楽園(2019)のレビュー・感想・評価
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観賞後に原作も読んだが結局よくわからん
善次郎さんに共感
犬好きがたまらん
未亡人との絡みがよく分からん上に混浴で逃げたの何で?
ハラキリ?
ハラキリした後、救急車で運ばれるシーンで未亡人が泣いてたのも謎
前の奥さんの登場がいきなり過ぎてこの女誰に向かって話してんだ?となった
前の奥さんとの思い出に執着してたみたいだけどそこまでの感情移入が全然出来てないから何?って感じ
集落の長の機嫌損ねて村八分にされて犬監禁させられて前の奥さんの遺骨を埋めた植木もグチャグチャにされて土食っちゃうくらいストレス抱えたのは分かるけど人殺しまくるまでに豹変したのが唐突
女の子がストーカーっぽい男の子に恋した理由が謎
タイヤパンクさせるとか無理矢理キスしようとするとか東京まで追ってくるとか怖すぎて好きになる要素あった?むしろコイツが犯人だろと思ってた。
同郷意識?
みんなの楽園をお前が作れ…????
全部背負ってわたしは生きる!…????
綾野の役はどうした?たけし
親に捨てられた悲しみであいかちゃんを何かしちゃったぽいけど、やむにやまれず殺してしまったのかと思いきや事情聴取後にニヤっとしたのは何だったん?ミスリード誘うっていうなら下手過ぎ
母親はあれでこの子はヤッたなと感づいてたし
焼身自殺したけどあれは間違いって事で後味悪いのかと思いきややっぱお前かよって言う…わたしはそう捉えた
誰に感情移入すればいいの?
相関図どうなってるの?
誰が主人公?
今のセリフ要る?
そのシーン要る?
結局何が言いたいの?
みんな人のせいにせず、自分で背負って、誰も拒まない、憎しみ合わない、そんな楽園をつくろう
いやいや、教祖にでもなるしか無くね?
つむぐと村人の対比
青果市場で色んな場所から野菜が集まってくるのが楽しいと言った彼女が村人と対になる存在として描かれているらしい
たけしのせいにせず背負うと決めたつむぐが作ることができるのが楽園なのか?
他者を排除せず、人のせいにせず、憎しみのない楽園を作るのがつむぐで白血病から生還した彼はその楽園のはじめの住人になる?
感想というか内容の整理
わからんすぎて色んな人のレビューをまとめた感じになってしまった
いや、伝えたい事はわかるけどさ
俺がバカだから?
正直すげーつまらなかったんだけど。
便乗情報で日本版ジョーカー!!
とか謳ってたけど、アホかと言う感じだったww
おばはんのセクシー入浴シーンとかいらんしw
綾野剛か佐藤浩市の話どっちかの話でよくない?
何かつながりあるかと思って期待してたけど。
何が話の主役なの?これ。
楽園作れ
何そのセリフww
病院でぶっ倒れながら突然
俺産まれた瞬間の記憶あるんだとか
そんな場面でそんな話するか?ふつうww
なんで綾野剛と杉咲花
わざわざ車交差点に止めて降りて話して
また車乗るの?
車ん中で話せやww
単純に日本のくっさい演出が俺には合わないわ。
しかもこんなシリアスな映画なのに、
所々の立ち振る舞いとかリアリティがなくて集中できない。
柄本の怒りの表現とかただ目見開いて、
頭ごなしに怒鳴るだけで迫力もないし、
怒りも伝わってこない。
これから怒りますよーってナビゲーションしてるだけ。
ジョーカーを同時期にみたけど、
予算的に大差あるのかな?
作りが全然違う。
役者のレベルが段違い。
生贄
思考を巡らさねばならぬ作品。
つまりは、観ただけではよく分からない。「楽園」という題名が意味するトコすら分からない。物語はとある限界集落を舞台に始まる。
で、まぁ、美しい自然はあるものの、醜い人間模様が展開される。
澱んだ泥沼の底のようで、作者には何かとてつもない嫌な想い出でもあるかのようだ。
少女が誘拐された事を起点に物語は始まってはいくのだが…そこはぶっちゃけ杉咲パートであって、佐藤パートは全く関係がない。
佐藤パートが八つ墓村よろしく村人を斬殺するに至るまでも、少女が誘拐されたかからどうだとか、されなかったからどうだの話にはならない。
超絶狭い限界集落で、全員顔見知りのような村で全く重なり合わない2つの話が繰り広げられていく…いやいや、え?それでいいの?
最後は少女が行方不明になったであろう時間帯に主要キャストが前後して登場する。
何をさせたいのだろう?
運命の存在でも示したかったのだろうか?
それとも「台風が来たら桶屋が儲かる」的ななぞかけなのだろうか?
事の発端は誰かが捨てた犬って事になる。
たけしが留まったのも犬だし、善二郎が決定的に疎外されたのも犬だ。
なのだが、別にそこは物語的に面白いっと思う部分ではないと思われる…。
杉咲、佐藤になんとか共通項をと思って見出したのが表題である。
「生贄にされた人々」かなぁと。
多数の人が平穏に暮らす為の生贄。
そのような事は台詞の端々から薄っすらとは感じはするが、これと楽園って題名を結びつけると、なんつうかダークな内容しか考えつかなかったりする。
佐藤さんが目指したのは「楽園」なんだと思う。人の居ない世界的な。
杉咲さんからは犠牲のような側面しか見えてこない。誰かの楽園の為の人柱。彼女の人生は理不尽な事続きだったのだろうと思う。
なんちゅうか、人への嫌悪感というか、集団になった人への嫌悪感に埋め尽くされた作品だった。
楽園ねぇ…。
なんとも捻くれた題名だよなぁ。
つくづく人間ってのは不可解だ。
善人を歪ませる悪意からの解脱
『悪人』『怒り』の吉田修一の原作を、
『64 -ロクヨン-』前後編などの瀬々敬久の
脚本・監督で映画化したサスペンスドラマ。
田舎町で起こったある少女失踪事件。
事件の犯人と疑われる青年、失踪人と友人
だった少女、事件に巻き込まれる移住者の男。
三者の姿を描くうちに浮き彫りになる
排他的社会の醜さとそこからの解脱を描く。
最初に書いてしまうと、語られるテーマは
好みだったが、語り口がやや極端に感じる
部分もあって個人的にはあまり心に迫らず。
...
とはいえ主演陣3人が演じる登場人物は
好きだったので、今回はそこから書く。
綾野剛演じる豪士。
外国人であるというだけで母子揃って
蔑まれながら生きてきた彼は、言葉が不得意
なのか、元々の性分か、自身の苦しい胸の内
を言葉にして外に吐き出すことができない。
その苦しさが胸の内をぐるぐる巡り続けて中毒に
陥り、あの最後に至ってしまったように見えた。
佐藤浩市演じる善次郎。
なんでも器用にこなし人当たりも良い彼だが、
些細な行き違いだけがもとで村八分に遭い、
12年前の事件の犯人という噂を流布されたり、
挙げ句は亡き妻の形見のように大切にしていた
山林まで崩され、狂気に走ってしまう。
2人とも、元は善良な人間だったはずなのに。
僕は豪士の紡への気遣いが罪滅ぼしの為だけ
だったとは思わないし、村八分に遭う前の
善次郎は誰にでも親切にできる真っ直ぐな
人間だったと思う。なのに、
勝手な思い込みや偏見を抱く人々が彼らを悪人
と決めつけ、よってたかって蔑み罵り続ける。
(これは別に限界集落に限った話ではないし、
SNSの情報を闇雲に信じて不特定多数で
個人を袋叩きにする構図等とよく似ている)
心がズタズタになるまで傷付いた2人は――
かたや失踪事件の犯人の汚名を被ったまま死に、
かたや村人を多数殺害した残虐な男として死んだ。
虐げられ続ける子犬のような綾野剛と
緩やかに狂いゆく佐藤浩市の演技は
さすがの安定感だが、杉咲花も良い!
僕はドラマを全然観ない人間で、彼女の
演技は映画で2、3作を観た程度なのだが、
正直に書くと、それら過去作ではそこまで
良い印象を持っていなかった。
1シーン1シーンでの演技は力強くて好きだが、
作品全体を俯瞰すると極端に感じたんである
(これは演出する側の手法にも依ると思うが)。
だが今回は、抑えた悲しみや苛立ちが、徐々に
怒りと決意に変化するグラデーションが自然。
悪人のレッテルを貼られた善人が、レッテル
そのままの悪人になるまでに心を歪まされる――
こんな理不尽があって良いのかという怒り。
そんな醜い大人になる事を断固拒絶する覚悟。
望まない真実も、背負うには重すぎる後悔も、
どちらも「私は抱えて生きる」と言う覚悟。
そんな紡の覚悟が、重苦しい物語の
最後を、微かに明るく照らしてくれる。
紡が最後に辿り着く“真相”が、彼女の想像なのか
彼女が忘れていたあの日の記憶かは分からない。
犯人すら明らかにはなっていない。それでも
誰かを悪人に仕立てることで心の安寧を得よう
とする社会の醜さを描くことや、紡が「そんな
醜い大人たちのようにはならない」と誓うまで
の物語としては完結していると感じた。
...
ただ個人的には、同じ吉田修一原作の映画
『悪人』『怒り』と比較して、登場人物らの
生き苦しさがイマイチ伝わってこなかった。
まず、『悪意に歪まされる人の心』については
自然に描かれていると思うものの、その発端たる
『悪意』そのものがカリカチュアライズ(戯画化
・単純化)され過ぎているように感じる。これは
実は上記の2映画でも感じたことではある
のだが、本作ではそこを特に強く感じる。
(なお、僕はいずれの原作も未読)
豪士が犯人と疑われる流れ。その場面まで
村人の大多数が外国人に差別感情を抱いている
という印象は薄かったし、そもそも集落に豪士
の母親以外の外国人が住んでいる描写がない。
なのにあの場面でいきなり「12年前の捜索を
思い出した」→「外国人が怪しい」→「あの女
の息子が怪しい」という流れになり、その場の
全員が捜索まで放っぽり出してまで豪士を追い
掛ける。これ、ちょっと極端過ぎないだろうか。
善次郎が村八分にされる発端が“助成金の件を
区長に相談しなかったから”という所もやや極端
な気はするが、小さな発端としてはまだアリか。
だがそこからの村人の態度の急変ぶりには違和感。
徐々に態度が硬化し辛辣になるなら納得だけど、
本編の描写のみではあまりに急激に感じる。
豪士と善次郎の受ける差別はどちらも“異質な
者を排除する”という点では同じだが、どこか
噛み合わせが悪くも感じる。かたや村の老人
が主体、かたや主体の見えない群衆心理と、
悪意の根源に統一性が無いと言うか……。
エンドロールで初めて本作が2つの原作を
連結させたものだと知り、納得してしまった。
また、「楽園を作れ」という象徴的なセリフや
柄本明の最後の独白など、ここぞという場面で
印象付けたいのだろうセリフが、他の現実味
あるセリフと比べてブツ切りでどうも浮いて
いるように感じ、今ひとつ心を動かされず。
全体的に感情的で勢いのあるセリフになると
聞き取りづらい所も少なくなかったし……。
紡の幼馴染みが病魔に負けず生きるという物語の
最後に語られる“希望”も、「真実も後悔も抱えて
生きる」というメッセージとは直接結び付いて
おらず、取って付けたような“希望”に聞こえる
のが気に入らなかった。ううむ、紡を前に
進ませる何かが欲しかったのだろうか。
紡の友人がもしかしたら……と思わせる
ラストも、それはこの映画が語る
希望に果たして繋がっているかしら?
...
不満点を色々書いちゃったけど、以上です。
群衆心理の恐ろしさや大切な人を失うことで
壊れていく心を描いた重みのあるドラマでした。
ただ、前述通りテーマを語る上で極端さや
噛み合わせの悪さを感じる箇所が多々あり、
個人的にはそこまで。まあまあの3.0判定で。
<2019.10.19鑑賞>
重くて、夫と行かなくて正解
夫は苦手なジャンル。
田舎育ちです。
基本よそ者には警戒心が強い。
仲良くなってからも、壁がある。
身内(同郷)には仲間意識が強い分、その輪を乱す事を嫌う。
その土地から逃げたいけど、離れてもどこか縛られてる感じです。
観ていて心が苦しくなる場面が多く、連れ去り、村八分、海外からの移住者の話
なんですが、今まであった事件や聞いた話を思い出させる様な内容でした。
終わりが確かにもやっとして、そのまま本屋さんに原作本を買いに走り、
内容を確認したら、ああ…話が絡んでいるんだね…でした。
吉田修一さんのお話しは好きです。
やっぱり観に行って良かったです。
何度も見返したくなります
結末がハッキリしてないので
見た分だけ答えが色々と出てきそう
最近の映画で皆が口を揃えて言う「伏線回収」·····
この作品には伏線が沢山あり過ぎて
繋ぎ合わせる時に色々なパターンが出来るから
観た人の心の寄せ方で犯人が変わってきちゃう
最終的には(愛華ちゃんに限っては)死んでないかもと
思えるシーンもあって、観終わって数時間経っても
頭の中で色んなエピソードの反芻が止まりません
小銭入れを見て何であんなに泣いたんだろ?
なぜ直ぐにかえさなかったの?
「楽園」なんて自分が思ってても
周りの人や環境でもろく直ぐに壊れてしまうもの
いつ死に直面する病気になるかもしれない
野上の病気は癌かな?
抗がん剤治療は生きた心地しなかったけど
終わった時の落差で、もっと頑張れるって思えた
普通に(健康で)生活出来るだけでも~楽園~ですよね
上映期間がもうすぐ終わってしまうので
原作読んでみようかな·····
✧余談✧
夕方からの回でしたが、人集りを横目に劇場入り
上から覗いたらシュワちゃんが来ててビックリ!
評価の難しい作品
現実に起きた事件をモチーフにした短編小説集が原作とのことですが、全く関連性の無い二つの事件が同じ集落で起きたものとして2時間ちょっとの映画の枠で描こうとして焦点がぼやけてしまった印象。
敢えてそうしてるのかも知れないけど、杉咲花さんと村上虹郎さんの作品全体での立ち位置もはっきりしない。
それと、濡れ場のシーンは必然性は無いかなと感じました。佐藤浩市さんに片岡礼子さんを当てた時点で多少の色恋事は有るのかなと思いながら見ていましたが、まさかの混浴、しかもフルヌードとは・・・
制作側の意図としては村八分の疎外感を決定的にした出来事として描いたのでしょうけど、
それならば、善次郎の抱く絶望感が大量殺人を犯すほどの憎悪に転じる村人との間のエピソードをもう一つくらい織り交ぜた方が良かったのでは、と思いました。(飼い犬の自宅軟禁だけでは動機づけとしては弱いのでは?)
穿った見方かも知れませんが、題材が重く、作品自体が地味で抑揚のない展開にならざるを得ないので、刺激的なエッセンスを盛り込むために安易な方法に走ったのかなと。
そして、追加キャストである片岡礼子さんは佐藤浩市さんと年齢的に釣り合いが取れて脱ぐ事を厭わない女優さんとしてキャスティングされただけなのでは、などと余計な事を考えてしまいました。(片岡さん、ごめんなさい。目の保養にはなりました)
ただ、犯人探しのサスペンスなのか人間ドラマなのか、見る側の想像力を試す作品を作り手側が指向したのだとすれば、なかなかの佳作だと思います。
紡の覚悟
楽園。誰かがその言葉を口にする度、怖さを感じました。
さりげなく描かれた人が減っていく地域の描写もリアルで良かったです。
成り手が減っていく中で、東京に出てる紡に声をかけるくだり、半ば強制的にやらされて、やりたくなくて練習がおろそかになる子どもたちの描写。毎年の祭りを成り立たせなくてはいけない地域にとっては一つの大きな課題です。
最後まで犯人が曖昧なままに終わるのは、“わからなくてもいい。それでも生きる。”と決意した紡の覚悟の、それがいかに大変なことかを、観たひとに感じてもらうためなのでしょうか。
あとで綾野さんの試写会でのコメント記事を読んだら、エンドロールで上白石さんの歌が流れて救われたというようなことを話されてました。まさに私もそんな感覚でした。
身近に普通にある
綾野剛(たけし)が例えば幼女誘拐殺人の犯人だったとしても、自分の家をグチャグチャにされて大勢の殺気だった大人が迫ってくれば逃げる人の方が多いと思うけど?逃げなかったとして、どんなに弁解しても殺気だった大人が聞き入れる訳もないし、まあ集団リンチされるだろう。
最後に杉咲花(つむぎ)が幼女を追い掛ける(たけし)シーンを回想するが真実は闇の中?
佐藤浩市(善次郎)が村八分にされるが、やり方は種々だけど何処にでもある。人は一番怖い哺乳類。ただ、だからと言って殺人に至るのは性格に依るところが大きいと思う、自殺やその場から逃げ出す人もいるので。
「ジョーカー」もそうだけど、このような問題を取り上げても人はその場限りで勉強しないのが世の常じゃないかと。
観終わった後に出口のない、そして暗く沈むとてつもない疲労感に包まれる
何かとジョーカーと比較されるこの映画だが、違うのは、ジョーカーは都会で疎外感を強く感じたことによるもので、楽園は閉鎖的な限界集落から疎外されたことによるものであるという点だ。
しかも、愛華ちゃんの事件では、犯人という確たる証拠もないのに、村という集団で一人を犯人と決めつけ、焼身自殺に追い込むくだりは、自分と違うものを嫌う日本人の島国気質の狂気の沙汰の結末のように思えた。
それは、一人をターゲットにして追い込むことで村全体が結束するという、いじめそのもののの構図である。
豪士親子は難民申請して日本に来たという設定であったが、なぜこの集落に住むことになってしまったのか。
他人の全てを知りたがり、異質なものを疎外するこの限界集落でなく、他人に対して無関心な都会で生きていればこのようなことにはならなかったのかもしれない。
さらに、生き残った紡が村に帰った時、「楽しいか!?いいなお前は好き勝手なことができて」的なことを愛華の祖父から言われてしまうシーンもあまりに残酷。
祖父の気持ちも分からないでもないが、生き残ってもこんな村には居たくないのが普通。
結果、都会に出て働いても、その職場での居心地も余り良さそうにも思えず、生き残った者の辛さ、苦悩の深さも見ていて辛かった。
そして、豪士が紡に見せた優しさから、犯人ではなく純朴な青年だと思い込んでしまっていたところに取り調べの後、階段を下りてくる時の豪士の薄笑いを浮かべた表情でその考えは一変し、寒気を感じるほどの恐ろしさに包まれた。
あと、豪士の家に村人が乗り込んだ時の押し入れの上段に、花瓶に造花のようなものがさしてあった気がして、そのシーンも意味深で気持ち悪かった。
一方、善次郎のストーリーの前半は一見上手く村に溶け込めた感があるが、実はよそ者の成功を妬む年寄達の格好の餌食になった感が否めない。
ただ亡くたった妻との思い出を胸に、念願かなってようやく飼えた犬とともに、村の為にと思って頑張っていた善次郎が村人によって追い込まれていく姿はあまりに残酷。
結局楽園なんてどこにも無いんだと私は思ってしまった。
最後の紡の回想シーン(?)からすると、豪士が愛華に優しくされたことで後をついて行ったものの結局拒否された結果の殺人なのかと思えるが、最後まで犯人を明らかにすることなく、見るものに謎を投げっぱなしで終わったことで、その謎は観たものの心を鷲掴みにして離さず、その暗く重い余韻は計り知れないものとなっている。
そして、今後も増え続けるであろう限界集落と移民問題を深く考えさせられ、恐怖を感じずにはいられない。
俺たちのために楽園を作ってくれ
この映画を見て思い出したのがオメラスの理想郷。
1人の少女を地下室に幽閉することで、それ以外の民は幸せを享受する。全ての民は少女の犠牲を知りつつも、自らの幸せのためにそれを看過する。みたいな話しだったかな。
この映画における、犠牲というのが村社会における異端者である難民の息子であるタケシやUターンでやって来た善次郎だった。その土地に縛られて生まれてから死ぬまでを過ごす人々にとって部外者というのはいつでも邪魔者であり、ある種の恐怖の対象でもあった。それが事件をきっかけに噴出し、疑心暗鬼の末にタケシを犯人として死なせることになる。分かりやすく生贄を作って事件を収束させたいという集団心理がそうさせたのかもしれない。豊かな国にやってくればそこが楽園なのだと思っていた母親に対して、他国の血が混ざるタケシは漠然と感じ取ってしまう。「どこに行っても同じ。楽園なんて存在しない」と。
善次郎のように上手くその土地に溶け込んだと思っても些細なことで安住の地を追われることになる。元からその土地にいた者の楽園を冒す人間はあっという間にその居場所を追われる。楽園の中ではその中の人間こそが正義になる。楽園とは内側の人間にとってのものであって外から来た人間にとってのものではない。
そんな偽りの楽園に絶望する少女が杉咲花が演じる紡。
友人の死に自責の念を感じており、事件の解決を願う一方でその犯人と目される男との交流を持つ。そんな矢先、真実が明らかになる前に村人に追い込まれてタケシは死んでしまう。爺さんの言葉で村の中に犯人がいるよりも部外者が犯人の方が都合が良かったと気づいてしまう。誰しも事件を犯す可能性があるのに、不審者や犯人が真実よりも村人の都合や偏見によって共通認識として受け入れられてしまう。その犠牲の上にのうのうと暮らしている人々や村そのものから逃れるために東京で暮らすことになる。
東京で暮らす紡を追いかけてやってきたヒロは、東京に来たときのことを母親から生まれてきた時のようだと言った。広くて自由な世界。そこでは土地や民によって自分が定義されることなく、村の一部ではなく1人の人間として生きていけると感じたのだと思う。紡に告げた「俺たちのために楽園を作ってくれ」という言葉は、人の在り方を指しているのだと思った。土地やコミュニティに縛られず、1人の人間として自由な在り方を求めることができれば、そこが楽園なのだと。その在り方を示す人であってくれという願いが表れているのかもしれない。
事件の渦中に身を置き、自らも傷を負った紡だが、それでも村によって作り上げられた“解決”を受け入れることなく、抱えていくことを選ぶ。病気になっても田舎に帰ることを拒んだヒロは「ここで何かをやってみたい」と言った。偽りの楽園から逃れて、道を模索する紡とヒロだが、その行先には真の楽園が待ち受けていることを願わずにはいられない。
ひどい!
誰にも共感出来ない。
脚本、台詞が理解出来ない。
日本人の理論展開でない。
これから、どんな共感を得ればいいの?
久しぶりに、見なければよかった映画。
杉崎の演技に星1つだけ。
でも、いつ、抱えて生きるって気になったんだよ!
優しかった同級生の病気か?
もう少し時間が必要なんじゃないか?
でも、信じてたヤツは、犯人だったんだよな。
なぜ、人間不審にならない?
わからん。
想像以上に重かった
映画館で毎回予告を見ているうちに本編も観たくなって来た。綾野剛と杉咲花、その他ベテランの役者さんがたくさん出ているので、間違いはないだろうと思っていた。
あいかを殺した犯人は誰なのか?まず、そこが主題では無かった。私は観ながら、何度も救いの手を求めていた。誰かが助けてくれるのでは?と。でも、誰も助けてくれはしない。しかも、あいかを殺した犯人はわからなかった。問題はそこでは無かった。
集団心理?閉鎖的な村の中での犯人探し。本当に怖かった。証拠もないのに、怪しいという1人の言葉で犯人に仕立て上げ、炎に包まれるたけしを見て、安心する。それまで仲良くやっていて、色々と助けてもらっていた善次郎を突然村八分にし、最悪の事件まで発展する。現実でもこういう事件ってあったような気がするけど、ニュースでは側面しか報道しない。この善次郎の事件は、村の人たちの閉鎖的な考え方がどう考えても事の発端。
救いがない作品で観ているのが辛かった。まさか、たけしが序盤で死んでしまうとは。ラスト、あいかは生きているって事?難しい話だったなぁ。
見応えのある作品。
期待してたものと違う点では新聞記者より酷い
原作未読
『悪人』『横道世之介』『怒り』の吉田修一原作で『64』の瀬々敬久監督
期待したがそれほどではなかった
ただただ閉鎖的な田舎の暗い話だ
笑えるところがないし感動もないしためにもならないしハラハラドキドキもないしほのぼのとした話でもない
原作が悪いのか脚本が悪いのか演出が悪いのか
下手なドキュメンタリー映画を見てるような感じでただただ淡々と話がすすむ
2つの原作をくっつけたのまずかったのか
話のテンポというかリズムが悪い
寝不足のせいか欠伸が何度も出た
なぜこの映画を作ったのか?この映画を通じて何を訴えたいのか?意味不明だった
その点でも新聞記者より酷い
タイトルの楽園もなぜ楽園なのかチンプンカンプンだ
長野の田舎を貶めているようにも感じた
そういえば『楢山節考』で有名な姥捨山は長野にあるがこの映画の舞台も長野なのは偶然か
税金なんだから文化庁も脚本とかしっかり読んで検討し安易にお金を出して欲しくない
役人がお金を出す基準がわからない
役者さんの芝居は良かった
本来なら星は1.5だが皆さんの熱演で星一つプラス
特にクメール人役の黒沢あすかが素晴らしい
片岡礼子のヌードあり
久々に見たが衰え知らず
生きてて良かった
綾野剛演じるたけしが灯油を浴びて火をつけて火だるまになるがああいう場合灯油ってそんな簡単に火がつかないはずだが
景色は綺麗だった
田舎の村人とか老い先短い爺さん婆さんの頭が物凄く固く、融通なんか一切きかないって当たり前すぎて何とも思わなかった。あいかの死体が出てこないのに精神障害ありそうなカンボジア人のたけしが犯人になれるのかって疑問が湧くし、東京で見つかった女の子があいかって名前で無事育ってるのも現実離れだし。ぜんじろうもただの初老のおっさんで今時の無敵の人見慣れると突飛な行動でもなく、つむぎが藤木みたいな偏屈爺さんにそんな罪悪感に苛むのも全然共感できない。片岡礼子のヌードも必要性感じないし、幼馴染のひろも相当ウザいから普通なら近づくとも思えないので徐々に親密になるのもなんだかな。なにもかもが共感できず景色が綺麗だった。
ラストパラダイス
原作未読 ぜぜイズムというか、かなりの酷しいリアリティを観客にほおりなげる作品である。群像劇の様相を呈してるのは、原作の二つの短編を合体した作りになっているからであり、三人の主要人物が薄い範囲で影響し合う構成。直接的にはストーリーは混ざってはいないし、“場所”という基礎のみが同一されていて時間軸が流れていく。
まず、何が難しい内容かと考えるに、このシチュエーションを経験していないから感情移入ができない、故に心情を咀嚼することが難しいことが上げられる。なぜならば、今作のような“村”という限界集落の現実というものをメディアを通じてでしか知り得ない立場からすると、“村”の陰と陽をステレオタイプでしか捉えられないのである。
共通項は『閉鎖社会に置ける暴力的排他性』。一方は『スケープゴート』もう一方は『村八分』という邦画が60~70年代に得意としていたホラーサスペンス要素の復活を匂わす画力だ。しかし探偵みたいな立ち位置がいないのであくまで種明かしはなく、問題解決のない、カタルシスとは真逆の着地である。ラストの女の子の決意は物語の救い的な落とし所になっているが、チョッカイだし続けていた男が突然の白血病的な展開きっかけに少々の不自然さを得てしまう。何だかんだツッコミ処は散見してしまうのだが、テーマ性が人間の本質を如実に表現されて、その深さとあからさまな叙情の溢れ度合いに斜め目線を許さない迫力をビシビシと浴びせかけてくるのだ。
村人達の容赦ない感情の吐露、全てを自分達に都合良く納めて楽になりたいと思う強欲さ、川に溺れた犬を棒で叩く事に血眼になる、まるで地獄のような惨劇。そこには救いなど在りようもなく、唯唯、強烈な『業』が幅を利かす世界が拡がるのみ。タイトルである『楽園』とはそんな掃き溜めのような世界であり、それが世界中に存在する社会なのだ。自分の楽園を作る事すら認められない追い詰められ方は、暴発をも受け入れなければならない、そんな自然の道理を人間は今一度思考すべきだと思い返される作品である。
ヤフコメで散見される“自己責任論”、を言い放つ輩がこの田舎の連中と同じ。劇中では主人公の女の子は全てを抱えて生きていく決心をする。翻って、コメ住人達は気持が引っ張られる事に苦しい故、楽になりたい、荷物を卸したい一心で、自分には無関係なのにスパッと切り捨てる。まるで柄本明演じる老人と同じだ。エンディングを思い出して、そのことが痛い位充分理解出来た気がする。
島国ニッポンのムラ社会を描く力作
原作は『怒り』『悪人』『さよなら渓谷』の吉田修一。
映画化作品をこのように並べると、自ずと今回の作品もどのような映画かわかるというもの。
近くに山並みが続く田舎町。
ある日、ふたりの小学生女児がY字路で別れた後、ひとりが行方不明になってしまう。
町では捜索隊を組織して懸命に探すが、赤いランドセルが川端で見つかったほかは何も持つからなかった。
それから12年。
再び同じY字路で、またもや女児が行方不明になってしまう・・・
といったところから始まる物語は、いわゆる犯人探しのミステリーのようにみえるが、映画の焦点はそこにない。
描かれるのは、島国ニッポンのムラ社会。
小さな共同体を維持するために余所者・異分子を徹底的に排除する、というもの。
物語は概ねふたつで、それぞれ吉田修一の連作短編に基づいている。
ひとつめは先に書いたY字路の物語。
余所者と目されるのは、文字どおり移民(本人たちは難民と言っているが)の青年。
タケシという青年を綾野剛が演じている。
12年後に起こった事件、そして12年前の事件の犯人と決めつけられ、村人たちに追われ、結果、焼身自殺をしてしまう。
ふたつめは、親の介護のために故郷に戻った中年男の物語。
介護のためのUターンを村のひとびとは、「立派だ」とはいうものの、一度村を棄てて出ていったことに変わりはない。
さらに、養蜂で村おこしをいうに至って、異分子とみなされる。
徹底的な排除により、怒り心頭に達した男は、村人たちを惨殺してまわる・・・
戦前に起こった「津山三十人殺し」を彷彿させる中年男・善次郎を演じているのが、佐藤浩市。
このふたつの物語で描かれる排他的悪感情は凄まじい。
田舎のことだと決めつけることはできず、現在の都会のコミュニティやSNSのなかでも同様のことは起こっている。
SNSでは、ただ直接的な接触がないだけ。
だから、観ていて恐ろしい。よそ事、とはおもえないから。
そして、ふたつの物語をつなぐ役割が杉咲花演じる紡(ツムグ)という少女(12年後には成人しているが)。
紡はタケシにも善次郎にも悪感情は抱いておらず、むしろ、他の国から来た存在、別の世界をつなぐ人としてみているのだろう。
なので、紡は都会へ出て、ひとりで生きていこうと決意する。
タイトルの「楽園」という言葉は終盤2度登場する。
ひとつは、タケシが語る台詞の中。
そこでは、「ディストピア」としての意味を語るのに用いられている。
ふたつめは、ラスト。
紡の幼馴染のヒロ(村上虹郎)が彼女に投げかける台詞で、ここでは文字どおりの意味で使われているが、これはこの作品では余計なことだったのではありますまいか。
製作者サイドは、いわゆる「明るい希望」を表すようなラストにしたかったのだろうが、この台詞でガクッと腰砕けになってしまいました。
とはいえ、かなりの力作です。
不審者を見かけたら110番に
不審者を見かけたら110番に
犯人を突き止める、サスペンス映画と思ったら村社会がメインでびっくり。
タイトルである、楽園の意味はなに?
結局犯人は彼でいいの?それなら村のみんなが追い詰めて殺したと言える?
渋谷であいかと呼ばれていた女の子はたまたま?深い意味はない?
とまあこんな感じで消化不良はたくさんありました、が、もう一度見たいというくらいには好きな作品でした。
限界集落という狭い世界で、一度目をつけられたら終わり、居場所は無くなってしまう。たけし親子の居場所がなくなったのだってそのせいもある、そして次は善次郎の番。立場のある老人たちだから学生のいじめより余計タチが悪い。
ただたけしが犯人だった場合、集団で人間を貶める恐ろしさは伝わらない。あいかは本当はどこかで生きてるってことがあったり、?
佐藤浩市出演のシーンは本当にすごい。映画自体が締まる感じがする。人当たりが良くてみんなから頼られる万屋善次郎から、徐々に居場所をなくして心を壊す。ラストにかけての演技が圧巻でした。
自分の居場所という楽園を探すタケシとその母
妻を感じることのできる楽園を探す善次郎
自分が生きることを許される楽園を探す紬
楽園についてはこの程度の解釈しかできませんでした、、
ロクヨンに比べて映像はとてもトーンが高く、寄りの映像が多く画面が揺れ酔いそうな場面が多々あった。これは人の感情や脳の揺るぎなど人間の不安定さを表していたのでしょうか。
閉塞感から抜けるということが楽園なのか。
長野の田舎で小学生が行方不明になり、いまだ見つかっていない。12年経過し、第2の行方不明者が出るも、それは発見される。
第3の事件は田舎の人間関係からの村八分になった男が同じ集落の老人6人を殺す。これは犯人と動機がハッキリしている。
ただ、その事件を描くことがこの作品の目的ではない。ミステリーなら犯人がきっちり描かれるはずだし。
そうではなく、
行方不明になった少女と最後にあった紡、
労働目的でやってきた母親を持つタケシ、
早期退職でUターンし養蜂をしていてのちに村八分になる善次郎、
3人の闇の部分、3人が周囲から受けるプレッシャー、3人が12年の間に揺れ動く心情を浮き彫りにしていくことがこの作品の目的では、と受けとめた。
群集心理で動く犯人捜しは根拠がなく、それで犯人扱いをしてしまう心の弱さを誰もが抱えている。それが露わになった。
楽園とは
率直に言うと和製ジョーカー。
ジョーカーを先に見たため余計にそれを意識した。
まずこのお話には最後の最後まで徹底的に救いが無い。特に善二郎の物語はジョーカーそのものだ。1人の普通の男がどのようにして、村の人間を6人も殺傷してしまう殺人鬼になったのか。
誰が少女を誘拐したのか。それは最後まで明言はされない。もしかしたら生きていてどこかで幸せに暮らしているのかもしれない、又は外国籍の青年が誘拐したのか。
作者が描きたかったのは明確に個人を犯人とすることでは無い。
村の全ての人が少女を誘拐したのだ。そう思った。
狭い集落の中で起こる排他的な村八分といういじめ。
外国人というだけで差別的な扱いを受ける青年。
それら全ての人が少女を誘拐し恐ろしい連続殺人事件を起こしたのだ。
この作品に出てくる登場人物ははそれぞれ楽園を探してもがいている。
それらのもがき、苦しみが一切ない楽園は果たしてこの世にあるのだろうか?
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