「数奇であり歴史に翻弄された画家と家族」ある画家の数奇な運命 redirさんの映画レビュー(感想・評価)
数奇であり歴史に翻弄された画家と家族
ゲルハルトリヒターが、ボイスの生徒とは知らなかった。
壁ができる前はあんなに簡単に西側に亡命できたこともしらなかった。
エリーとカート2人がとにかく前向きで先入観なく家族について冷静であること、困難に絶望しないところ、に畏敬というか、なかなかないことだかと感じ入った。往々にして芸術家の映画は絶望と破滅をみるのだがゲルハルトリヒター氏は今も活躍されている。2人の寄り添う様もとても良い。
目を背けないで見ること。目を背けない!
おばもまだ若くカート(ゲルハルトリヒター)もまだ幼いが目を背けないで、真実はそこにある現実とおしえてくれたこと。
ヨゼフボイスにとっての脂とフェルト、その話は知ってはいたが戦争中の体験を映像化してもらいとてもありがたかった。
権威主義的で戦争犯罪者である義父がネチネチ嫌味を言っ他通り、カートは、トップに、最高の芸術家になってしまった。
ハイル、、と言いたくなければ3リッターといえばいいよと父に耳打ち、早速実行した父はナチスの下でも東ドイツの共産政権下でも自分を保ちながらも中途半端に党員になってしまった故零落し自殺してしまうし、その息子たちも戦死してしまう。
義父はゴリゴリのナチス党員として栄華を極め機転を効かせ東ドイツではゴリゴリの共産党員に。凶々しい優生思想のもと、自分の娘に嘘をついて中絶手術をするほどのカス。
アウシュビッツだけではない、ナチスによるねじ曲がった優生思想などにより、人の命、その連鎖を断ち切る、断種という悪行の数々、今も世界のどこかで行われているのではないかと思うと無力感しかない。そして、日本でも障がい者や精神疾患の人たちに対し未だ同じようなことが病棟隔離、入院という形でされていることをあらためて恥じる。ボイスの自分はどこかきているか何故に自分かを、そこからたちあがるものが芸術だ、というようなカートへの教え。
西側の、素敵な芸術は、ich ich ichではないだろう、東ドイツでも体制の都合で否定されだが西側世界でも芸術は、真実は、ichの3連発ではないと思う。ich と利他であろうかと。間に合えばゲルハルトリヒター展に行って確かめたい。