7月22日のレビュー・感想・評価
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痛かった
ウトヤ島7月22日を随分前に観て
ネットフリックスで7月22日を見つけた時
同じ作品と思ってスルーしてた。
ある日違う事を知ったけど
ウトヤ~の方は何とも言えない後味だったから
ずっと敬遠してた。
けど、最近何となく気になったので観賞。
観なきゃよかった・・・とまでは言わないけど
やはり観終わった後に何とも言えない気分になった。
観てる最中は登場人物を考えるとなんか痛くて...
犯人はなんなん!
なんかとにかくやりきれない。
日本は平和で良かった。
等とチープな言葉がぐるぐる回ってた。
知らなくてもなんてことない出来事。
知ったからってどうだろうかって出来事。
しかし、あんな悲惨な事は今後起きてほしくない。
ウトヤ島
ウトヤ島 7月22日を先に見た。
あっちは1人の女の子をメインに話が進んでいたが、こっちは全体を描写していた。(メインの男の子はいるが)
直接的な描写も多めで、怖さが増した。
モロに悲しみが伝わった。
私的には本作に軍配をあげたい
裁判のシーンは勇気をもらえる
ウトヤ島の方では描かれなかった犯人像も描かれており、69人の青少年を殺害しておきながら一切反省していない姿にびっくりした。
差別や信仰は罪の正当化になってしまうのが怖い
77人の犠牲者にご冥福をお祈りします。
事件の詳細は分からないが、絶対にそんな事ないだろうと思った一言。
『そのバッグの中身は?』
『武器だ』
『隠してね。子ども達が怖がるから』
亊の真実は知らないが、これだけのキャンプを受け持つ責任者や主催者がこんな『ずさん』なセキュリティチェックすることは無い。ましてや、なぜ『警察』と言うだけでスルーさせたのか?真実ならば主催者側の重大なるミスである。
さて、映画を見終わって
どうやら、主催者側のミスは確定の様だ。
ノルウェーの首相が2013年まで首相を務めたとあるが、立法、行政の立場で『逃げに転じた』と僕は主張したい。そして、彼は現在はNATOの主要人物であるようだ。つまり、この映画は彼の『言い訳する映画』と解釈出来る。鑑賞者の殆どが、この悪魔の様な青年に鬼畜を感じて、死刑制度を戻す位の事を考えるであろう。ザッツ・オールだ♥
だが、それは違う。
ヘイトや移民問題がなぜ起こり、なぜ続くかを考えて、その運動を語るべきなのだ。つまり、『民族主義』がなぜ起こり、淘汰されないか?それを考えるべきなのだ。
解決策を端的に述べる
0.ノルウェーはEUに加盟する
1.ノルウェーはNATOから脱退
2.国体を解体してスウェーデンに割譲
3.議会制民主主義は維持するも立憲君主制は廃止して、スウェーデン国へ
4.ノーベル平和賞をスウェーデンへ
5.難民の受入れ政策を推進
6.永世中立国を再認識
以上
先ずは0.は早急にしなければ駄目だ。そして、
1.2.3.は兎も角、4.5.6.は実現可能だと思うし、このナショナリストの行動が『失敗した』と認識させる事も出来るんじゃないかなぁ。
もう一つのブラックユーモアな解決方法は、この島だけ、日本国に割譲して、この犯人を死刑にしてしまうとか♥
ブラックな冗談ですよ。
日本語の出来るノルウェーの方々、不快に感じたら、連絡ください。黙って通報は止めて下さい。
日本人としての感情
2011年7月22日は日本国を未曾有の大災害側の襲った後で、余り印象に無かったと言うのが本音です。しかし、押し寄せるファシズムの嵐をなんとかしなければと恐れおののく毎日です。
ヒトラーが消えて、もうすぐ、100年が経ちます。ヒトラーは自らの復活を100年後と言ったそうです。しかし、日本人の多くはそれを知りません。第二次世界大戦中、大日本帝國はナチスと同類でした。その日本人がそれを知らない事こそが、問題があると思うのが僕の本音です。その気持ちを踏まえて頂いた上で、なお不快に感じるとおっしゃる方がいらっしゃるのなら、訂正をします。
しかし、主旨を変えるつもりはありません。言葉を変えるだけです。
どうかよろしくお願いいたします。
死刑も終身刑もないノルウェー…
とんでもない身勝手なテロ行為によって70人以上の命を奪った男。その家族や友人、様々な人々の人生に多大な影響を及ぼしたであろう残虐行為はこの様な軽い刑罰で良いのだろうかと思ってしまう。果たして反省や更生する日など来るのだろうか、必ずしも被害者たちが極刑を求めているわけではないというインタビューを見たが、人が人を裁くということを改めて考えさせられる。映画では被害者やその家族の葛藤、主義思想とは全く異なるものの、テロリストから弁護を依頼され、プロとして仕事に全うする弁護士の苦悩などが描かれ、特に弁護士を描いているのは良かった。
よかった
ウトヤ島の事件は前半で後半はリハビリや裁判への出廷となる。小田急線での死傷事件がちょうど起こり、ウトヤ島の犯人は意図を実現できていたのだけど、小田急線の犯人は間抜けだったため一人も死なずに済んだし、放火しようとしたがサラダ油を用いて失敗した。事件の意図は似ているけどスケールが違いすぎて変な意味で物悲しい。
犯人が、尊敬していた極右の師匠のような男に全否定されていたのがよかった。
単独犯でこれだけの犠牲者が
観るのがしんどいくらい辛かったです
何時までも忘れずにいて怒り続けたい
ストーリーは
ノルウェー、首都オスロ。2011年7月22日早朝 アンデルス ベーリング ブレビクが、盗んだ警官の制服に身を包み、手際よく手製爆弾を車に積み込むシーンからフイルムが始まる。
ブレビクはオスロの官庁街、ストルテンベルグ首相のオフィスのあるビルの前に車を止める。彼が車から立ち去った数分後、セキュリテイーが動き出す前に車は爆発する。死亡者8人。建物の被害は絶大だった。しかし、警察や報道陣が動き出すころには、すでにブレビクは、別の車でオスロから22キロ離れたウトヤ島に向かっていた。
ウトヤ島では民主党主催で若者たちのリーダーシップを育てるためのサマーキャンプが開催されていた。民主党党首のストルテンベルグ首相のオフィスがテロのターゲットになったニュースは すぐにウトヤ島にも伝えられる。島には小さなフェリーで行き来する以外に交通手段がない。島に渡るためのフェリーの入り口には、2人の主催者が待機していた。警官の制服を着たブレビクは、主催者にオスロで爆弾事件が起きたので警備のために島に渡りたいと言う。主催者はブレビクをフェリーに乗せて島に着いたところで、ブレビクの態度に疑問を持ち、警察証明書の提示を求める。ブレビクはためらうことなく2人の主催者を撃ち殺す。
こうして陸から孤立した小さな島に閉じ込められた子供たちへの無差別攻撃が始まる。逃げ惑う子供たち。戸外でキャンプをしていた子供たちが、重装備に身を固め、何丁ものライフル銃をもった犯人ブレビクに次々に打ち殺される。銃声に驚いた建物の中にいた子供たちに向けて、ブレビクはマイクを通して、「外は危険なので教室の中で待つよう」に指示する。サマーキャンプの主催者の一人であるビジャルは、弟のトルシェをふくむ数人の仲間達と海に面した崖に身を隠す。海に泳いで逃げようとしている子供たちは、一人ひとり狙い撃ちされ、殺され沈んでいく。林に逃げ込んだ子供たちも皆見つかって殺される。崖に隠れていた子供たちもどんなに息をひそめていても、犯人には容易なターゲットになった。教室で恐怖におびえながら待っていた子供たちも次々と殺された。
子供たちの悲痛な声が警察本部に届き、船で警官隊が到着した時には、死亡者69人、怪我人100人近くの犠牲者が出ていた。単独犯ブレビクは警官に包囲されて、笑いながら無傷で拘束される。
ブレビクは極右白人愛国者グループのリーダーを自称し、以前ネオナチグループの弁護を担当したことのあるゲイル リップスタッドを、自分の弁護士に指名する。ゲイル弁護士は事の重大さに逡巡するが、プロの弁護士として任務を引き受けることを承諾する。犯人は900人ほど居るネオナチグループのメンバーだと主張するが、グループは、ブレビクのあまりに過激な子供たちへの攻撃には批判的で、グループメンバーだったことはない、と関係を否定する。ブレビクは16歳で両親が離婚し孤独な人生を歩み、ヒットラーを信奉してきたがパラノイドがあり、明らかに精神分裂病の症状が出ている。ゲイル弁護士は、彼を警察署に拘置せず、精神病院で治療すべきだ、と主張する。しかし世論はそれを許さない。何の罪もない子供たちが恐怖のどん底に落とされて無残に殺されたのだ。これからの民主党の若いリーダーとしてノルウェーの未来を担っていく子供たちが惨殺されたのだ。怒れるおとなたちは、犯人に極刑の断頭台に引きずりださねば気が済まない。ゲイル弁護士の自宅に石が投げ込まれる。家族も自身の身も安全があやぶまれる。しかし弁護士は動ぜず、犯人と1対1で、対話を続ける。
サマーキャンプのリーダービリャルは、5発の銃弾を全身に浴び、長い昏睡状態に陥っていた間にも幾度も手術を受ける。意識が戻ったが片目の失い、さらに脳に入り込んだ銃の破片を全部取り除くことができなかった。何時その破片によって急死するか、何らかの障害がおこるかわからない。彼はそんな壊滅的な状態から歩行練習を始める。歩くことも自分で立つこともできない。視界も狭くなり良く見えない。過酷なリハビリ。どうして自分がこんなひどい目にあっているのか、答えがない。怒りが収まらない。怒り、不安,焦燥。困難ながら歩けるようになっても、犠牲が大きすぎてまともな精神状態が保てない。家族がはれ物に触るように扱うのもやりきれない。運よく無傷で生き残った弟がどんなに兄を思っているかわかっていても、さらに煩わしい。同じキャンプで一緒にリーダーを務めていたジェーンは、妹を失ったがビリャルの壊れてしまった心を支えようとする。
法廷では犯人ブレビクが精神異常なので刑事事件として法廷で裁くことができないというゲイル弁護士の主張は、世論に押されるかたちで却下される。犯人ブレビクは、77人の殺人、100人余りの負傷者を出した犯人として法廷で罪を問われることになった。ブレビクは、たくさんの犠牲者家族が傍聴室で見守る法廷に初めて姿を現し、裁判長に向かってヒットラー式敬礼をしてみせる。その一瞬、法廷にいた人々の息が止まる。
長い裁判が始まる。一人ひとりの子供たちがどのように殺されていったのか、親にとっては傷口に塩を塗りたくられるような痛みの検証がなされる。事件が起きた時、すぐに島にアクセスできるヘリコプターがなかったのは、どうしてか。テロ対策が他国に比べて、遅れているのではないか。生き残った被害者もひとりひとり証言し、犠牲がどれほど大きかったのか検証される。
ビリャルは法廷に出て犯人と対置する。そして証言する。「自分は犯人が発射する5発の銃弾を受け、頭を撃ち抜かれ片目を失った。脳の奥深くに埋め込まれた銃弾の破片は手術で取り除くことができず、何時致命的な事態に襲われるか、何時新たな障害が起きるかわからない状態で生きなければならない。しかし、あなたは可哀そうだ。自分にはあなたにはない愛がある。自分を支えてくれる両親や兄弟や友達がいる。あなたには誰もいない。あなたはひとりきりだ。」と述べる。
判決が下される。21年間の実刑、その後も裁判所が犯人が社会に危害を及ぼす懸念がある場合、実刑を延長することができる。判決後、犯人ブレビクは、笑いながら「I DO AGAIN」と言う。ゲイル弁護士は、犯人と最後の面会をする。ブレビクは笑いながら「また会いに来てくれる?」と。ゲイル弁護士は無言で、求められた握手をせずに部屋を立ち去る。
というストーリー
映画の主役は、世論の圧力に抗しながら法のために極悪犯の弁護を引き受けるゲイル弁護士。法の正義を信じるゲイル弁護士にとって、極力自分の感情を抑えて犯人と接してきたが最後に、問われたことに返事をしないこと、求められた握手を拒否すること、でもって万感の思いを込めて立ち去っていく姿が、とても良い。黙って立ち去る足音に、テロリストに対する怒りと憎しみといった、一人の子を持つ親としての、人間らしい感情がこもっている。
もうひとりのこの映画の主役、被害者のビリャルにも、心から共感する。たった16歳で片目を失い障害者となった彼の苦しみ、リハビリの痛み、激しく打撃を受けた精神に再び血が通いだすまでの死に物狂いの姿にただただ圧倒される。明日のノルウェーを担う選ばれリーダー資質をもった子供たちを含めた、77人の命が、たった一人の男の暴力によって否定される理不尽。小さな島で逃げ場がない、助けも来ない、恐怖と絶望感の中で殺されていった子供たちの悲鳴が、実にリアルにフイルムで再現されている。ショートパンツにシャツで逃げ回る子供たちに向けて、警官の制服と重装備で冷静沈着、ロボットのように銃を発射させる殺人鬼の姿に言葉を失う。
こういった暴力がいつでも起こりうる社会で私たちは生きている。民主主義が理解されていない。民主主義が体現されていない。極右勢力はいまやヨーロッパだけでなく世界のどこにでも住み着いている。わたしたちはウトヤ島7月22日の出来事を忘れてはいけない。いつまでも覚えていて、怒り続けなければいけない。そう強く思う映画だ。
この映画のタイトルは、「7月22日」だが、もうひとつ「ウトヤ島7月22日」という映画がある。ノルウェーオスロ生まれのエリック ポッペ監督によるノルウェー語の作品だ。ポッペは戦場カメラマンでもあるが、映画「ヒットラーに屈しなかった国王」でアカデミー賞候補になったことがある。これもドキュメンタリータッチで無差別乱射をリアルタイムで描いていて、生存者や遺族の全面的なサポートを受けて作った作品だ。
この映画「7月22日」はアメリカ映画だが、この映画の後、ノルウェーで起きた事件なのにノルウェー語で描かれていないことにノルウェーから怒りの声があがり、ノルウェー語によるノルウェー人俳優だけの、ノルウェー人監督ポッペによる「ウトヤ島7月22日」が作られた、と聞く。
ブレイビクが不気味
最悪の事件、でも映画に感動、複雑・・・
事件のことを多角的に描いていて、非常に心を動かされた。事前に映画「ウトヤ島、7月22日」を見ていて、事件の恐怖や醜悪さを知っていただけに、よりNetflixのこの作品に没入してしまった。
Netflixと映画「ウトヤ島」を比較すると、見ていてNetflixの作品の方が相当面白くて、一方「ウトヤ島」の方はかなりつらいというのが個人的な感想。分かりやすさも断然Netflix。しかし、どちらが真実をついているのかというと、やっぱ映画の方じゃないかと思ってしまう。
史上最悪の事件を感動的によく理解できる優れた作品だったけれど、実際にまた似たような事件がリアルで起こっていることを考えると、こういった作品に対して複雑な思いを抱かざるを得ない。
耳を傾けるという事
個人評価:4.2
映画「ウトヤ島、7月22日」では語られなかった犯人の素性や思想、そして事件後の裁判の終結までしっかりと描かれ、本作と映画を合わせて見ると非常に興味深い。
本作を通して感じる事は、それぞれの思想に耳を傾けるという事。ウトヤ島で姉妹を殺されながらも生還した移民の少女。ノルウェーに移民してきた心情を裁判で語る。傍聴する人達の描写が上手く、皆が少女の声に耳を傾けている。
もちろん犯人の強固に及んだ思想にも、耳を傾けねばならない。そしてビリヤルの屈指ない魂の声。
本作は事件そのものを描くにあたり、犯人の思想と、被害者のビリヤルの屈指ない強い姿勢とを対比させながら物語が進む。それにより単純な事件録とは違い、より事件の本質に迫っていると感じる。
最後の2人の描写。自身の思想を理解する人間はいない事実を突きつけられ、独房に入る犯人。そして死んでいった仲間達の無念な想いも重ね、消して屈指ない、負けていないと雪の山並みにたたずむビリヤル。
その2人を対比させ、事件の最後には失われた69人の若者の命と、空虚さだけが残る。
77
10年も経っていない77名もの生命が奪われた事件。作り手は非常にセンシティブに映像化に臨んだことだろう。そのことがよく伝わる。アクション映画で描かれるようなプロフェッショナルに用意周到なテロではない。単純でダイレクト、無造作で無慈悲な手口。テロリストを演じた俳優は相当な覚悟で臨んだろう。被害者の少年役にしてもそう、演者には敬意を払いたい。
弟のトラウマ、それでも社会生活を続けなければならぬ両親、そして何よりも秩序に対して忠節を尽くす弁護士の姿。拾うべき所をひとつひとつ広く捕まえて、この事件の全体像を表現している。決して意図的に解釈を強要するアプローチはとっていない。それだけに闇の深い問いかけがこちらに投げかけられる。
結局、何がこの事件を生んだのか?社会の劣化が進み、情報量の多さがそれを繕う猶予を与えてくれない。秩序の虚構性が暴かれやすい世の中、しかしそれでも共有する価値観を維持できねば、社会は更なる破綻を迎えてしまう。難しいが挑戦を受けているのは我々自身。ノルウェーやヨーロッパだけの問題だけではなく、全世界的に同時進行している課題。
圧倒的な印象を残す実録ドラマ
2011年7月22日、オスロの政府庁舎の駐車場に止められた不審な白いパンが爆発して8名が死亡。その頃ウスヤ島で開かれていた労働党青年部のサマーキャンプに警官を騙った男が訪問、持参した銃火器で69人を射殺した後逮捕される。男の名前はブレイビク。テンプル騎士団の指揮官を自称するブレイビクは自分の弁護士として数年前にネオナチの少年の弁護を担当したリッペスタッドを指名する。
記憶に新しい凄惨な無差別テロをポール・グリーングラス監督が映画化ということで観ないわけにはいかなかったんですが、これは辛過ぎて鑑賞し終わるのに3日かかりました。何の罪もない子供達が次々に凶弾に倒れる冒頭30分、ブレイビクに指名され苦悩しながら弁護に奔走するリッペスタッド、5発の銃弾を受け瀕死の重傷から奇跡的に生還した少年ビリヤルと彼を支える家族と友人、前代未聞のテロに胸を痛めながらも脅威に屈せず政府側の対応に不備がなかったかを追及するストルテンベルグ首相、様々な人々が織りなす幾重にも重なるドラマが圧倒的で、彼らの苦悩を見つめる手持ちカメラの生々しい映像が脳裏にくっきりと残像を残します。
長い
内容どうこうじゃなくて、見る行為が辛い。これ20分くらいでできるんじゃない?
犯罪者が事件後の描写がメインで前が全くない。
お母さん、敢えて市長にする必要はあったのか?
悲劇的な事件だけれども、映画の品質としては、2時間時間かけて見るような作品ではない。
物足りなかった!!
「ボーン」シリーズ監督によるノルウェー連続テロ事件(2011)とその後を描いた映画で、オスロ政府庁舎爆破事件で8人、ウトヤ島銃乱射事件で69人が死亡したとされています。襲撃シーンはまあまあでしたが、後半は連続ドラマのようで薄く間延びした印象です。今年観た「デトロイト」と比べるとかなり物足りないです。正直単独犯かどうかは、オズワルドや加藤智大(白の上下で返り血を全く浴びていない)、植松聖(津久井やまゆり園)、白石隆浩(座間9遺体)等と同じく、かなり怪しいですし、厚遇され過ぎです。数々の偽旗テロと同じくジョージ・ソロスの指示によるものだと思います。植松も本作の犯人と似たよう戯言を言っていました。犯人役の俳優さんは、キャプテン・アメリカのコスチュームが似合うと思います。
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