「すれ違えども、愛は死を超えてちゃんと辿りつく」ラストレター マエダさんの映画レビュー(感想・評価)
すれ違えども、愛は死を超えてちゃんと辿りつく
岩井俊二の女優のキャスティングと演出は毎度見事である。
岩井映画のレンズを通してみる広瀬すずと森七菜は、
白昼夢の中に現れる遠い日の憧れの女子生徒の面影のようだ。
田舎の夏の蜃気楼の向こう側にボヤッと現れる幻影、触れようと手を伸ばしても常に腕のほんの少し向こう側にあって触れることの叶わない蛍のようにはかない。
彼女たちは無垢と美しさと神々しさと残酷さと秘密を兼ね備えて僕らを翻弄する。
福山は美しすぎる過去に縛られて前進できずにいる、これは新海誠の秒速5cmや押見修造の漂流ネットカフェなどに通ずる、日本男児のセンチメンタリズムなのである。
手紙は岩井俊二の長らくからのテーマの一つであるが、作品に風情やノスタルジーや温かさを与えるとともに、主人公のキャラクターの性格そのものを如実に体現する。
過去の主人公たちの文通は、嘘とジェラシーと恋心からすれ違う。
現在の文通は松が中心に行われるが、過去の神木と対比していると共に、初恋にしがみつく両者のどうしようもなさも感じられる。
松は昔と同じく、結局嘘をついて姉のフリを選ぶ。
大人にはなったが、結局誰も、成長できてはいない。
やがて彼らは陽光に包まれた無垢な過去に別れを告げるために、暗く重たくのしかかる陰鬱な取り返しのつかない現在を見つめなければなるなくなる。
「ノルウェイの森」のように、大切な人の自殺による喪失、からである。
後半、広瀬母が高校時代のラブレターを大事に保管していたことが知らされ、福山は慟哭する。
豊川悦司が「お前はあいつの人生になんの影響も与えられなかったんだ。」と言っていたが、彼の手紙こそが彼女を絶望から救う生きる糧となっていた。
彼の小説も確かに読んでいた。
紛れもなく、二人は忘れられない人同士であった。
ようやく辿り着いた頃には、時すでに遅しだったが。
彼女が死ぬ間際みた過去は、恐らく、神木や妹、娘との素敵な思い出であった筈だ。
そして死によって苦しみから解放されていった。
これで文通の役目は最後である、彼らはそれぞれの生活に帰っていく。
牧は初恋を乗り越え、福山は仕事への情熱を取り戻し、広瀬も森ちゃんもお互いの生活に立ち向かう力を取り戻した。
彼らは大丈夫である、変われたのだ。
変われなかったのは、豊川だけである。
彼は全てから逃げてしまった。行先の不幸苦難が目に見える。
遥か昔から、手紙は時代や時を超えてさまざまな人々が愛や夢を綴ってきた。
言葉は力を持たないが、美しかった愛の記憶を、言葉は覚えている。
美しかった思い出だけで人は生きてはいけないが、生きていく理由を思い出すことができる。
そうやって、我々は騙し騙しでも、前進するしかない。虚無に抗うしかない。
誰かを本気で愛してしまったのなら、最終的にその人とのハッピーエンドはありえないのだ。
岩井の描くロマンは地に足がついた光と影のグラデーションである。美しく儚く残酷で優しい。