「抱えて生きて行く事。そのものが罰。」楽園(2019) bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
抱えて生きて行く事。そのものが罰。
ガラガラの劇場でスカスカな映画を見せられる覚悟でした。正直言うと、キャストが苦手な人のオンパレードだし、トドメは瀬々敬久監督。見るに耐えない率、結構高いから。個人的な印象だけど。
二つの物語を無理矢理に貼り合わせた感はあるけれど。良かった、物凄く。映画として。
瀬々敬久監督らしく、恐ろしく丁寧に撮り進めて行きます。リアル。画も素晴らしかった。最近の邦画、「心象表現禁止令でも出てんのか?」と思わされるくらいに雑なモンで溢れてるから。個人的な印象ですが。
少女2人の家路の距離感を教えてくれる構図。剛士と紡の帰宅への気の重さを表現する車の停止じの追いかけ方。村の中での立場をワンカットで表現するピント移動。丁寧な丁寧な、日本映画の文法。ホントに好き。
役者さんも素晴らしかったです。哀しさ辛さがスクリーンから滲み出して来る杉咲花を筆頭に。田舎の痛い青年になり切った村上虹郎。ベテラン勢は言わずもがなで。タメも余韻も端折らずにカメラを向け続けて。「良い瀬々敬久」全開の演出でした。
早くてダイナミックな展開が大好きなテレビ慣れした日本人に腰を据えて見て欲しくなります。
剛士が本当に殺したのか、はグレーのまま。観客にも、抱えてくれ、って事? 罪悪感、後悔、喪失感、寂しさ、悔しさ。罪を犯した者は、その大小に関わらず、何ものかを抱えて生きていく。それが罰。そこから逃れる為に他者を傷付け、犠牲にしても、結局は逃れられない。
楽園なんて何処にも無いから、作るしか無いんだよ。って言う話。
良かった、とっても。
ついでにクルマオタ。少女が消えた夜、Y字路に乗り付けられたクルマの中に、先代デミオが有りましたが、あの型のデミオの登場は平成19年です。平成16年の事件現場にいちゃダメですよぉ。
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10/28 今更ながら追記。
「楽園」って何よ、って言う話。
「楽園」の宗教上の定義は「繁栄、幸福のみが存在するとされる」と言うのがwikiの記述。更に「充足した場所であるが、豪奢であったり無為であったりする必然性はない」と続きます。ささやかな充足が欲しかっただけの人々の「楽園」は、人間社会の様々な事どもにより穢されて行きます。嫉妬、憎悪、悪戯、意地悪。少女の命が奪われた顛末は明かされないままですが、それもまた人間の行為であることには間違いは無く。つまりは「誰かが楽園にとどまる事を許さないのは、人の所業による」と言うのが、この物語の登場人物に共通する経験です。
若い二人の明日を示唆しながら終わるこの物語は、「楽園の存在を否定」する一方で、「誰かと生きることに希望を見出せ」と言うのが主題だったんや無いかと思いましたんたんたぬき。
瀬々監督は、局面局面の演出に全力投球する特性がある、と感じています。その余り、枝葉でしかない設定やエピソードが過剰に強調されてしまい、主題を勘違いされてしまう事が多かったりする。で、度々、枝葉の演出が行き過ぎて、映画をぶっ壊すこともある。これ、個人の印象ですけど。要するに、村社会とか外国人への冷たさやいじめの構図等々は、一つ一つに引っ掛からずに鳥瞰して観るべきです、ってのが言いたいことです、瀬々監督の場合は特に。
やっぱり俺、おちゃらけを忘れたら死ぬ病気に冒されてます。