劇場公開日 2019年6月28日

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「真実とは。私自身とは。」スパイダーマン ファー・フロム・ホーム nagiさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0真実とは。私自身とは。

2019年6月29日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

知的

本作に流れる大きな2つのテーマ、

(1)全ては構築された幻想に過ぎないのか?
(2)私(ピーター=スパイダーマン=?)とは?

について所感を簡単に述べていきたい。

(1)
ポスト・トゥルースなる社会的現象が問題視される現代。客観的事実よりも感情的側面が人を動かすようになって、フェイクニュースや歴史修正主義者の、いわゆる「嘘」という問題が明るみになっている。それはポストモダンが行き過ぎた結果と言える。カント以後の哲学に通底する構築主義という考え方によれば、あらゆる一切が人間の構築した幻想に過ぎないという。ポストモダンにおいては西洋的な理性中心の普遍主義からの解放を目指し、その社会的な構築を解体することによって社会を変革しようと試みたが、人間の到底把捉可能な概念は全て人間によって構築されたものだといえるために、あらゆる概念が解体されて信じられるものがなくなってしまった。このポストトゥルースは政治的には全体主義への移行を推し進めるものだと危険視され、本作でもオーウェルの「客観的事実という概念自体が失われる」という言説が引用される。ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』において次のように述べる。

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大衆は目に見える世界の現実を信ぜず、自分たちのコントロール可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それゆえに、彼らにはある種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものなら、何にでも動かされる。事実というものは大衆を説得する力を失ってしまったから、偽りの事実ですら彼らには何の印象も与えない。大衆を動かしうるのは、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手にこしらえあげた統一的体系の首尾一貫性だけである。
実際の現実は、つねに多数の要素が複雑に絡み合って構成されており、「〇〇がすべて悪い」といった単純明快な説明で片付けられるものではない。しかし、ある種の人々にとっては、複雑に入り組んだ現実よりも、単純明快に首尾一貫した虚構(イデオロギー)のほうが、ずっと現実的なものに感じられてしまう。そうした人々は「現実」とは異なる「虚構」の方を「本当の現実」として積極的に受け入れるようになる。
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特に情報過多かつ極めて複雑多様な現代においては、アクセス可能な情報の洪水に対して私たちはディスコミュニケーションになって、アーレントが指摘したようにわかりやすく説得力のあるものに飛びつきたくなる。世界はそんな単純なものではないのに。こうした社会的状況の象徴としてのミステリオであることはもはやいうまでもないだろう。確固たるイデオロギーが失われてしまった人々は、何を信じるべきかわからなくなり、幻想にも騙される。これを悪用するミステリオは、トランプの表象と見るべきか、あるいはポストモダンの悪しき側面を利用した資本主義の表象と見るべきか…

(2)
構築主義が行き過ぎると自分自身でさえも社会的関係により構築されたものとなってしまって、自分自身が誰なのかわからなくなる。これは「スパイダーマン」という作品に通底する命題である。ポストモダン以後のネオリベラリズムに端を発する消費社会に住まう私たちは、あらゆる一切が幻想であることに潜在的に気が付いている。そうなると自己存在の探求が失われ、何かわかりやすい記号をまとおうとする。それは例えば「より美しいあなたに」としてダイエットを促す広告に踊らされてみたり、流行りのモデルや俳優への憧れからそのメイクやファッションをそっくり真似てみたり。そこに自分自身はいないのである。ポストトゥルースでもはや真実が失われつつある現代、絶対的事実の重要性を説くカンタン・メイヤスーらを中心とする思弁的実在論や、マルクス・ガブリエルの新実在論など、思想界にも新たな存在論が議論されていることを考えれば、本作は全くもって社会派な作品だといえるのではないか。

彼はスパイダーマンという正体を隠し、スパイダーマンはピーター・パーカーという正体を隠している。彼は、自分とは何者なのかという葛藤に苦しんでいるのだ。ピーターは気になる女の子MJとの旅行を楽しみたい。その点ピーターはただごく普通の悩める高校生なのである。一方でスパイダーマンは迫り来る危機から人々を守りたい。それは力を持つ者の義務である。そしてアイアンマン亡き現在、世界は次のアイアンマンを求めている。スタークから期待を寄せられるピーターはその大きすぎる重圧に耐えかねている。

本作では彼はその全てを引き受ける覚悟を決めた。スタークの意志を継ぎ、隣人だけでなく愛すべき者全てを守る覚悟だ。彼はピーターであり、スパイダーマンであり、スーパーヒーローである。幻想を打ち破るための、スパイダーセンス──センスというのは理性中心主義に対抗しうる「感性」であり、一神教的な自然科学主義を批判しているようだ。あらゆる構築や記号、表象が氾濫する世の中においては、たった1つのサングラスから見ていては世界はその色にしか見えない。世界は人間の理解など到底超えた、多元的な世界である。あらゆる立場が存在してあらゆる解釈が存在する。多くの正しいパースペクティヴから、可能な限り事物それ自体を同定する試みが求められる。

nagi
MrPさんのコメント
2019年7月17日

 面白い読み物だったよ映画よりも面白かった。印象を知的と評価しているが知的なのは君だね(笑)
 オーウェルの「客観的事実という概念自体が失われる」の引用がうろ覚えだったため客観的事実で検索したら見つけたよ。ビンゴ!

MrP