「last Letterに託されていた想い」ラストレター talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
last Letterに託されていた想い
<映画のことば>
誰かが、その人のことを思い続けてたら、死んだ人も、生きてることになるんじゃないでしょうか。
裕里のまた別の思惑もあり、何かと「すれ違い」の多かった美咲と鏡史郎ではありましたけれども。
しかし、生徒会の会長だった美咲が、卒業生代表の挨拶文の修文を鏡史郎に頼み、彼も快くこれを引き受けたということは、そのすれ違いが埋められつつあったことの証左でしょうし、現に、大学時代には結実するかのように見えたりもしたようです。
それがどこで狂ってしまったのかは、本作くが直接に描くところではなかったと思いましたけれども。
しかし、そういう経緯があってみれば、これからを(これからも)この世の中を生きていく鮎美に意思(遺志)として美咲が託した「last Letter」は、やはり、これでなければならなかったのだろうと思います。評論子は。
そう思うと、観終わって、こんなにも胸が締めつけられる想いを禁ずることが、評論子にはできませんし、その意味では、観終わって、しっとりとした情感が、たっぷりと残る一作でした。本作も。
本作もその手になる岩井俊二監督の他の作品と同様に。
それ故に、文句なしの佳作でもあったと思います。
これも、その手になる岩井俊二監督の他の作品と、まったく同様に。
(追記)
本作は、手紙のやり取りの行き違い(?)をモチーフとして描かれて行きますけれども。
手紙は顔が見えないことを良いことに、代筆、代筆、また代筆。
そのコミカルさも、本作の魅力の一つにはなっていたんだろうと思います。
(とりあえず、筆跡のことは、さて置くとします。)
そして、世はSNSの時代にあっても、便箋と肉筆、そして切手と封筒の手紙が繋ぐ情感というものは、なくなっていないのかなぁとも思いました。
とくに「保存」ということをしなければ期限や容量の関係で自然と消えてしまったり、デバイスの乗り換えでも消えてしまうようなSNSメッセージとは違って「宝物」としては残りやすいのかも知れません。
(追記)
「岩井俊二監督ほどロマンチックな作家を、僕は知らない。」というのは、新海誠監督から本作に寄せられたメッセージですけれども。
紛れもなく本作の正鵠を得ていると思いました。
そう思うことができたのは、決して評論子だけではなかったことと思います。
(追記)
「なかたがい」高校の同窓生は、果たして(仲違いすることなく)みんな仲が良いのでしょうか。
美咲や、裕里や、鏡史郎の母校だったという、この高校では。
(追記)
映画作品としての本作から言えば、ほんのほんの脇筋なのですけれども。
鮎美が、亡き母・美咲が残した封筒を開封しかねているシーンが、冒頭にありました。
本作の場合は、内容物が狭い意味での遺言書に当たるようなものでもありませんでしたし、しかも封もされていなかったようなので、ある意味「結果オーライ」「めでたし、めでたし」てはあったのですけれども。
これが、もし美咲が書いた遺言書であったとしたら…。
これは、開封せずにいたことが、実は「正解」といえば「正解」になるのです。
もしこれが美咲の遺言書(自筆証書遺言て封がされているもの)であったとしたら、実は、家庭裁判所で検認ということを受けなければならず、検認を受けずに家庭裁判所外で開封することには、いちおうペナルティ(過料の制裁)もあることには、なっています(家庭裁判所外で開封して、それで遺言が無効になってしまうようなことはないと、一般的には理解されてはいますけれども)。
お通夜の席などで、個人の遺言書が出てきたりすると、遺族としては何が書いてあるのかを知りたくて、つい、その場で開封してしまいがちなのですけれども。
しかし、法律の建前では、それはNGとなっていますので、とくとご注意くださいませ。
(反対にいえば、通夜の席ででも、すぐにも遺族に内容を確認してもらいたいのであれば、封筒には入れても、封はしないでおくというのが「正解」といえば「正解」になり
ます。)