者の振りした悪人も
罪深い君も僕も いつか土に還った時
その上に花が咲くなら それだけで報われる世界
そこで人が愛し合うなら それだけで価値のある世界
だからせめて人を愛して 一生かけて愛してよ
このろくでもない世界で つじつま合わせに生まれた僕等
amazarashi / つじつま合わせに生まれた僕等 より抜粋
この世に楽園なんて在りはしなのか?
在るとするならば、
それはヒトの拠り所であるこころの中だけなのか?
だがそんなささやかな幸せさえも
人生においてほんの一時に過ぎないのか?
楽園をこころに抱き続けるにはあまりに短い、
こころを膿むにはあまりに長い、時の螺旋状…
それでも、我々は渇望する。焦がれる。
もがき、抗いながら、安息の地を求める…
ギスギスした都会にも、花は咲く。
自然に溢れているが、封鎖的な限界集落。
「どこへ、いっても、おなじ…」
やるせない。ただ、ただ、やるせない…
暴力や戦争を用いて理不尽を表現する以上に
無関心を決め込む社会の風潮に紛れ
声高に主張する煽動者による決め付けが
こんなにも理不尽を生むのかと、ただ、ただ、呆然…
だとしたら、何を信じればいい?誰を信じればいい?
そして、何をすればいい?
わからない。わからない。わからない。
自分の作った楽園に逃げ込むか?
自分しか存在しない楽園に…
それは果たして楽園と言えるのだろうか?
愛するヒト、信じたヒトがいる「この世界」を
楽園だと思うことはできないだろうか?
そんな疑問符を投げかけ続けて幕が降りる…
瀬々監督の過去作『友罪』と同じ構造ではあるが
本作『楽園』は更に人間の集団心理が絡み合う
極上のサスペンス!いやほとんどホラーに近い!
最後まで12年前の事件の真相を明確に語らない
切り口が、様々な解釈を生む。
目を覆いたくなる事件が近年に増し、
各方面のメディアを通じて色々な報じ方がなされますが
我々はその報道をどう受けとめ考えたら良いのでしょう?
加害者が当然悪い。だが被害者に全くの非がなかったと
誰が言い切れるのでしょう…
ひとつの事件が、
社会の歪みを暗示しているのではないか?
社会全体の問題の種が、知らず知らずのうちに
各個人に植え込まれているのではないか?
あなたにとって、社会問題を考える上で補助線を
一本でも増やせるような作品になることを願います。
#84 だから村って嫌なのよ
私自身狭い村社会で育ったから、最初はいい人扱いだったのにふとしたことから嫌われ者になっちゃう世界が手に取るようにわかる。
彼は狭い世界の除け者の象徴で主人公は全世界的に生きる場所がない人の象徴。
楽園は自分で造るしかない。でも生きている限り楽園を造れる可能性はある。
演技は素晴らしい!
日本映画界でも実力のある方たちが出演されているだけあって、素晴らしい演技が終始詰まっていた。原作は未読なので、どのくらい原作のエピソードを盛り込んでいるのかは分からないが、盛り込み過ぎていて何が表現したいのか散漫になってしまった感じがした。
表面的に見れば日本は楽園ではなく、田舎は閉鎖的でそれが在日であろうが日本人であろうが差別は起こりますと言っているように見える。また、世界の何処にも楽園なんてものは存在しなくて、つらいことも悲しいことも抱えて生きていく先に、その人なりの楽園があると言うメッセージなのか。
しかしながら、あいかちゃんが行方不明になったあの日の回想で、タケシが殺した風な描写の後に東京で同じあいかという女の子を紡が見かけるという描写も、どっちの可能性もあるよねと言われているようでモヤモヤが残る。
また、村上虹郎の役所も急に病気になったり治ったり少しついていけなかった。
総評として、画は綺麗で役者は素晴らしく見応えのある作品だが、盛り込み過ぎて収拾がつかなくなっている脚本をもう少し精査する必要があると思った。
それぞれの「楽園」を求めていた3人の末路
ネタバレなしだとレビューが難しいため、ネタバレ注意!!
母親と共に移民としてやって来た豪士
都会の暮らしに疲れ、田舎に妻と移住してきた善次郎
友達だったあいかちゃんが行方不明になってしまったことで罪悪感を抱えて東京に居場所を求めて上京した紡
3人のキャラクターのそれぞれの視点で描かれる、それぞれの求めた「楽園」とは…
楽園=救いとか楽園=安住の地とか…おそらく明確な「楽園」に対する解釈は用意されておらず、この映画のタイトルの「楽園」とは何のことを指しているのか…それ自体がこの映画のテーマでこの映画における何が「楽園」なんてことにそもそも正解はないのだろうと思う。
だから、それぞれの「楽園」を求めていた3人の末路を描いていると個人的に解釈した。
唯一、紡には未来に希望をもたせることで、人生という不条理さを受け入れて生きることで「楽園」を見つけることができるかもしれないというメッセージにもとらえられた。
ただ、広呂が紡に対して「おまえだけの「楽園」を作れ」と言ったのはミスリードの様で不自然すぎるから、あえて言葉に出す意味はなかったと思うし、あのセリフによって少し幻滅させられるし、「楽園」の解釈をよりわかりにくくさせている。
あくまでこれは個人的な解釈のもとに言っているだけなので、あのセリフが必要な意味がもしかしたらあるのかもしれない。
それぞれの「楽園」とするのであれば、綾野剛が演じている豪士という存在をもっと細かく描いた方がよかったと思う。
移民でやって来たっていう部分をもう少し掘り下げて「ここなら安全で平和な国だから」という希望からのギャップによる絶望、自分はひとりぼっちという孤立感、未来が見えない恐怖…そんな中で触れたはじめての優しさにどう対応していいのかわからず、殺してしまったのだと思う。映画では誰が犯人ということを、あえて描いておらず、物語の着地点がそこではないし、犯人が誰かはわからないままでいいにしても豪士というキャラクターに重みを持たせるには描いた方がよかったし、仮に犯人ではなかったとしても、幸せな環境から移民でくるなんてことはないだろうから、移民としてくる前の悲惨な状況は描くべきだった。
はじめてひとりぼっちではないと感じた相手にどう接していいのかわからないというのであれば、変に優しくされていたら紡も殺されていたのかもしれない。
どことなく素っ気ないけれども、嫌われてはいないという安心感、そして小銭入れがつながりを感じられるアイテムだとしたら、急に泣き出した豪士の心境にも納得がいく。
善次郎の場合は、最後の結末に至るまでの壊れていく様子がじっくりと描かれていただけに、ちょっと温度差が出てしまっている。ただ、豪士を犯人と確定させないために意図的にあえて描かないことで、不確定要素としたのであれば違ってくるりだが、あくまで私の解釈が正しいとした場合は、善次郎を描いているのだから、もっとじっくり描いてほしかったというのが個人的意見だ。
同時に田舎の怖さも描いていて、3人の登場人物に共通して伝わってくるのは田舎の恐怖。
『悪魔のいけにえ』や『ヒルズ・ハブ・アイズ』『クライモリ』などでも田舎の恐怖感を描いたホラーは昔から多く存在しているが、『八墓村』みたいに日本の田舎の恐怖はまた独特のものだ。
メインは3人のキャラクターだが、4人目として描かれるのは柄本明演じる藤木五郎。
気持ちはわかるんだけど...怒りの先が違うでしょ!!って言いたくなるし、 が可哀そうになるほど攻められていて、嫌になるキャラクターでなかなか存在が怖いし、紡にとってはトラウマ要素のひとつだが、五郎の「楽園」は=「救い」なのだろう。
犯人を特定してしまうと豪士が犯人だと決めつけて、解決できたと思っていたことがまた迷宮入りしてしまい、救いが得られない…ということであえて犯人は描かなかったのだろう。そのため、五郎の「楽園」のあやふや感を引き立たせている。
犯人を描かなかったことはその点ではよかったと思うのだが、あいかちゃんの父親が落ち着きすぎているため、五郎のテンションがおかしく感じてしまうという難点もある。
4人目はあいかちゃんの父親か、祖父にするにしても「あの時ああしていたら生きていた」という何かしら罪悪感を持った存在にしておくべきだったと思う。
村人
役者の演技も素晴らしかったが
村人や寄り合いの一般のキャスト達が
リアルだった。
村人達の怒りと冷たい視線が忘れられない。
異質なものに対する執拗な攻撃性は、
人間の直感から来る防衛本能かも知れない。
村人達の異質に対する執拗な攻撃と
「直感」はストーリー上正しかった事になる。
(多くの原因となり、その結果となる)
冤罪ではなく最悪の結末に2度も帰結する
この話を単純に評価して良いのか迷う。
それでもあなたは彼を疑うのか?
私の想像力が乏しいのか最後まで真意は分からず終始試されてるようで。
考えさせるシーンが多すぎて頭が疲れました。
想像以上に思わせぶりな場面が多く現実なのか妄想なのか最後まで悶々。
観客に想像させて真意を委ねるのが狙いであっても、こんなにも負の連鎖のように都合よくたくさんのタイミングの悪い偶然が起こるのか? と思いながら観ていました。
ちなみに思い出せる範囲で気になった場面をあげると、
笛を買いに行った帰り、途中車を降りて豪士が街を眺めて佇んでいる場面。
豪士が灯油をかぶった後ライターを握りしめながら「愛華」と名前を連呼した場面。
豪士の母親が取り調べ?で事件当日は豪士とずっと一緒だったという嘘を答える回想場面。
「何であんなことをしたの?」と後日母親が豪士に聞き、
豪士が「母ちゃんが言ったろ。ここには楽園がある」と答える回想場面。
取り調べ?が終わって帰る時の豪士の表情が薄ら笑いをしている回想場面。
豪士の母親が紡に向かって「あんたも豪士に救われたんだよ」と言った場面。
酔っ払った広呂と歩いている時、紡が突然後ろを振り向いて何かを見つめている場面。
その見つめる先に愛華?が紡を笑顔で見ている回想場面。
豪士が車内に忘れた紡の小銭入れを握りしめて泣き叫ぶ場面。
愛華ちゃんが消えた日と善次郎が子犬を拾った日が同じ日である偶然に何か特別な意図があるのか?
同級生の広呂は何の病気だったのか?
12年もの年月が経っているのに今頃になってなぜ紡の父親は豪士が怪しいと突然言い出したのか?
また12年前と12年後の豪士の容姿に年月の経過が感じられなかったので時系列が少し混乱した。
なぜ豪士は愛華ちゃんの後をついて行ったのか?
そもそもこの場面は紡が見た現実の回想だったのかそれとも妄想なのか?
結局、豪士が犯人なのか…?
悶々としながらエンディングの歌が流れ出しよくわからない安堵感に騙されそうになりながらこの歌を聞いていたのですが、なんとなく歌詞が頭に残り気になって家に帰ってすぐ歌詞を検索していました。頭の中でもう一度映像を思い返しながら解読して気付いたのですが、この映画の真意はこの歌の歌詞を含めて観客の頭の中でやっと完成するものではないかと。明解な答えとわかるものなどありません。
それでもあなたは彼を疑うのか? あなたは何を信じるのか? と自分自身に問いただされます。
役者の演技力が素晴らしく強く印象に残る場面もありました。
「俺を捨てるの?」母親に向かって口数の少ない豪士が不安に耐え切れず震える体を振り絞って声を上げる場面。
「世の中で一番好きです」善次郎が自殺を図って空を見上げながら初めて妻の問いに本音で答えた場面。
「生きる。生きる。生きる」やりきれない現実と真実と豪士の存在全てを抱えて生きて行くと決めた紡の決意。
杉咲花のあの大きな瞳でまっすぐと見つめる眼差しの向こうに少しだけ明るい未来を感じました。
楽園は無いのか。故郷か。住めば都か。
いつも通りの考えさせられるドロドロストーリーでしたが、吉田修一の作品の雰囲気はとても吸い込まれるので好き。
登場人物が少ないため、犯人が誰かということは直ぐに分かってしまったけれど、それを踏まえて改めて人間というものを考えさせられる。
決してスッキリしない吉田修一ワールドに入り込めないと、モヤモヤが残って面白みにかけるだろう。
ただそれも、事件に入り込んだ印象や、自分にとっての楽園とは何か。考えさせられる。
映画を見た後も、意識のどこかに楽園が刻まれて行く気がした。
杉咲花の表情、これもやはり引き込まれる。
目で演技をするということをしっかりと教えてくれる、数少ない若い女優さんだと思う。
個人的にはラストにちょっと出てきた祷キララの表情が忘れられない。
ただ、この作品は瀬々監督ではない気がしたなぁ。
そもそも瀬々監督のこういった作品は、インパクトに欠ける。
佐藤浩市が土を食べるシーンがあるけれどもあそこはFixで撮るのではなく、もっと迫力のある撮り方をすれば…
綾野剛だって、火達磨になるシーンをなぜ引きで撮るのか…
ストーリーがもやもやなだけに、そういうピークの立つシーンがもっとあってもよかった気がする。
怒り、のようにいくつかのストーリーが並行して走るので、その交差点はもっとはっきりとした物にして欲しかった。
愛華役の子役がめちゃくちゃ可愛かった。
よそ者とよそ者にされる者
何の組織でもそうだけど、こう言った立場の人は辛いですね。こう言った人をそこに繋ぎ止めるのは、一部の信用できる、自分を愛してくれる人だけど、その人がいなくなるか、いなくなったと思った時に、止めどもない感情が現れ、自制が効かなくなるのですね。
美しい監獄
「楽園」というタイトルをつけた意味は何だろう・・・
豪士は楽園を夢見た?
善次郎は楽園を作ろうと思った?
でも、楽園のように見える場所でも必ず何かしらの問題は抱えていて、本当の楽園なんてどこにも無いよね。そして、たとえ自分にとっての楽園が見つからなくても、そのこと自体はそれ程悲観する事じゃない・・・
だから、広呂が紡に、「おまえの楽園を作れよ」というセリフは、この男が唐突にそんな言葉を口にするか?と思います。
楽園なんて無くたっていい。私には、安心して寝そべっていられる日向さえあれば。
でもそれさえ、かなわないのか。
悪意は意識するしないに拘わらずいつも近くにあって、拒絶するくせに、放っておいてもくれない。
まさかそんな事までする?と思うけれども、実際にひどいいじめも、悲惨な事件も沢山起こっている。
とりあえず私は、理性的な人間になりたいと思います。
でも難しい。客観的な判断力が要るし、間違っていると思う事には加担しない強い意志も必要。
そして、その結果、孤独を受け入れなければならないかもしれない。
犬を捨てた男が犯人ならいいのに。
頼む、そいつが犯人だと言ってくれ!
すみません、重苦しさに耐えかねてふざけちゃいました。
でも、これも偏見ですね。
もやもやしても 苦しくても 生きろ!!
小さな村で少女が行方不明となるところから始まり
綾野剛、杉咲花、綾野剛、杉咲花、佐藤浩市の中心で物語が展開されていく
ストーリーが 3部構成になっている
3人の生き様がつらいものとなっている
それに負けて
綾野剛 佐藤浩市は破綻してしまう
孤独で誰も受け入れてくれない彼らは
ああするしかなかったのだろう
しかし杉咲花は違った
ラストの彼女の「抱えて生きる」が心に刺さった
もやもや感が残る作品だが人生もそうだと思う
いつもこれだあ!と結果がはっきりと出ることなんてない
出たとしてもこれでいいのかと悩む
もやもやしながらもでもそれを抱えて生きて行くしかないのだ
綾野剛のファンなので観た
おまけに清川虹郎も出ていてワクワクした
今回の綾野くんは家庭が複雑で猫背で内股でおどおどした青年を演じていて
今まで見たことのない剛君に役の幅の広さにますますファンになった
佐藤浩一の演じた善次郎さん・・・ああ!!善次郎さあーん!!
杉咲花!!強く生きて行って!!
居場所があれば「楽園」はいらない
綾野剛と佐藤浩市が演じたのは、この閉塞的な社会における受難者の姿。
あんな弱々しい綾野剛を初めて見た。腕は細く、歩き方もたどたどしい。母に精神的に捨てられても離れられず、いやな仕事もやめられない。不本意な生き方から抜け出すには、自己効力感が必要だが、まずは自分が安心できる居場所がなければならないのだと、「豪士」の言葉から学んだ。
誘拐犯と疑われた「豪士」に最初に気づいて声をかけるのが、村に新入りした佐藤浩市の「善次郎」だった。村人に追い詰められて自死した「豪士」を見る側だった「善次郎」が、ふとしたことから村人に拒絶される。妻に先立たれ、味方は愛犬しかいない。
「よそ者、若者、ばか者」がムラを変える、と地域振興について言い古されてきた。しかし、変われないムラがある。異質なものや、既得権益をおびやかすものを排除しようとする力には、「よそ者」一人では抗えない。いや、「善次郎」はやってのけた。限界集落の中で働く同調圧力を一人ではね返したのだ・・・
同質性と一体感は別のものだ。(ラグビー日本代表の「ワンチーム」は、多様な個性を持つメンバーの相互理解とリスペクトに基づいていると思う。)同調圧力の強い日本で、SNS等で憶測や偏見があっという間に広がったりして、少数派の生きづらさは増すばかり。いつ自分が攻撃・排除される側に立たされるかわからない、また、誰かを排除することに加担するかわからないというのは、大きな問題だと改めて思った。
杉咲花が演じた「紡」の美しさに息をのんだ。「豪士」と「善次郎」の両方に関わり、ムラのしがらみと格闘しながら、生き抜く決意を強めていく。エンドロールの主題歌とともに、救いをもたらしてくれた。
限界集落の闇
とにかく杉咲花が素晴らしい!綾野剛も良かった。
この2人を見ているだけでこの作品を観る価値があります。
冒頭、少女が行方不明になるシーンから、綾野剛演じる出稼ぎ外国人らしい母親の子供として日本社会から理由なく虐げられてきた青年、佐藤浩市演じる妻の死別を経て生まれ故郷に戻り養蜂業を営みながら田舎社会に融け込もうと努力している男を中心に社会からの差別や迫害を受けてきた人達の鬱積した悲しみや怒りなど。
見ていて引き込まれたのは、久子役の片岡礼子と母親役の黒沢あすかの演技で、本当に素晴らしかった!
のどかな日本の田園風景と閉鎖的なムラ社会の対比。田舎暮らしの素晴らしさを伝える映画やテレビ番組も多い昨今ですが、日本の素晴らしい田舎の自然や田園風景の中に昔からある閉鎖的なムラ社会や村八分などの横溝正史の八つ墓村的な深い闇を見せ付けらる作品です。
後半は特に時間軸が頻繁に変わるので理解しにくい部分もあり、ストーリー的には少しモヤモヤした終わり方をしましたが良い映画でした。
映画と関係無いですが、映画マナーの案内フィルムは本編上映直前に流して欲しいですね。マナーの悪い人はギリギリか始まってから入ってくるような人達ですから。
盗撮防止ムービーよりこちらの方が重要ですよ。
また最近、特に持ち込み食品を食べる人が多く、コンビニ袋やスナック菓子のシャカシャカ音させる人がホントに多くて、映画関係者の皆さまには、特にこれの防止啓蒙をお願いしたいです。
映画と関係無いですが、映画マナーの案内フィルムは本編上映直前に流して欲しいですね。マナーの悪い人はギリギリか始まってから入ってくるような人達ですから。
盗撮防止ムービーよりこちらの方が重要ですよ。
また最近、特に持ち込み食品を食べる人が多く、コンビニ袋やスナック菓子のシャカシャカ音させる人がホントに多くて、映画関係者の皆さまには、特にこれの防止啓蒙をお願いしたいです。
3年A組…
予告編を見たとき、妙な既視感を覚えた。「怒り」だ。よくよく見てみると、作者が一緒だった。監督とか違うのに、似たような雰囲気になるの不思議だなぁ…って思いました。
何かの番組で、佐藤浩市が「良い意味での後味の悪さを感じて欲しい」みたいなことを言っていた。まあ、少女が誘拐されるんだから、後味 悪いよね…なんて思ってたんですが、これって、誘拐なんでしょうか?身代金を要求された訳でもないし、誘拐とは違うような…。最終的に、綾野剛が犯人なんでしょうか?なんか、全てがスッキリしないまま終わったので、後味の悪さもクソもないような…。「怒り」は、誰が殺人者だったのか、ハッキリしていたし、タイトル通り怒りを感じました。この作品は、「楽園」なんですよね…。みんな、どこかに、楽園を持っているってことなんでしょうか。そういう意味では、分かりにくいメッセージでした。
ただ、綾野剛くんが追い詰められ、佐藤浩市さんが追い詰められ、壊れていく過程を見ていて、ドラマの3年A組を思い出しました。集団になると、人は、真実なんて、どうでも良くなっていくんですよね。現に、佐藤浩市さんを追いかけていた報道陣がそうでした。私たちが、普段、見ている、聞いているニュースなど、本当のことが語られてるのかなぁ…なんてことも考えちゃいました。
映画の中の事件についてスッキリしないんですが、これって原作を読んだら、理解できるのでしょうか…。
抱えて生きて行く事。そのものが罰。
ガラガラの劇場でスカスカな映画を見せられる覚悟でした。正直言うと、キャストが苦手な人のオンパレードだし、トドメは瀬々敬久監督。見るに耐えない率、結構高いから。個人的な印象だけど。
二つの物語を無理矢理に貼り合わせた感はあるけれど。良かった、物凄く。映画として。
瀬々敬久監督らしく、恐ろしく丁寧に撮り進めて行きます。リアル。画も素晴らしかった。最近の邦画、「心象表現禁止令でも出てんのか?」と思わされるくらいに雑なモンで溢れてるから。個人的な印象ですが。
少女2人の家路の距離感を教えてくれる構図。剛士と紡の帰宅への気の重さを表現する車の停止じの追いかけ方。村の中での立場をワンカットで表現するピント移動。丁寧な丁寧な、日本映画の文法。ホントに好き。
役者さんも素晴らしかったです。哀しさ辛さがスクリーンから滲み出して来る杉咲花を筆頭に。田舎の痛い青年になり切った村上虹郎。ベテラン勢は言わずもがなで。タメも余韻も端折らずにカメラを向け続けて。「良い瀬々敬久」全開の演出でした。
早くてダイナミックな展開が大好きなテレビ慣れした日本人に腰を据えて見て欲しくなります。
剛士が本当に殺したのか、はグレーのまま。観客にも、抱えてくれ、って事? 罪悪感、後悔、喪失感、寂しさ、悔しさ。罪を犯した者は、その大小に関わらず、何ものかを抱えて生きていく。それが罰。そこから逃れる為に他者を傷付け、犠牲にしても、結局は逃れられない。
楽園なんて何処にも無いから、作るしか無いんだよ。って言う話。
良かった、とっても。
ついでにクルマオタ。少女が消えた夜、Y字路に乗り付けられたクルマの中に、先代デミオが有りましたが、あの型のデミオの登場は平成19年です。平成16年の事件現場にいちゃダメですよぉ。
ーーーーーーーー
10/28 今更ながら追記。
「楽園」って何よ、って言う話。
「楽園」の宗教上の定義は「繁栄、幸福のみが存在するとされる」と言うのがwikiの記述。更に「充足した場所であるが、豪奢であったり無為であったりする必然性はない」と続きます。ささやかな充足が欲しかっただけの人々の「楽園」は、人間社会の様々な事どもにより穢されて行きます。嫉妬、憎悪、悪戯、意地悪。少女の命が奪われた顛末は明かされないままですが、それもまた人間の行為であることには間違いは無く。つまりは「誰かが楽園にとどまる事を許さないのは、人の所業による」と言うのが、この物語の登場人物に共通する経験です。
若い二人の明日を示唆しながら終わるこの物語は、「楽園の存在を否定」する一方で、「誰かと生きることに希望を見出せ」と言うのが主題だったんや無いかと思いましたんたんたぬき。
瀬々監督は、局面局面の演出に全力投球する特性がある、と感じています。その余り、枝葉でしかない設定やエピソードが過剰に強調されてしまい、主題を勘違いされてしまう事が多かったりする。で、度々、枝葉の演出が行き過ぎて、映画をぶっ壊すこともある。これ、個人の印象ですけど。要するに、村社会とか外国人への冷たさやいじめの構図等々は、一つ一つに引っ掛からずに鳥瞰して観るべきです、ってのが言いたいことです、瀬々監督の場合は特に。
やっぱり俺、おちゃらけを忘れたら死ぬ病気に冒されてます。
「杉咲花 魂の演技」
今年110本目。
「8年越しの花嫁」が抜群に良かった瀬々敬久監督と言う事で、ヒューマンドラマとなっています。
今作は映画のタイトルを決める時に「悪」「Y字路」など100個位候補が挙がり、最後の会議で瀬々監督が「楽園」はどうかと思い付いて、吉田修一さんもそれでいいと快諾されたそうです。
杉咲花は日曜朝8時からTOKYO FMでラジオやっていてよく聴きますが「メアリと魔女の花」「十二人の死にたい子どもたち」と本当に好きで、今作も魂の演技でした。
瀬々監督は撮影の途中、杉咲花が豪士は本当にやったのと聞かれても答えず、めちゃくちゃな感情のまま一週間撮影に臨んで欲しくて、一週間後にようやく答えを出すと言う手法を取りました。
その杉咲花の感情の揺れ具合が今作の最大の見所だと思います。
全然わかりませんでした
他の人のレビューを読んでちょっとは理解できたけど以下ネタバレ含む。
時系列が変遷するのは問題なくついていけたが、演出について一体何を表現したかったのかわからない事が多かった。
例えば村上虹郎の演じるキャラクターはオラオラと距離を詰め、逃げ場をなくさせて半ば強引に彼女にしたてて和カンに持ち込む田舎によくいるタイプのレイプ犯だが、杉咲花からすれば嫌悪の対象でしかないこの男が東京までストーカーしてくるという恐ろしいシーンがある。
そこでは杉咲花も絶句していたが、次のシーンでは公園で仲良く遊んでいた。全く意味がわからない。
片岡礼子と佐藤浩一の混浴シーンでは鏡の前で覚悟を決めているように見えたが、佐藤浩一の欲情と童貞じみたベロチューにドン引きしてしまう。後の犯行シーンとは関連がないように思えるこのシーンは何のために必要だったのだろうか。
綾野剛はスケープゴートの対象となり自殺に追い込まれるという演出だったが、ラストシーンでは実は綾野剛が犯人と思わせる演出になっており理解できない。あれ?これ何を伝えたかったの?排他的な村人による集団心理の狂気を演出したかったんじゃなかったの?これだと村人は正しくてただ変質者が1人いたというオチになってしまう。
柄本明が「なぜあいりは殺されて杉本花は生きているんだ!」と怒りに震えるシーンがあったが、本当その通りで意味不明になってしまった。
当然、映画タイトルの『楽園』の意味するところはわかるはずもない。
(´-`).。oO楽園 追われたアダムとイブ
全般的に暗い雰囲気の映画。実際の大量殺人事件・誘拐事件をモチーフにしているからでしょう。終始心が晴れる所はありません。
楽園、安息の地、希望の地。養蜂に適した故郷に帰った佐藤浩市は住民とのいざここざで殺人まで犯し楽園である土地で地獄を見る。外国人の母親とともに楽園と呼ばれる日本にきた綾野もイジメ差別を受け幼女誘拐の容疑者、犯人?になりこれまた地獄を見る。
果たして楽園なんてあるのか?
いい会社に転職したらそこはブラック企業だったとか、可愛い子がたくさんいるゼミに入ったら全員彼氏持ちだったりとか、そんなことはいくらでもあり、そお逆も然り。楽園っていうのは思うようには行きつけません。むしろ楽園を追われたアダムとイブは人の社会を作り上げ自分の居場所を自ら作りました。楽園を追われたのに、、、、。
故郷・楽園を離れた、追われた?美咲とその恋人はその地で楽園を作れるかっていうのがこの映画の問いだろうね。
今あるところで花咲かせようという言葉があるがそれは果たしてできるのか?って事かな?
暗い雰囲気の映画であるが一つの希望が見えて、その実現がとても不確かなのがそそられるところであると思います。
故郷を出た若い2人は楽園を造ることを信じています。いい映画でした。
期待していた分、残念。
吉田修一原作!主演綾野剛!?脇に佐藤浩市、柄本明!?これは期待しかない…と、随分前から期待していました。
ところが、初っ端からストーリーが散文的すぎて、、、。ちょいちょい森を移すシーンばかり要らないと思うし、場面転換がいきなりすぎる。
役者さんの演技が素晴らしかっただけに、ただただ描写が残念。
結局誰が犯人なの?犯人を描写しないのであれば、なんでそこまでの綾野剛犯人フラグを立てるの?
うーん。謎すぎる!心にモヤモヤが残る映画はわりと好きな方ですが、今回は、モヤモヤよりも、なぜ?と疑問ばかりが残ってしまいました。
そして、最後の柄本明の台詞。「年寄りだからもう背負えない」って、、、!いやいや杉咲花ちゃんに全部背負わせるんかい!と突っ込んでしまいました笑
最後に、、綾野剛の病み具合が本当に素晴らしい。愛華ちゃんについて歩くシーンは、鳥肌が立つくらいでした!
見えない力が人と人には働いている
誰かに優しい言葉をかけてもらったり、誰かに冷たい言葉を浴びせられたりすることは誰しもあるが、そのどちらも心を大きく揺さぶるキッカケになる。誰かの場合はそれを殺人に向かわせ、誰かの場合は何かを始めたり、助けたりする原動力になったりする。
タケシの場合は優しい心を持ってはいるが、同時に深い傷を負っていて優しくされることに慣れておらずパニックになってしまうように見えた。だから最後のシーンで少女を拉致し自分の部屋に監禁したのかな、と感じた。←部屋の押入れの一角だけスペースが空いていたのから。
ゼンジロウの場合は、親の介護で帰ったというよりはなくなった奥さんの言葉がキッカケでイヌを飼える田舎に戻ったのかなと解釈した。
奥さんの気に入った土地に骨を埋め、森を作ろうとすること自体は素敵だと思ったが、業者が一方的にその土地を更地にしようとするのは胸糞悪かった。
だからといって、ゼンジロウの殺人が肯定されるわけではないけど、相手の気持ちを理解しようとすることや創造力を働かせることで、人はもっと理解しあえるし、その先に楽園があるのではないかと感じた。
田舎の悪しき因習を炙り出しただけの身勝手な映画
冒頭の暴力シーンの経緯も分からずじまいの入り方に眉を潜めながら観賞。悪い予感は的中。差別、偏見、保身、閉鎖的で殿様気分が抜けきらない変化を嫌う年より連中が幅を利かせる日本の集落の悪しき慣習をこれでもかと見せつけられただけ。
東京との対比でどこも同じといいながら、田舎独自の祭りでさえ、閉ざされた文化にしか見えない演出。
誰が主人公かよくわからない設定も間延びの要因。佐藤浩市演じる善次郎の村八分と犬のくだりは、山口連続放火殺人を彷彿させるに十分だが、次への展開がなく、だから何というだけ。
杉咲花演じる紡は、交差する事件に巻き込まれただけで、本来被害者でありながら、その被害者に未来(楽園)を創る責務を負わせようとする身勝手で短絡的なつくり。
罪、罰、人に込められた意味も人は罪深い生き物だが、人にしか未来は創れないとでも言いたいのだろうか?正直よくわからずじまいでメッセージも伝わらない。
俳優人が豪華なので一見重厚なつくりのように見えるが、観念的でさして内容はなく、折しも教諭のいじめが取り出されている中、大人の嫌な部分だけが全体を覆う後味の悪さ。
期待していただけに残念でした。
全64件中、41~60件目を表示