ラストレターのレビュー・感想・評価
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松たか子恐るべし
森七菜をはじめて知った。メロメロになった。
広瀬すずとワンピースを着て犬を連れている姿など妖精のよう。もうイチコロだった。
松たか子は文通が広瀬すずともはじまってから本当に脇役になったのだけれど、姉じゃないのに言い出せなかったり、無様に姑の尾行をしたりと、だめな役に忠実なのが素晴らしかった。存在感が大きいのに出しゃばらずに脇役がしっかりできるとはとても感服した。
と、最近の映画は俳優の魅力でもっているようなところがあり、今回の話もちょっと苦しい。
一言で言えば優等生がDV旦那と一緒になった悲劇。よくある設定で、これで悲しめと言われても……。
「もうちょっと早く来てくれれば……」
の広瀬すずの一言に尽きる。そうなっていれば映画にならないところに無理を感じる。
豊悦の話も面白かったけどラブストーリーで講釈されるようなことではないのでは?欲張りすぎたね。
DV旦那に苦しみ病苦の生涯を送った姉に対して松たか子はあまりにも普通の主婦になってしまって、並べるにはあまりにもドラマ性がない。姉の死に対する無感情さも不自然だ。それが長年の姉に対するコンプレックスの裏返しですらない。姉の死を通じで再会した福山と握手ができた、サインをして欲しいとははしゃぎすぎだ。
見誤るくらい似ているのならキャストを考えたらどうかとも思った。それこそ、広瀬姉妹をそのまま使えば?あの二人なら同窓会で間違えられても不思議はない。すずは鮎美役はよかったけれど、「できる姉」を演じるには少し控えめすぎる。アリスなら……と主張したら、一緒に観てくれた姪に「アリスに高校生は無理!」と一蹴された。まあ、おかげで森七菜を知ることができたからいいんだけど。
タイトルのラスト・レターは未咲が鮎美に残した手紙。神木隆之介と作った高校の答辞。以前も書いたが、ラブストーリーは高校時代のことしか描けないのだろうか。確かに初恋は特別ではあるが。人間として自立したあと、人は恋愛できないのだろうか。それはこの社会の貧しさなのか。映画界の貧しさなのか。
福山雅治の使っていたフィルムカメラが気になる。
ロマンティシズムの奥底に横たわる「うしろめたさ」
岩井監督作品って、そういえば『Love Letter』と『スワロウテイル』ぐらいしか観ていません。
珠玉のラブストーリー・・・というのが謳い文句ですが。
40代半ばの主婦・裕里(松たか子)。
姉の未咲の葬儀のあと、彼女の娘・鮎美(広瀬すず)から、未咲に宛てた同窓会の案内と、美咲が残した鮎美宛ての最後の手紙があることを知らされる。
鮎美宛ての手紙は彼女に委ねることとしたが、生徒会長だった姉の死を告げるために裕里は同窓会に赴く。
しかし、25年ぶりの同窓生たちは裕里のことを美咲と勘違いし、あまつさえも開会のスピーチまでせがまれてしまう。
本当のことを言い出せず、美咲になり替わってスピーチしたものの、いたたまれなくなり、すぐに会場を後にする美咲。
その背後では、もうすぐ取り壊される母校の写真に重なって、卒業式で美咲が読んだ卒業生代表の挨拶の声が流されていた。
帰途のバスを待つなか、裕里を追いかけてきたのは、乙坂鏡史郎(福山雅治)だった。
彼とスマホで連絡先を交換した裕里だったが、交換後に何度か連絡をしたのち、その内容を不審がった裕里の夫(庵野秀明)の癇癪のためスマホは毀されたため、乙坂から渡された名刺をもとに、簡単な手紙を送ることにした。
しかし・・・
作家の肩書を持つ乙坂は、高校時代に美咲宛てにラブレターを送っていた相手だったが、その手紙を仲介していた裕里は、その手紙を美咲には渡さなかった経緯があった・・・
というところから始まる物語で、書簡小説の映画化のような雰囲気。
書簡小説というのは、手紙だけで物語が進んで行く小説で、この映画の作りとは異なるけれど、雰囲気は似ている。
手紙・・・というツールは、書き手そのものがあらわれているように思えるが、その実、ほんものとは異なる。
たしかに、心情を吐露するがゆえに真実に近いように感じるが、何かしらを隠している。
この「何かしら」が重要で、映画で描かれる場合、特にロマンスものの場合、その奥底にはある種の「うしろめたさ」が隠されている。
この映画ではそれが如実で、わかりやすいのは裕里である。
高校生時代の初恋の相手・乙坂。
高校時代にも姉・美咲に彼からのラブレターは渡さず、秘かに姉になりかわって返信をしている。
年を経ても、どこか浮足立ってしまい、正体はわからないだろうと、姉になりかわってしまう。
浮足立ってはいるが、うしろめたい気持ちをある(そのうしろめたさが夫に伝わって、スマホが毀されるということになるわけだが)。
乙坂についても同様にうしろめたさがある。
ここからはネタバレ。
彼は同窓会にあらわれたのが裕里だと気が付いている。
気が付いているにも関わらず、初恋の人・美咲のことが気になり、手紙でのやり取りを続けてしまう。
途中から、そのやり取りの中に、別人の手紙が混じっても続けてしまう。
別人からの手紙が娘の鮎美だと気づいているかどうか不明だが(なにせ筆跡がまるで異なるので別人だと思っているに違いない)、気づいているからこそ、美咲のことが気にかかり続けてしまう。
彼は、一時期、美咲と付き合ったことはあるが、彼女が別の男性に走ったこと、走らせたことに踏ん切りがついていない。
それを隠して、「同級生」の乙坂として振る舞ってい、それに関してうしろめたさがある。
うしろめたいことは、さらに、美咲の娘・鮎美にもあり、彼女は母親と乙坂の関係を知っている。
知っていながら、知らぬふりをし、乙坂が現れることを期待している。
現れないまでも、彼が本当のところ、どんな人間なのかを知りたがっている・・・
ロマンティシズムとは、果たせなかった夢、手に入れることが出来なかった憧れだと思うが、そういう自分を納得する自己肯定ともいえる。
ただ、自己肯定だけで終わってしまうと、ただの「自己満足」にしか過ぎないのだが、同時にその夢や憧れやそれに関わった人々を受け容れることで、一段、昇華できるのだと思う。
そして、そのロマンティシズムには、往々にして、うしろめたさがつきまとう。
肯定できない自分・・・
うしろめたく肯定できない自分、自己に受け容れた他者、肯定した自己・・・というのがロマンティシズムなのだろう。
この映画は、そんな映画だと感じました。
追記
裕里、鮎美、乙坂をポジとすれば、美咲の夫・阿藤は陰画(ネガ)。
ならば、美咲はどうなのか。
自己を肯定できないまま死んだ彼女は、裕里、鮎美、乙坂に受け容れられ、理解されたことで、ポジに変わったかもしれません。
この映画の主役は、画面に一切現れない、高校卒業後の美咲かもしれません。
さらに追記
この映画では、ロマンティシズムの奥底にある「うしろめたさ」を強く感じたわけですが、それ以外にも印象的なところがありました。
それは、死者に対する想い。
「私たちが想い続けている間は、美咲は生きているんでしょうね」という意味の台詞です。
これは常々感じていることだったので、「そうだよ」と納得しました。
この「想い続ける」ことのメタファーとして用いられているのが、「美咲が読む卒業生代表の言葉」と、乙坂が書いた小説。
後者については映画の中でわかりやすく描かれているので、それ以上に言及することはないのですが、前者については補足しておきたい。
ご覧になればわかりますが、タイトルが示すものは、「美咲が読む卒業生代表の言葉」の原稿だったわけですが、これは乙坂との共同作業でした。
これが後の乙坂の小説『美咲』に繋がるのですが、前半で、効果的に使われています。
同窓会のシーン、裕里がスピーチの後、いたたまれなくなって席を立った時に、学年主任の老教師が、自宅で見つけたという「卒業生代表の言葉」のテープ、その音声が流れます。
出席者は神妙に聞いているわけですが、その前に裕里を美咲と勘違いしていることから、皆は実は「忘れている」わけです。
憶えていると言いながらの、忘れている・・・
この残酷性。
忘れない、思い続けていることのメタファーとして、最後の最後に出てくる原稿。
この対比、この語り口はあまりにも巧み。
そして、優しい。
もうひとつ補足しておきたいのは、キャスティングのシンクロニシティ。
相似形といってもいいでしょう。
鮎美と若き日の未咲を演じる広瀬すず、若き日の裕里と裕里の娘・颯香を演じる森七菜は二役なので、当然似ているわけですが、それ以外に、乙坂役の福山雅治と裕里の夫役の庵野秀明も似ている。
似ていないよ、と言われるかもしれませんが、ぼさぼさの髪、黒ぶちメガネ、無精ひげと雰囲気が似ている。
かつ、乙坂は小説家、裕里の夫は漫画家と職業も似通っている。
ぼさぼさの髪、無精ひげというパーツを通して、美咲の夫・阿藤役の豊川悦司も同一線上に並びます。
この相似形は念の入ったことに、裕里の実母役の水越けいこと義母役の木内みどりにも及び、さらには裕里の家で飼われることになる犬にまで及びます。
同じ犬種の大型犬が2頭。
この相似形が美咲と裕理に及ばないところが難点なのですが、これを最後に、乙坂が撮る鮎美と颯香の写真を牛腸茂雄ばりの構図に仕立てあげることで、相似形を生み出しています。
こう考えると、個人的には若き日の乙坂役を八代目市川染五郎に演じて欲しかったところ。
そう、松たか子の甥です。
徹底した相似形のマジックとしてのキャスティング。
そんな妄想も膨らんだわけですが、追記もこれまで、といたします。
今もあなたを想ってます~25年越しのラブレター
近年も『リップヴァンウィンクルの花嫁』などの意欲作を手掛けていたが、岩井俊二監督の作品が全国メジャーで公開されるのは久し振り。
『リップヴァンウィンクル~』も『リリイ・シュシュのすべて』もミニシアターだったし、『花とアリス』以来? ひょっとしたら、『スワロウテイル』まで遡るかも…?
岩井俊二の久々の全国メジャーは素直に嬉しい。
さらに、このタイトルから代表名作『Love Letter』を彷彿させ、期待は自ずと高まる。
確かに『Love Letter』を彷彿させる点が多々。
開幕は法事シーンから。ヒロインの仕事も図書員。
手紙から始まる物語。
現在と過去、交錯する想い。
演者の一人二役。
美しい映像と音楽、繊細で透明感と情感溢れる岩井ワールド。
岩井俊二がこの令和時代に届ける、新たな『Love Letter』。
『Love Letter』同様、ツッコミ所やオイオイ所もある。
2児の母・裕里は姉の未咲を亡くし、その葬式の席で姉の娘・鮎美から母宛てに届いた同窓会の報せを受け取る。姉の死を知らせる為代わりに出席するが、周りの勢いもあって言い出せず…って、そこはちゃんと言わなきゃアカンでしょ。
そこで、姉の元恋人で裕里にとっても初恋の先輩・乙坂と再会。姉と勘違いされたまま文通が始まる。幾ら初恋の相手と再会したとは言え、まだ言い出せないんかい!
文通は裕里が一方的に送り、こちらの住所は表記せず。困った乙坂は未咲の実家の住所に手紙を送る。
するとそれを未咲の娘・鮎美が見つけ、母に成り代わって手紙を書き送るのだが…、
未咲名義で送られてくる裕里と鮎美の手紙。文体や文字の違いに違和感あるだろうに。
乙坂はこれでも小説家。ちゃんと分かっていたし、再会したのが裕里である事も気付いていた。
裕里はある場所を“中継地点”として手紙を書いていたが、その住所を表記したので、そりゃあ訪ねて来るでしょう。
義母と恩師のエピソードや3人の文通が行き交い、『Love Letter』の方がシンプルであったのは事実。
前半はちと粗い点やコミカルな点が目立ったが、ここからグッと胸に迫ってくる。
手紙や再会した相手が裕里である事を知っていた乙坂だったが、未咲が死んだ事は知らなかった。
世間的には病死としているが、実は…。
ショックを隠せない乙坂。高校時代両想いとなり、大学時代付き合っていた未咲と乙坂。
が、別れた未咲はその後…。
高校時代の二人を知り、自身も乙坂に想いを寄せていただけに、裕里の涙ながらの言葉は悲痛。
「あなたと結婚していてくれたら…」
乙坂は別れた原因となった素性の知れぬ男を訪ねる。
未咲の人生をズタズタにした男で、本当なら一発殴ってやりたい所だが、逆に辛辣な言葉を浴びせられる。
それはろくでなしの戯言でありつつ、鋭く的を射てもおり…。
自分にとって、未咲の存在は何だったのか…?
いや、自分は未咲にとって大切な存在だったのか…?
また、裕里が密かに抱き続けてきた想い。
悲しい形で母を亡くした鮎美の思い。
三者三様の思いが交錯した時…
松たか子、広瀬すず、森七菜、神木隆之介、福山雅治…まるで狙ったかのような魅力的なキャスティング。
『四月物語』(←こちらも非常に好きな岩井作品!)以来となる岩井作品主演の松たか子は安定の好演。
学生時代と現在の乙坂の二人一役の神木クンと福山雅治。福山雅治はスターオーラを消してしがない中年男性の悲哀を滲み出していた。
何と言っても、鮎美と学生時代の未咲、裕里の娘・颯香と学生時代の裕里、それぞれ一人二役の広瀬すずと森七菜のフレッシュ感!
過去シーンで広瀬と森と神木クンが織り成す三角関係は演者の魅力もあって、甘酸っぱく切なく、作品そのものの肝と言っていい。
まさかの出演の庵野サンもユーモラスだが、『Love Letter』好きとしては中山美穂と豊川悦司のゲスト出演!
特にトヨエツは異様な存在感で場をさらうが、この2人が『Love Letter』のあの爽やかカップルのその後の姿だったらガッカリ…なんてね。
勘違いや交錯した文通から甦った初恋の記憶…。
もう一度。自分は未咲にとって大切な存在だったのか…?
あの頃、書き送り続けたラブレター。
大切に残され、それは決して忘れはしない想い。
誰より大切だった存在。お互いにとって。
密かに秘め続けてきた想いと再会出来て。
母とその周りの大人たちの思いを知って。
大切な人への想い。
初恋の人への想い。
母への思い。
あなたを想ってます。
25年越しの時(ラブレター)を経て、今も心の中にーーー。
美咲でなく未咲
福山雅治さんが、陰のある人を演じると趣きがでますね。普段がエネルギッシュなだけに。集団左遷の片岡洋役は、熱量が多すぎてちょっとどうかなって、思ってしまいました。容疑者Xの献身の堤真一さんの役と福山雅治さんの役が入れ替わっても面白いのでは?とふと思いました。
それはそれとして、乙坂鏡史郎は誰の人生を生きているのか?大学時代の遠野未咲と付き合っていたときから先に進んでいないのは、あまりにも人として弱いです。未咲が阿藤と駆け落ちしたのも知らずに独身のまま想い続けても自己陶酔にしか見えず、阿藤のセリフの「お前は未咲の人生に何の影響も与えていない」は、豊川悦司さんの圧倒的な演技と相まって、乙坂のダメさを端的に示していると感じました。裕理の家を東京から尋ねる行動力があるのだったら、もっと早く動けと思います。
生徒会長でマドンナだった遠野未咲が、乙坂の反動で阿藤の男らしさを勘違いして駆け落ちし、美しく咲くことなく、未だ咲かずにそのまま落ちてしまったのは、阿藤だけの所為ではないのでは?と思いながら見ていました。
鮎美は、まだ子供なのでDVの阿藤に対する恨みがあり、温厚で優しい乙坂が素敵と考えるかも知れませんが、未咲の遺書は「鮎美の人生は無限の可能性があり、自分で考えて『積極的』に生きて行け」と言っているようにさえ思えました。乙坂は、一度しかない乙坂の人生をどう生きたいのか?フラストレーションが溜まってしまいました。
初恋厨二病拗らせちゃった系男子と雰囲気映画
題名の通りです。
まず、中年になった2人とその子供を中心に話が進みます。
よく映画やドラマである「この人のここが好き」がなく、福山雅治の高校時代、神木隆之介は学年のマドンナ広瀬すずの顔を好きになり、そこからずっと好きです。どこが好きかは言えませんが、とにかく好きみたいです。そして色々あったけど中年になって「25年間ずっとすきなの」と手紙を送りますが、広瀬すずの妹の森七菜が中年になった松たか子が姉のかわりに手紙を送る…そのような話。そこでもいろいろあるのですが、とにかく、くさい。
初恋を引きづらずに結婚して子供を育てている松たか子(森七菜)はともかく、福山雅治は高校時代に好きだった理想の女の幻を今でも追い続け、自分でも「まだ君の幻を見る」とか言っちゃう。大学時代にあっけなくふられてそこからずっとすき。多分結婚してない。出した小説も女のことを書いた一冊のみ。
いろいろあってあとで「もっと早く結婚しておけばよかった」と周囲含めて後悔しますが、その周囲もネチョネチョしててわけわからない。普通に考えて初恋拗らせてる中年男子がいきなり家に押しかけてきて「結婚しておけばよかった」なんていったら気持ち悪いでしょう。
あと、広瀬すずは生徒会長役ですが、おしつけられたようにしかみえない。マドンナっていわれてたのも、周りがそういうことによって囃し立てるためのものでは?と思ってしまう。
人気者の生徒会長っていうよりも、面倒くさいことは押し付けられるタイプ。
もう少し高校時代の描写が欲しかったですね。森七菜とかいろいろわからないことも多いので。
いろいろありますが、とにかく是枝監督のような良さげな雰囲気出しておいて中身は気持ち悪くてねちょっとしている青春引きずった厨二病のお話です。
主題歌も森七菜が歌っているけれど、あのラストシーンの後はミスチルでしょう。
女性の声は合っていない。
果たしてここで歌手デビューさせる必要があったのか。せっかくいい女優さんなのに、勿体ない。
主役でもないんだから、ここまでゴリ押ししなくても、と思う。
剛力彩芽ルートにならないといいな。
役者さんたちの自然な演技、映像美が素晴らしい!
初恋。
そんな相手の存在と思い出があることで、
今を生きていける。たとえ、悲しい結末でも。
初恋、恋の素晴らしさがわかる映画のような感じを受けました。
しかし、それは、生きている乙坂鏡史郎だったから言えること。
自殺してしまった未咲にとっては、恋って、なんだったのだろうと、思ってしまいます。
ストーリーも淡々と進むのだけど、映像が美しく、役者さんたちの演技もとても自然で、引き込まれました。
森七菜ちゃんの良さが際立っていました。
最後の主題歌も素晴らしかった!
福山雅治は冴えない中年にも見えたけど、
やっぱりかっこよかったです…
ラストの広瀬すずのシーンは、とても良いです。
しかし、
自分の人生にとってかけがえのない財産と言える、学生時代の思い出がない人は、どうやって生きていくのだろう。
自分には、今の支えとなる学生時代の思い出、過去の記憶が見当たらず、悲しくもなりました。
まだ20代。これから、そんな記憶が作られていくのだろうか。
しっとりとじわじわと心に刻んでいく物語
結構最後の方になりますが、福山雅治さんがお線香をあげに行った時にすずちゃんが言った、ラブレターについてのセリフで「宝物にしてました」が、私的には一番のぐっとくる印象に残ったシーンでした。
松たか子さんの演技は本当に良い!好きだなぁ〜
本当のことを隠しながら話すかんじとか、つまりながらの話し方が上手すぎる。あと、目線の動かし方もすごく魅力的。
演出に関しては、しっとりゆっくりな雰囲気で景色とかを多く映す映画ですがほとんど退屈せずに鑑賞しました。
そういえば、広瀬すずさんと森七菜さん、二人が並ぶと、すずちゃん大人になったなぁって感じる。大人の演技になっていくすずちゃんを見ているとなんだか時の流れって早いなぁ〜って感じました
惜しい印象を受けました
原作を読んでなかったので、映画では心情の描写が裕里サイドだったので、同窓会で会った時から裕里と思っていた鏡史郎側の心情の細かい部分が分からなくて、ここが分かっていたらもっと楽しめたのかなと思うのが1つと、阿藤と未咲がどんな出会いをしてどんな結婚生活を送っていたのかの描写がなく、自殺する程苦悩をしていた様子が阿藤の風貌や言葉だけで伝わりにくかったのが1つ、鏡史郎が未咲に一方的に想いを寄せている描写は大変美しい思い出としてあるけど、想いが成就し付き合っていた時の描写や阿藤に奪われた時の苦しい描写がなく、片想いの部分だけに描写を当てすぎなのは、主人公が裕里だからでしょうか?交際していたはずなのに、遺言が交際前の答辞であるのもよく分からなくて、その4点がモヤモヤしました。裕里の片想いを主に考えたらそれで良いのかも?ただ、それだと裕里の家庭が崩壊することも無く、今ひとつインパクトがない退屈な印象を受けました。
俳優さんは福山雅治さんを始め豪華キャストで、風景も良かったので、本当は素晴らしいラブストーリーでしょうが、美しさ重視でドロドロな部分が省略されすぎて分かりにくく、惜しい印象を受けました。
個人的にはマチネの終わりにの福山雅治の方がキュンキュンしました。
語られなかった想いは・・・
かなわなかった初恋の相手に手紙を書いてしまう裕里(松たか子)、相手が本人でないと知りつつ声を掛け、手紙に返事を書いてしまう鏡史郎(福山雅治)。
手紙が題材だからか、多くは語ってくれないので、こちらが行間を読むことになります。
鍵になっているのは死んだ未咲(広瀬すず)ですが、彼女については輪郭しか分からないので、どういう想いだったのか…
たった一度届いた年賀状は、後悔と、迎えに来てほしいという意味だったのか。鏡史郎は手紙の相手が途中で一人増えたことに気付いて、未咲に会おうと決心したのか。
分からなかったのは、未咲と鮎美(広瀬)がいつ実家に戻ったのか。鮎美が祖父母の家に馴染んでいて、いとこの颯香(森七菜)とも仲良しになっているのを見ると、母親が体を壊した数年前なのでしょうか。
でも裕里は鏡史郎に、「姉とはずっと疎遠だった」と言っていた。実家で何度か会ったのに、反発心から、姉と本音の話をしなかったのか、その事に後悔は無いのでしょうか。
また鮎美は、自分を置いて自殺した母への恨み言を言いません。でも、母が残した答辞は、娘のこれからの人生へのエールとともに、自分は不幸ではなかったというメッセージでしょうか。
少しもやもやしましたが、登場人物がみんな魅力的で、映像も美しくて、最後には爽やかな気分になります。松さんはかわいい、七菜ちゃんはピュアで、すずちゃんは無垢な中にも秘めた情感が素晴らしい。神木くんが一瞬で恋に落ちるのもうなずけます。
宮城の自然は美しいですが、宮城県らしさは感じなかったので、地名の表示は要らないかなと思いました。
何者でもない人間
何者でもない人間に自分の好きな人の人生を壊されて
自分は何も好きな人の人生に影響を与えることがなかった
大きな影響はなかったかもしれないが
小さな影響は沢山与えることが出来たのではないのかな。
ロリコンと理性のハザマで揺れてる気が
岩井俊二監督の本質ってロリコンだと思う。
勝手な想像でホントに申し訳ないけど。
もちろん天性の映像センスがすべてを覆い隠しているんだけど、
今回は(思うに年齢もあり)そのロリコン性が、随所に現れてきてしまっていると思う。
少女を美しくとるためのこだわりや仕草、それらは恐らく作り込んでいるんだが、
部分部分でおっさん目線的、いやおっさんロリコン的なはぁはぁ的息遣いを感じてしまった。
(あくまでも個人的な感想です・・すいません)
ストーリーもエンタメや作品に仕上げるために多少の破綻は全然OKだけど、
破綻の理由のすべてが「少女を美しく撮る」ためにまとめられた感があって萎える・・。
岩井俊二監督って、広瀬すずより森七菜が好みな感じも。
編集的にそんな感じがしてしまった。
それくらい森七菜の存在感があったのかもしれないけど。
岩井俊二監督は次回以降、きれいな少女をきれいに撮るのではなく、
パパ活とか設定がダーティなテーマにチャレンジしてほしいなあ。
おっさんになりつつあるロリコン目線を等身大に設定して、おっさんと少女の報われない恋あたりを美しく見せてほしい。
あの…サインもらえますか?
映画館に向かう前に『Love Letter』観ておいて良かった。全て繋がってくる、全て伝わってくる、展開が読める・・・いい意味で見事なアンサーストーリーになっていました。「君にまだずっと恋してるって言ったら信じますか?」という、ちょっとカマかけメールなんてのも最初に送ったけど、これが裕里の夫(庵野秀明)の怒りを買う。この庵野秀明だけがキャラの中で異彩を放っているのですが、岩井俊二監督の交友関係なのでしょう、きっと。
『Love Letter』(1995)でも感じた、主人公の初恋と見せかけて違う人の初恋を描くこと。たまたま、また元に戻っちゃいましたが、これも仕掛けの一つだと思います。25年の歳月、前出の映画からも25年、時代はアナログからデジタルへと急速に変化を遂げ、手紙なんて書かなくなった現代。プロットとしては渡さなかったラブレターとか、姉未咲に成りすまして綴る手紙とか、珍しい手紙のやりとりをスマホを水没させたことによって上手く使ってます。
おっさんなので同窓会のシーンだけでもウキウキしちゃいましたが、登場人物に水越けいこや小室等という、これまた珍しいミュージシャンの登場でワクワクさせられました。水越けいこと言えば「ほほにキスして」でブレイクしたシンガーソングライターなのですが、実は大学の同級生(バンド仲間)の高校時代の先輩(つまり赤の他人)…という、親しみの持てる女性です。それがこんなに老けてるとは…失礼。びっくりです。ここでも英文添削の手紙のやりとりがあるのですが、どちらかというと進研ゼミやZ会なんかを思い出してしまいます。
手紙そのものの美しさよりは、それぞれの初恋に焦点を集めた物語。ズキーンときたのが裕里(森七菜)が鏡太郎(神木隆之介)に手紙を渡したシーンでしょうか。だけど、鏡太郎の心はすでに未咲の方へ・・・。こうなってくると三角形の文通も単なる道具でしかなかった。
ミポリンとトヨエツの登場もうれしい限りでしたが、この二人に関してはキャスティングを伏せておいた方が良かったのではないでしょうか。いやーな役のトヨエツではありましたが、彼が未咲を奪った形になったからこそ小説「未咲」が完成したのも事実。でも、鏡太郎と結婚していれば良かったのに…で涙。なんで結婚せんかったん?もう、どれだけおっさんを泣かせるん?!
取り壊しの決まった校舎に立ち寄る鏡太郎(福山)。そこで見かけた二人の少女。ここで、校舎よりも先に涙腺が崩壊してしまいました。だって、広瀬すずも森七菜も一緒だもん!これは夢か幻かっっ!“both SUZU and NANA” にやられました。
映像は全体的にドローンを多用して今風な感じに仕上がってましたが、ここが泣き所だ!という校舎のシーンで全て吹っ飛んでしまいました。絵になる二人・・・俺も小説書いてみたいという気持ちにさせてくれるのです。そして仏前での一言「迎えに来てくれると思ってたのに、来るの遅いよ」。ガーン。やっぱり何か書きたい!と、いつもより長文になってしまいました。
それから、最後の「サインもらえますか?」で一人笑ってしまいまして、他の観客の方、ごめんなさい。
期待して見に行ったけど
良くなかった。なんだか軽い。気持ちが入っていかない。福山演じる乙坂が可哀想過ぎる。優しすぎる。なぜあとうを殴らないのか、なぜゆうりに怒鳴らないのか?、まただまして手紙を書いたそよかとあゆみの2人の罪意識が軽いのか?理解出来ない。
ラブレター、ラストレター
「早春の風に背中を押されるように…」
乙坂は未咲に背中を押されたのだ。
そして、早春の風が通り過ぎるように、未咲は乙坂の元を去った。
高校時代の裕里も、大人になった裕里も、寂しそうな笑顔が印象的だ。
願っても叶えられない恋もある。
叶えられずとも、未来は決して暗くはない。
たとえ叶っても辛い恋もある。
辛くても人は乗り越えなくてはならない。
屈託のない鮎美と颯香のやり取りや、未咲の死を受け入れ乗り越えようとする鮎美に若さの可能性を感じる。
この4人で交わされた手紙は、皆と亡き未咲を繋ぐ。
乙坂から未咲への手紙は、鮎美と未咲をより深く繋ぎとめる。
人を想い続けることはラブレターを書くこと同じだ。
しかし、いつか終わりにしなくてはならない。
未咲が乙坂と作った答辞は、鮎美へのラストレターとなった。
答辞は、それまで一生懸命に過ごしたというメッセージだ。
ラストレターは、未咲が一生懸命生きたという鮎美へのメッセージだ。
だから、鮎美の背中を更に強く押すのではないか。
早春の風よりも少し強く…。
何か好きです
本人を装ったり、本人に届かなかったり、ヤキモキな感じが松たか子さんの可愛らしさで表現されていて良かったです。
松さんの姉になりすましていたら、姉が生きている様な感じがして、亡くなった人も思い続ければ生きているのと同じみたいな台詞を言われたとき、涙がハラリと出ました。
お姉さんの恋は大学で何があったのか、詳しくは描かれていませんでしたが、そこがまた妄想を掻き立てます。大人に是非観てもらいたいラブストーリーでした。
もう一度、美咲に宛てて書く、手紙のこと。
室内の「画」が最高です。ホントに見とれた。乙坂が遠野家を訪れた場面の陰影。喪失の哀しみを共有する3人。言葉を失う颯花は、暮れなずみ行く夏の午後の暗さの中に。美咲の本心に触れて絶句し、後悔しながらも、書く意欲が再び芽生え始める乙坂の背景は、少し明るい外を背景に。母が、心のどこかで待ち続けていた乙坂を前にして、哀しさと嬉しい気持ちが混ざり込む鮎美は平坦な感触の浅い陰影。撮影監督は神戸千木さん。ごめんなさい、存じ上げませんでした。が、前半部のドローン多用は気になりましたが、人物の撮り方が、最高に好みです。同窓会を出て行こうとするも途中で足を止め中を伺う松たか子さん、バス停でアドレスを交換する二人の距離が少しづつ狭まって行くワンカット、飲み屋での豊悦の薄暗さ。なんか、その他諸々の色んな場面で素晴らしさを感じました。
映画の方は、松たか子さんパートと福山雅治パートに大別できます。コミカルでクスクスしてしまう松たか子さんパート。いや、「夢売るふたり」で松たか子さんの演技に衝撃を受けて以来、俺の中では日本最高の女優さんなんですけど。やっぱり彼女の芝居は別格です。天然入ってる可愛すぎるオバサンですよ。場外では「みちのたびへーー」なんて歌声も流れてるし。全くもう、どうなってんの、彼女w
福山パートは泣かしに来る、かと思いきや。こっちは、小説家としての再生パートで、お涙頂戴には来ません。ちょっと予想外。
阿藤の意地の悪い、しかし辛辣な言葉に打ちのめされた乙坂は、閉鎖された母校を訪れ、美咲と裕理の娘と偶然出会い、美咲の実家を訪れる。美咲に送り続けた手紙が、美咲の宝物であった事を聞き、阿藤の悪魔の言葉の呪縛から解放されます。卒業式の答辞の添削をした日、小説家になれるよと褒められた思い出。その言葉通りに小説を書いた自分を、美咲は喜んでくれたのか。懐かしんでくれたのか。いつの日か、かつての恋人だった乙坂が、自分の元に現れてくれることを夢にみていたのか。誰にも分んないよ、今となっては、そんなこと。だけど一つだけ、乙坂は確信したことがある。書き続けることが、彼女への供養になるのだと言うこと。彼女の願いを、叶え続けることになるのだと言う事。
娘の鮎美に宛てた封筒の中には、答辞の原稿が、折りたたまれて入っていました。何度も、何度も、何度も開いて折りたたんでを繰り返した後の、ボロボロな状態で。
Last Letter は、まだ、この世に存在しない。
これから。乙坂が書くのだから。また、美咲に宛てて。
って事で。
クスクスから滲みぃぃぃに転じる、豪華キャスト使い切りの岩井作品。観終わってから、地味に噛みしめ直してます。正直言いますと、俺、広瀬すずが大嫌いなんですけどw これは良かったです。ちょっと吹っ切れて来ましたか?
良かった。地味に。
ちょっと眠くなったけど、もう一回見ても良いと思うくらい。
言葉にするのは難しい
手紙がテーマということで、言葉を大事にしているというか言葉の一つ一つが身体に染み渡っていくような趣があったように感じる。それは台詞の力ももちろんあるが、役者の声の力も大きいように感じた。言葉を発するというよりも、台詞を唱えるというよりも、役者の肉体に宿った登場人物の声が溢れ出しているような。
ラストレターの正体は愛した人とともに綴った最初の手紙だった。かつては彼に宛てて、自分に宛てて、友に宛てて書かれた手紙が、時を超えて娘の元へと届く。彼女にとって最も美しく素晴らしい時代の言葉が、数十年を経ても変わらず誰かに届けたい言葉となっていたことはロマンチックでもあるが、同時にその言葉に縋るしか無かったのが哀しい。
他の登場人物と違って、鮎美が広瀬すずの姿しか持たないというのが止まってしまった時間や、過去の幻影としての切なさが際立ついい演出だったと思う。
松たか子がラストで福山雅治と握手するシーンが個人的には一番感心したポイント。「先輩と握手できた」と喜ぶ姿が、高校時代を演じた森七菜の祐里が本当に歳を重ねた姿なのではと思うくらいに二人の演じた祐里が一つの存在として繋がっていた。
主題歌の『カエルノウタ』も素晴らしいですね。
すれ違えども、愛は死を超えてちゃんと辿りつく
岩井俊二の女優のキャスティングと演出は毎度見事である。
岩井映画のレンズを通してみる広瀬すずと森七菜は、
白昼夢の中に現れる遠い日の憧れの女子生徒の面影のようだ。
田舎の夏の蜃気楼の向こう側にボヤッと現れる幻影、触れようと手を伸ばしても常に腕のほんの少し向こう側にあって触れることの叶わない蛍のようにはかない。
彼女たちは無垢と美しさと神々しさと残酷さと秘密を兼ね備えて僕らを翻弄する。
福山は美しすぎる過去に縛られて前進できずにいる、これは新海誠の秒速5cmや押見修造の漂流ネットカフェなどに通ずる、日本男児のセンチメンタリズムなのである。
手紙は岩井俊二の長らくからのテーマの一つであるが、作品に風情やノスタルジーや温かさを与えるとともに、主人公のキャラクターの性格そのものを如実に体現する。
過去の主人公たちの文通は、嘘とジェラシーと恋心からすれ違う。
現在の文通は松が中心に行われるが、過去の神木と対比していると共に、初恋にしがみつく両者のどうしようもなさも感じられる。
松は昔と同じく、結局嘘をついて姉のフリを選ぶ。
大人にはなったが、結局誰も、成長できてはいない。
やがて彼らは陽光に包まれた無垢な過去に別れを告げるために、暗く重たくのしかかる陰鬱な取り返しのつかない現在を見つめなければなるなくなる。
「ノルウェイの森」のように、大切な人の自殺による喪失、からである。
後半、広瀬母が高校時代のラブレターを大事に保管していたことが知らされ、福山は慟哭する。
豊川悦司が「お前はあいつの人生になんの影響も与えられなかったんだ。」と言っていたが、彼の手紙こそが彼女を絶望から救う生きる糧となっていた。
彼の小説も確かに読んでいた。
紛れもなく、二人は忘れられない人同士であった。
ようやく辿り着いた頃には、時すでに遅しだったが。
彼女が死ぬ間際みた過去は、恐らく、神木や妹、娘との素敵な思い出であった筈だ。
そして死によって苦しみから解放されていった。
これで文通の役目は最後である、彼らはそれぞれの生活に帰っていく。
牧は初恋を乗り越え、福山は仕事への情熱を取り戻し、広瀬も森ちゃんもお互いの生活に立ち向かう力を取り戻した。
彼らは大丈夫である、変われたのだ。
変われなかったのは、豊川だけである。
彼は全てから逃げてしまった。行先の不幸苦難が目に見える。
遥か昔から、手紙は時代や時を超えてさまざまな人々が愛や夢を綴ってきた。
言葉は力を持たないが、美しかった愛の記憶を、言葉は覚えている。
美しかった思い出だけで人は生きてはいけないが、生きていく理由を思い出すことができる。
そうやって、我々は騙し騙しでも、前進するしかない。虚無に抗うしかない。
誰かを本気で愛してしまったのなら、最終的にその人とのハッピーエンドはありえないのだ。
岩井の描くロマンは地に足がついた光と影のグラデーションである。美しく儚く残酷で優しい。
前半と後半
で、雰囲気が違いましたね。前半は松たか子さんを主軸にして笑いと軽快さがあり、後半は福山雅治さんを主軸にした深いストーリーになります。大きな山は無いですが、じっくり観れる作品でした。
岩井の眼
光良というマレーシア華僑の歌手の曲に「童話」というセンチメンタルな名曲がある。台湾MVの巨匠、周格泰が監督したビデオが、とても素晴らしく、日本でも知っている人が多いと思う。
岩井俊二はご存知の通りアジア圏でも非常に人気があり、上記の「童話」MVにも印象的に引用されているその作品が、すでに長い間自分の中の岩井俊二となっている。https://youtu.be/bBcp_ljCBGU
もちろん筋も映像も嫌いじゃないしいい作品の部類だろう。広瀬すずをいいなと思ったのも久しぶり、森七菜も木内みどりや水越けいこ(!)も良かった。トヨエツとミポリンも物凄く昔のドラマを思い出したし。
でもletterをタイトルに、モチーフに使うとしたら、もっともっともっと、もっと欲しい。もっと欲しいんだ!
と云うのがワタシの感想でした。
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