「2極化する評価軸。配信の意味」ROMA ローマ うそつきカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
2極化する評価軸。配信の意味
自分なりに、この映画の「あり方」について考えてみた。
アカデミー賞をめぐるスピルバーグのコメントは「配信の映画はオスカーではなくエミーを取るべき」というようなものだった。そのことが気になって、見てみたい。と強く思うようになった。この手の映画は、ほとんど見ない。女優さんが美人じゃないし、お話も平凡な日常風景、テーマがはっきりしない。差別?恋愛?幸福?なんかぼんやりしている。とにかく面白くなさそうだ。なんでこんな映画が評価されるのだろう。
Netflixで配信されており、アカデミー賞発表のタイミングでは契約しようか、どうしようか本当に迷った。で、いつの間にか限定で劇場公開されていたので、しれっと見に行ってきた。人に話すとしたら、
「見てよかった。でも、面白くないよ」
「シロクロなんだけど、映像がキレイで奥行きがすごい」
「音がリアルすぎて、子供が外で遊んでいるのか、映画の中なのか区別がつかない」
「もし配信で見たとしたら、たぶん途中で見るのをやめると思う」
というようなものになる。
実際、レビューのいくつかを読んでも、「クソつまらない!」「いやいや、大傑作!」という評価の2極化が目立つ。でも、そんなに極端に構えてみる必要のない、叙事詩的映画で、いくつかの奇跡的な偶然がフィルムに収められている。もちろん、その奇跡は意図的に起きたものであって、監督であるキュアロンの執念だ。
たとえば子供たちを救いに海に入っていくクレオ(子供たちが本当に溺れているのだとしたら大変だ)
せまい車庫に大きな車を無理やりつっこむ。そのあいだ、クレオは黙って犬が逃げ出さないよう捕まえている。
出産に備えてベビーベッドを買いに行くクレオ。売り場で値引きの相談をしている時に学生のデモ隊と、地元警察との衝突が起き、銃声が鳴り響く。撃たれて逃げてきた市民を追って来た武装した学生は、クレオの元カレでおなかの赤ちゃんの父親である。なんとこの男、クレオに銃口を向け、彼女に気づき走り去っていく。
中庭の敷石に犬のふんがあり、きれいに磨いていると、水たまりに偶然飛行機が映り込む。(それにしてもひっきりなしに飛んでいる飛行機だ)
映像は基本的に長回しでで撮影され、失敗の許されない段取りを入念に打ち合わせて準備したと思われ、極度の緊張下に俳優たちは置かれたことになる。その緊張がたまらなくいい。しかし、主演のヤリッツア・アパリシオはどこまでも自然体で、緊張のかけらも感じさせない。悪く言えば、なにを考えているのか顔に一切出ない。その彼女から発せられる、衝撃の告白!「生まれて欲しくなかった」
300人のエキストラを複雑に動かして高い視点からひとつなぎに見下ろす。
日常の光景には、つねに子供やイヌが映り込んでいる。
海で遊んでいるシーンには太陽と、人間をひと呑みにする大波、波の中から頭を出す溺れている子供。(それもふたり!)
これらのシーンは、ちょっとしたミスで台無しになる要素があり過ぎる。それを長回しで撮ってしまうのだから、映像の迫力はかなりのものがある。
少なくとも、その時代に生きた一人の女性の人生を感じさせるのに十分な物語がこの映画に込められている。「面白くはない」「興味深い」これで十分ではないだろうか。
2019.3.18