「3月11日に観る意義」ROMA ローマ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
3月11日に観る意義
奇しくも東日本大震災から8年、たまたま月曜ということで本来ならばネットフィックスでしか観れない本作をイオンが配給という形で映画館上映を鑑賞した。テレビ画面では未鑑賞だから比較は出来ないが、明らかに本作はシネマスコープ、そしてモノクローム撮影故、大きなスクリーンでの投影がベストだと、鑑賞中でもはっきりと合点がいく。カメラのパンのダイナミズム、何よりも横長の利点を盛り込む奥行きの深さ。これは特に主人公と男が映画館での妊娠を告げるシーンの背景の内部や、後半の家族旅行での離婚を告げた直後の野外のアイスクリームを食すシーンでのバックの蟹のオブジェの鋏の大きさ等、存分に画角を計算されている。鮮やかな白黒が観たこともない色彩を創り出し、例えば主人公の破水での下血は白黒だとあんなにも白が濃い色をしていることに驚く。そんな映像をキュアロン監督は自身の思い出として70年代のメキシコを切り取った内容となっている。
そして、本作でも病院での地震のシーンがあることもまた偶然とは言え、今日という日の意義があるのではないだろうかと感じる。
かなり、宗教観の強い作品であることは、主人公をマグダラのマリアに似せること、だからこそ何か他人と違うエピソードを散りばめることでその得体の知れない存在感を醸し出す演出も、如実に判明している。普段の生活の中に小さい奇跡が起こることで人生は彩られていることを気付かされる作りである。
ただ、本作は前情報を得なければ多分、退屈な作品だと感じてしまうことだろう。そもそも海で溺れかける、死産をする、その出来事も作品としてはそれ程強烈なインパクトはない、比較的薄いフックである。それをアート作品としての昇華に成功させた監督の手腕は天才的である。否、アートだからそれを観る人がそれぞれの価値観を抱いての評価だろうから、かなり二分されることは想像に難くない。かくゆう自分も本作をどれだけ理解し、咀嚼し、理論的に論じられはしない。何で主人公は本当は子供が欲しくなかったと呟いたのかが、その中でも最大の謎であり、解釈が難しい。そんな解釈を必要とする作品は、それでも惹き付けて止まない出来映えであろう事は疑いようもない、かなり頭を使う内容であった。犬の糞の異様な多さも意味があるんだろうなぁ。。。