「これは「かわいそうな障害者に親切な人が手を差しのべてよかったね」映画ではない」37セカンズ しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
これは「かわいそうな障害者に親切な人が手を差しのべてよかったね」映画ではない
出生のとき、呼吸をしていない時間が37秒あったために、生まれつき脳性マヒの障害を持っているユマ。
終盤、彼女はこう呟く。
「1秒でも短かったら、自由に生きられたのかな」
僕には彼女のような障害もない。だから、こうした障害を持つ不自由さについて、何にも分からない。
その前提で。
それでも障害を持つ不自由さには、「障害者はこうだろう」とか「こうあるべき」といった社会の持つ偏見や先入観の部分が多いことに気付かされた。
ユマと母親の会話。
「1人じゃ何も出来ないくせに」
「ママが何もやらせてくれないんじゃない!子供扱いしないで!」
ユマが、それまで知らなかったことに興味を持っていく過程を観ると、彼女の持つ自由を求める心の素晴らしさに打たれる。
そして気付く。
自由な心を持てるかどうかって、障害の有無はさほど関係はないよな。
だから、ユマの母親が、娘の障害を気遣うあまり、母親として自分自身にも不自由を課していたことに気付き、向き合う場面に深く心が動くのだ。
後半は意外にもロードムービーの味わい。
母と子の物語に、父と子の物語が加わり、やがてユマの家族の物語へと重層的にストーリーの奥行きが加わる脚本は見事。
絵ハガキの伏線が効いているし、ユマの絵の才能が父譲りのものだと思うと、娘に会えなかった父の無念が一層伝わってくる。
ユマの周囲で、彼女を支える“人生の先輩たち”がほんとうに素敵。
これは“映画のご都合主義”ではなくて、「世の中捨てたものじゃないよね?」という作り手のメッセージだと思う。
(本作が「かわいそうな障害者に親切な人が手を差しのべてよかったね」作品になっていないことに注意されたい。筋立てとしては、そうなってもおかしくないのに、そうならないのが本作の凄いところである)
作り手が人生を強く肯定しているからこそ、本作は、障害という特殊な背景を持ちながら、誰の胸にも届く普遍性があるし、僕たちに生きる元気を与えてくれるのだろう。
主演はもちろん、役者たちの演技も素晴らしい。
傑作である。