劇場公開日 2020年10月2日

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「真実は全て美しい」ある画家の数奇な運命 柴左近さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0真実は全て美しい

2020年10月20日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

難しい

幸せ

予告では「義理のオヤジが叔母を殺したくそやろうでした」というのを前面に押し出していたが、3時間ちょっとのこの大作をこの面だけに注目して観るのはよろしくない。確かに主人公にとって叔母はとても重要な人物で、義父は憎き仇ではあるのだが、そこだけ意識して表面的な展開だけ追っていると物語の核に辿り着けない。

この映画は「真実の美しさ」をじっくり描いた物語であり、この真実は芸術家である主人公のみならず、観ている私たちにとってもとても重要なことなのである。

主人公は画家で、東ドイツにいた頃は共産主義のプロパガンダの絵を描くことを余儀なくされ、それに嫌気が指し西ドイツに亡命するも、今度は逆に自分が表現したいものはなにかと迷走することになる。しかし終盤になって自分の思うように絵を描けるようになる。三時間を存分に使って主人公は悩み、真実を見つける。

これは映画を観ている画家ではない私たちにも置き換えることができる「生きる」プロセスなんだと思った。

人間である以上「自分とは何者なのか」と一度は考える。しかし大半の人々は世間に流されて考えないように生きる道を選ぶ。しかし一度深みにはまると中々抜け出せない悩みの種であり、これが原因で病んでしまう人も少なくない人間であることの最大の宿命である。
作中でも登場するデカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉を知ってる人は多いが、それを感覚として理解している人はそう多くないのではないか。

この疑問はただ息をしているだけでは到底理解できることではないが(そもそも生物としては考えないのが正解なのかもしれないが)、物事の答えは案外すぐ近くに転がっているもので、この途方もない疑問の答えでも同様である。
その答えとは今まで生きてきた自分自身であり、自分自身の目で見てきたもの、それを見て思ったもの全てなのである。
こんな当たり前のことなのに、気づくのは、こんなに大変なんだよってことを映画で描きたかったのかと感じた。

それが冒頭叔母が主人公に伝えたかったことであり、またそれに気付かず(または認めず)生きようとする共産主義や、逆に自由に溺れとにかく新しいものが芸術と履き違えている資本主義の風潮という様々な要素を使って表現しているのがとても良かった

柴左近