「俺たちのために楽園を作ってくれ」楽園(2019) aさんの映画レビュー(感想・評価)
俺たちのために楽園を作ってくれ
この映画を見て思い出したのがオメラスの理想郷。
1人の少女を地下室に幽閉することで、それ以外の民は幸せを享受する。全ての民は少女の犠牲を知りつつも、自らの幸せのためにそれを看過する。みたいな話しだったかな。
この映画における、犠牲というのが村社会における異端者である難民の息子であるタケシやUターンでやって来た善次郎だった。その土地に縛られて生まれてから死ぬまでを過ごす人々にとって部外者というのはいつでも邪魔者であり、ある種の恐怖の対象でもあった。それが事件をきっかけに噴出し、疑心暗鬼の末にタケシを犯人として死なせることになる。分かりやすく生贄を作って事件を収束させたいという集団心理がそうさせたのかもしれない。豊かな国にやってくればそこが楽園なのだと思っていた母親に対して、他国の血が混ざるタケシは漠然と感じ取ってしまう。「どこに行っても同じ。楽園なんて存在しない」と。
善次郎のように上手くその土地に溶け込んだと思っても些細なことで安住の地を追われることになる。元からその土地にいた者の楽園を冒す人間はあっという間にその居場所を追われる。楽園の中ではその中の人間こそが正義になる。楽園とは内側の人間にとってのものであって外から来た人間にとってのものではない。
そんな偽りの楽園に絶望する少女が杉咲花が演じる紡。
友人の死に自責の念を感じており、事件の解決を願う一方でその犯人と目される男との交流を持つ。そんな矢先、真実が明らかになる前に村人に追い込まれてタケシは死んでしまう。爺さんの言葉で村の中に犯人がいるよりも部外者が犯人の方が都合が良かったと気づいてしまう。誰しも事件を犯す可能性があるのに、不審者や犯人が真実よりも村人の都合や偏見によって共通認識として受け入れられてしまう。その犠牲の上にのうのうと暮らしている人々や村そのものから逃れるために東京で暮らすことになる。
東京で暮らす紡を追いかけてやってきたヒロは、東京に来たときのことを母親から生まれてきた時のようだと言った。広くて自由な世界。そこでは土地や民によって自分が定義されることなく、村の一部ではなく1人の人間として生きていけると感じたのだと思う。紡に告げた「俺たちのために楽園を作ってくれ」という言葉は、人の在り方を指しているのだと思った。土地やコミュニティに縛られず、1人の人間として自由な在り方を求めることができれば、そこが楽園なのだと。その在り方を示す人であってくれという願いが表れているのかもしれない。
事件の渦中に身を置き、自らも傷を負った紡だが、それでも村によって作り上げられた“解決”を受け入れることなく、抱えていくことを選ぶ。病気になっても田舎に帰ることを拒んだヒロは「ここで何かをやってみたい」と言った。偽りの楽園から逃れて、道を模索する紡とヒロだが、その行先には真の楽園が待ち受けていることを願わずにはいられない。