37セカンズのレビュー・感想・評価
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これは純粋に1人の女の子の成長物語
いい映画だった。
実は障害のある方の物語と思って見始めた。
でも、主役の女の子はたしかに障害があるのだけれど、引っ込み思案で自信がなくて過保護の女の子がだんだん自我に目覚めてもがき始める、これはどんな子にも遅かれ早かれ訪れることだ。
でも、そこには障害ゆえの悩みももちろんあって、すごいのは、誰よりも彼女自信が今の自分をちゃんと受け入れていて前に進もうとするところだ。彼女の素直さ、優しさが周りを自然に巻き込んでいく。
なんと強くて優しい子なのでしょう。
反発したお母さんを逆に包み込めるくらいの成長をして前に進んでいく姿は、観た人みんなを励ましてくれるだろう。
これは実話?!
素晴らしかった!みてよかった!
うーん、言葉がでません!
とにかくブラボー!!!
何か賞とれそう。
と思ったけど、よくみたら賞とったみたい。
だよね。
これは中身のある映画だ。
ほんと素晴らしかった!!
しかも、シネスイッチ銀座でお母さん役の神野美鈴さんがきてて、少しお話でき写真もとらせていただきました~
主題と映像が見事に一体化した作品。
監督のHIKARIさんも、主演の佳山明さんも共に新進気鋭で、その瑞々しい感性、熱意が物語の推進力になっています。
当初は予告編の印象から、障害を持った主人公が自立に奮闘する感動物語では、と予想していました。確かに前半の展開は概ね予想の範囲内でしたが、後半から物語は大きく飛躍します。この物語上の跳躍には驚かされましたが、主人公ユマと「ある人物」との別れ際の、短いが重要なメッセージを含んだ会話に心打たれました。その言葉、二人の身体の温かみが、スクリーンを超えてまさしく自分の身体から発せられたものであるかのような感覚を覚えました。
本作はとにかく撮影が素晴らしいです。冒頭の都市を上空から捉えた映像は、焦点の合う範囲が極端に狭く、まるで精巧なミニチュアを撮影したようです。この映像技法はそれほど真新しいものではありませんが、本作で重要な意味を持つ、「距離感の喪失」を視覚的に表現していました。
また狭いマンションの一室、猥雑な繁華街、自然溢れる屋外など、状況も雰囲気も大きく異なる場面それぞれの場面をつなぎ合わせても、決して映像的な統一感を失わず、かつ車椅子のユマがそれぞれの場面で浮き上がらないように、慎重に照明やアングルを選び取っていることが分かりました。
主演の佳山明さんの表情、立ち振る舞い、そして体当たりの演技も素晴らしいですが、介護福祉士、俊哉役を演じた大東駿介さんや芋生悠さんも良かったです。後半の舞台に完全に溶け込んでいて、最初からそこに住んでいたかのようでした。
あまり重要な欠点ではないのですが、前述の俊哉とそれに関連する人々がなぜユマとここまで深く関係するのか、もう少し説明があると良かったかな、とも思いました。また物語の後半への移行は、現実には手続き上そんなに簡単なことではないと思うので、これについても短い描写でそれとなく説明があると良かったかも、と感じました。こうした細部の飛躍が気になって、気が削がれる観客もいると思うので。
毎日「お母さん」をがんばってる人に、小さなyes.を。
ホントの話なのか都市伝説なのかは知らないけど、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでた部屋の天井だか壁だかに、小さく「yes.」って書いてあるって話を昔聞いたことがあって、それを今でも時々ふと思い出す。
『37セカンズ』という映画は、観た人の多くにとって、後年その「小さなyes.」のように思い出される作品になるんじゃないかなと思う。
あなたの肩をガシッと掴んでユッサユサしながら「君は君らしく生きればいいんだよっ!!」って大声で訴えてくるのではなくて、この映画のことを思い出した折に、ふっと心を緩ませることができるような。そういう「小さなyes.」を示してくれる映画だったように思う。
物語の主人公も、それを演じる主役も、脳性麻痺の女性ということで。「障害者の現状や人権をケイモウしつつ、困難を乗り越え、前向きに生きる主人公の姿に感動させられるタイプの映画」なのかな?という先入観に構えてしまってたけど、実際は「主人公の生きづらい個性」くらいのトーンで扱われていて、それはとても観やすいというか、スッと感情移入できる語り口が、上手でスマートだなと思った。障害者にしても、例えばLGBTQとかにしても、もう「差別へのアンチテーゼ」という文脈で語るよりは、「多様性の一風景」として描かれるアプローチの方が、世に自然浸透していくんじゃないかなと最近思う。もっとも本作は、それを意識させることが目的の映画ではないんだろうけども。
そんな主人公の冒険と成長の物語の素晴らしさについては、いろんなところで語られているし、宇多丸さんの『ムービーウォッチメン』でもガッツリ解説され高く評価もされてる。でも僕は、そんな主人公の冒険と成長の物語としてではなく100%、主人公の母親の物語として観た。
神野三鈴演じる主人公の母親は、解説には「異常なほどに過保護な母親」って書かれてたり、映画の中でも人形製作の仕事(我が子のことも人形のように扱う人という暗喩?)をしていたり、主人公にとっては「母親こそが障害であり呪縛」かのような悪役の大人として描かれてる。
その反面、この母親以外に出てくるオトナたちは、渡辺真起子にしても板谷由夏にしても奥野瑛太にしても皆、一見アウトサイダーのようでいて、でも人の痛みを知ってる素敵な人物ばかりだ。主人公がそれまで見させてもらえなかったオトナの世界へ、彼ら彼女らは背中を押してくれたり、手を差し伸べてくれたり、隣にいてくれたりする。そんな世界、夢中になって当たり前だよね。特に渡辺真起子のカッコ良さには、同じ大人としての自信を砕かれる。「あんな自由で爽やかな風のようなオトナ」になりたかった。『ちひろさん』という漫画の中の主人公が幼少の頃に出会った「リアルちひろさん」のような存在感。
さて、夢のような夜が明けて家に帰れば、神野ママは鬼の形相で待ち構えてる。罰としてケータイ没収したり軟禁状態にしようとしてみたり。それは娘を心配する愛情というよりは、束縛とか支配とか、もしくは依存が神野ママのエゴとなってるように描かれる。
自由で爽やかな風のようなオトナたちと、重たい鎖のような母という大人。
描かれ方としちゃあ神野ママ、圧倒的に不利。
でも、だけど。
何ていうか、僕にはそれが「そういうもん」だと思ったし、なんなら「それがいちばんの母親像」のように思えた。
例えばこの映画に出てくる爽やかな風のようなオトナが、100点正解の親だとしたら。主人公がいつか人の親になったときに、「親としての間違え方を知らない親」になってしまうような気がするんだ。「完璧からは失敗を学べないというパラドクス」っていうか、「子育てに迷う親の姿が子を育てる」みたいなリクツ。神野ママは、全力で迷ってた。それをもって僕は良い母親だとしか思えなかった。冒険に踏み出すためのゼンマイを主人公が巻いたのは、そういう母親だからこそではなかったか。
例に漏れずウチのカミさんも、全力で子育てに迷い、桜島くらいのペースで噴火してる。「どうしたらもっとシッカリしてくれるのかねぇ?」と相談されて僕が「母親がいなくなれば一発で自立心が芽生えると思うよ」と言うと、「それは子育てとは言わない」と叱られて解決案なきまま話は終わる。でもそれでいいのだ。「どうしたらもっとシッカリしてくれるのかねぇ?」と迷い続けることが子育てなんだと僕は思うからだ。また叱られるから言わないけど。
かくして本作『37セカンズ』の中で、神野ママは全力で子育てに終始迷走してる。でもどうしたって子どもは目の届かない冒険に出ていってしまうし、その冒険でこそ成長する。そのことに少し寂しい気はする。でも子どもが成長して「オトナ」になっていくように、その間に親だって成長する。親が成長して何になるかというと、「帰る場所」になるのだ。
この映画の最後の最後に、神野ママは「小さなyes.」を見つける。よかったね、よかったねと、僕は泣いた。「小さなyes.」とはどんなものか?毎日お母さんを頑張ってる人に観てほしいラストシーンだと思う。
まるでドキュメンタリー
ドキュメンタリーかと思った。主演の女優さんが、演技ではなく、本当に脳性麻痺を抱えてるって知ったうえでこの映画を観たせいだと思う。正直、とても面白かったし、とても感動した。でも、思っていた以上に赤裸々だった。今までも、こういう障害者の方が主役のドラマや映画って、たくさんあったけど、健常者との違いとか、障害者だって、普通の人間なんだよ…みたいなテーマが多かったように感じる。思わず同情したくなるような表現が多かったように思う。それに比べると、この作品は、もっと赤裸々な部分が表現されていたように思う。
親子の関係とか、リアルな性体験とか、父親や姉の存在とか、障害者でなくても起こりうること。それをリアルに描いてる。ただ、主人公マユって、とても周りの人に恵まれてる。母親がウザいのは分かるけれど、とても心配してくれているし、大東駿介くんや渡辺真起子さんや板谷由夏さんも、とても良い人。このまま大東駿介くんと恋に落ちるのでは…と思ったけど、そうならなかったのも、とてもリアルに感じた。そんなに世の中、上手くいかないんですよ…みたいな感じです。映画って、どこか、ご都合主義みたいなところがありますからね…。障害者としてではなく、一人の女性としての素敵な経験談だったと思います。
ユマに負けてられない!
序盤の入浴シーン。下品な表現かも知れないが「つかみ」として抜群の効力を発揮している。事前情報無しで観賞する人、何かしらがひっかかって鑑賞する人、思い入れを持って鑑賞する人…それぞれがこのシーンで、この先ユマに起こる事をしっかりと見届けてやろうという、気持ちになるのだ。
youtuberアイドル漫画家のアシスタントa.k.a.ゴーストライターとして日常を過ごすユマに次第に芽生え始める自我。エロ漫画雑誌編集長の藤本との出会いでユマのそれは加速する。それからというもの、ユマはただひたすら危うく、それでいてフレッシュであり、観客の我々も目が離せない。
ただ、やはり冒頭の入浴シーンが忘れられない我々にとって、気になるのは母の存在だ。明らかに母からみたら逆行するユマである。しかし、決してそれは反発ではなく、母への愛情、感謝を持ち合わせながらも自身の思いに向けて邁進するその先にあるものは、全ての人間を揺さぶりながらも暖かい気持ちにさせるのだ。
「障害モノ」??ふざけるな!!
彼女を「個性」と言わずして何と言う?!
さあ2020この先彼女を上回る演技できる人いるだろうか??
普通に傑作!
まず、日本映画であって、ハリウッドのテンポやストーリー性を感じたHIKARI監督に拍手。女性ならではとよく表現するが、むしろ女性監督でなければそこまで突っ込めないだろうシーンもあった。
そして主演の彼女の素の姿、彼女の持ってるもの、それを引き出せたこと。マイノリティがマイノリティでない映画と言える。取り巻く登場人物に悪い人が居なく、ちょっと説明が足りない部分もあったが、そこは話のテンポを崩したくなかったと割り切れる、是非おすすめの映画!
これは人間の成長を描いた作品である
決して障害者を使ったお涙頂戴物語ではない。
生きている人の生々しい画が辛いし見てられない前半から、ある出会いから抑圧されていたもしくは、自ずからしていた生き方から脱却し、自分のルーツを知り受け入れていく後半はタイの美しい風景と相まって、彼女の心が晴れていくそんな描写でした。
お母さんとわだかまりは消えたかな。ほんと良かったラストでした。
差別はあるということ
多面的な魅力のある映画。
入浴シーンごとに、全然違う映画を観させられているような気にさせられる。
映画の前半は、障害の現実。
中盤は、いい仲間との出会い。
後半は、ロードムービー。
入浴の困難さ、親子の依存、車椅子移動の難しさ、リハビリ、搾取的な労働。
主人公が画面に現れた時に、観客にもう少しの理解があれば、描く必要があったか?丁寧に描かれるほど、自分の無理解や差別を浮き彫りにしていく。
しかし、そのシーンがまるまるなかったら映画として成立するのか?
なぜ感動するのか?
自分の差別心を突きつけてくるような映画だと思った。
やはり日本は島国だよな
体は障がいでも心や能力は健常者以上の人の人権映画。初めから終わりまでよかった。海外は能力優先みたいな気がするが。日本はまだまだ男女感や障がい感は世界から見て後ろから数えた方が早いだろうな。大人の老若男女みるべし。
障がい者の優しい心が伝わってくる秀作
過去には『ヴァージン・フライト』や『セッションズ』といった映画で障がい者専門の娼婦、男娼を扱ったものがあった。さすがに愛まで求めてしまうのはご法度らしいことは今作でも同じだった(キス禁止)。
この内容がずっと続くのはいやだな~と思っていたら、そうはならず、ユマの自立心、家族愛などが中心となっていくのです。いまや漫画もコンピュータ時代であることも驚きでしたが、アシスタントをしていたユマは自分の作品を作ってみたいと道を見つけようとします。エロ漫画描くためにはセックスを経験しなきゃ・・・と忠告をもらい、そっちの方向にチャレンジするユマ。しかし、思い通りにはならない。そして、偶然出会った娼婦の舞と交流が深まっていく。
家を出てみたい。父親に会ってみたい。心は動く。そんな繊細な、折れそうなまでな心が観客席にまで伝わってくる。タイにまで飛んだのも唐突ではあるけど、心地よかった。観終わってこんなに爽やかな気分に浸れたのも久しぶりでした。
俳優はみんないい!主人公以外で最も気に入ったのが板谷由夏でした!
世界へ
評判を聞いて鑑賞。
重たいテーマなのに、どこかポップで元気になれる。
赤裸々で全てをさらけ出してる映画で、1シーン1シーン、胸が締め付けられそうになります。
親子の演技が素晴らしく、本当の親子に見えて、その分感情移入してグッと来てしまいました。
中盤からのいきなりの急展開は多少戸惑いましたが…
知らない世界に足を踏みこんでも、誰かが助けてくれる。
何より、主人公の強さ。
単純に感動とか泣いたとかではない、不思議な感覚になる作品でした。
観てください
割とタブーなテーマですかね
良い意味で生々しく,良い作品だと思います。
只,親切心(又は友情)だけであそこまで(長期間・遠くに)
出来ますかね?? あんな”無償の親切心?”が有りえるのですか?
それとも裏に隠された何か理由を読み取れって事ですか?
女優陣
神野三鈴,渡辺真起子,良かったですなー
板谷由夏, きれいですねー
そして
佳山明ちゃん 良かったですねー
映画館で観てください
躊躇しないで
ずっと気になっていながら、障害者映画という事で鑑賞を尻込みしていた自分が恥ずかしい。もっと早く観れば良かったです。
主人公エマの自己発見と成長の過程を描いた作品ですが、演じた佳山明さんの、まるで演技とは思えない自然さに圧倒されました。この原石を見つけだしたHIKARI監督の大ファインプレーです。
日本映画がしばらく忘れていた「何か」を思い出したような気がしました。
ユマの大冒険の物語
人間が最も好む異性の匂いは、無臭だそうである。免疫力が強ければ無臭になる。つまり健康ということだ。フェロモンだ何だというのは香水を売りたい商売人の宣伝文句に過ぎず、異性に対して健康に勝る魅力はないのだ。病気の美男美女よりも健康な十人並みのほうがよほどモテるだろう。
自分の遺伝子を残すための相手に優れた遺伝子を選ぶのは人間だけではなく、多くの動物の行動に見られる。そういう動物の生態からして、身体障害者は異性を求める場合に大きな不利を背負っている。もちろん本作品の主人公ユマも例外ではない。そしてユマ自身がそのことを悟っていることは、作中の漫画によって表現される。ユマは自分を客観視できる大人なのだ。
身体障害がある生物は、動物の世界では長く生きていけないだろうが、人間界には人権に関する自由と平等というヒューマニズムがある。日本国憲法第13条にも「すべて国民は、個人として尊重される」と書かれてある。本来的には国家権力が個人を尊重しなければならないという、権力に対する縛りではあるが、日本国民全員が互いを個人として尊重しなければならないという覚悟も求められている。
憲法の権力に対する縛りはいまや風前の灯となっていて、政権は憲法を無視して個人を蹂躙しようとしているが、少なくともまだ個人は他の個人を尊重する姿勢を持ち続けることができる。聖書に「人を裁くな、自分が裁かれないためである」(マタイによる福音書)と書かれてある。正義の味方になって他人を断罪することは、自分に跳ね返ってくるというわけだ。しかしSNSには正義の味方が溢れていて、弱い人を糾弾する。
それでも世の中には優しい人間が存在する。強い人だ。世間の価値観やパラダイムに流されなければ、自分の価値観だけで生きていける。世間から軽んじられたり、貶められたりしている人にも優しくできる。世間からどう思われようと無頓着な強い人が、弱い人に優しくできるのだ。
本作品で渡辺真起子が演じた娼婦の舞がそういう人間だ。繁華街のオカマたちもそうである。アウトサイダーにはそれなりの強さと優しさがある。そういった他人との関わりの中で、ユマは彼女なりの優しさを体得していく。それは強さを体得することでもある。
本作品は冒険の物語だ。それも大冒険である。ユマは思い切って出掛けた先で素晴らしい人たちに出会い、助けを獲得して冒険に出る。冒険物語の主人公が成長して帰ってくるように、ユマも大きく成長する。人生を肯定し、自分を肯定する。わたしはわたしでよかった。
脳性麻痺の人間がそうやって自分を肯定するまでに、どれだけのつらい思いがあっただろうか。映画は大人になってからのユマの話だが、ここに至るまでの苦労と葛藤は並大抵ではなかっただろう。そこに思いを馳せるとこちらが泣けてくる。絵葉書のシーンや旅先のシーンは回想シーンでもあると思う。
新人で初主演の佳山明の奮闘に、神野三鈴、渡辺真起子、大東駿介などが渾身の名演技で応じる形でリアリティ豊かに物語が膨らむ。それもこれも、作品の世界観にキャストとスタッフの全員が共感していたからだろう。その一体感が作品を通じて伝わってくる。脚本、監督のHIKARIは恐るべき才能の持ち主だ。本当にいい映画だった。
凄い!
この間の「ザ・ピーナツバター・ファルコン」の主人公の一人「ザック」と同じく主演者が本当に脳性麻痺で肢体不自由なんだけど、こちらは半分は本人のノンフィクション的なストーリー。
元々はたまたまNHKのダイジェストみたのがきっかけだった。
フルストーリーを観たくて鑑賞。
ストーリー、カメラワーク、ストーリーの間に挟まる風景の綺麗さ、女性監督ならではの主人公の撮り方の斬新さ。
そして半分実話のような話し。しかも主人公はオーディションで選ばれた素人さん。
どえらい映画を観た。
良作揃いの今年の映画の中で間違いなくNo.1!まだ二月だけど💦
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