この世界の(さらにいくつもの)片隅にのレビュー・感想・評価
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それでも生きる
すずさんの筆箱の
ちびた鉛筆、これ見ただけで物を大切にしていることがわかる。
広島や呉での戦時中の生活の有り様が事細かく描かれている。
どなたに聞かれたのだろうか。
たくさんの方々に聞かれたのだろう。
いろんな経験をされている。
本作を観たら、しっかりと頭と心に焼きつけて次世代にできるだけ伝えていかねばならないのだと思わされた。
すずさんは働き者。もし、この主人公が怠惰な性格で文句ばかり言って働かない人ならどうだっただろうか、と考えたが、話が成り立たないな、作品にならないと思った。
骨身を惜しまず働き、右手を失ってもじっとせずに何か働いている。終戦後台風が来て屋根に穴が空き修理する為に風雨吹き荒ぶ中梯子を掛けて屋根に上がろうとしていたのには目を疑った。ちょうどよく夫が帰って来て代わってくれたからいいものの‥。しかし、義父が留守で年老いた義母だけなら仕方ないのかどうかは何とも言えない。
そんなけなげなすずさんにも戦禍は容赦なく降りかかる。人を選ばないのが戦争。
何も悪いことしてなくても殺される、それが戦争。
昔の話で良かった、と今言えるかの世界情勢。昨日の長崎平和祈念式典でもイスラエル🇮🇱の大使を招待しない理由で、原爆を落とした当事者のアメリカ🇺🇸を筆頭に招待したにもかかわらず欠席した国の大使がいた。日本よりイスラエル🇮🇱に忖度。政治と絡ませるな、とアメリカ🇺🇸からは文句も言われている。何様なんだ。
これらの国を信用してはならないと教えてくれた。ただ、広島はパレスチナを呼ばずイスラエルを呼んでいる。日本政府は、長崎のことに国は関与しないというスタンス。自国も頼りにならないのか。有事があれば先行きわからない今。
またもやニュースでイスラエルが学校に爆弾投下、
日本の今の平和はいつまで続けられるのか。
すずさんは18歳で求婚されるままに顔も知らない人に嫁いだ。
この時代嫁は働き手。早朝起きて水汲みして、
一日が始まる。
配給制で、出汁用のイワシ4匹で4人家族3日分。減らされたので増やす工夫でご飯炊いたが。
終戦後、凄いご馳走、カサ増しの混ぜ物のない白米だけのご飯、だけ。
防空壕掘りも描かれていた。
闇市で迷子になり遊郭街に迷い込み、知り合った白木リンさん。
年頃も近く気が合って話し込んだ。
見せられた身元票、ノートの台紙を切り取った紙に。
海軍省の夫に届けた台紙が欠けたノート、
伯母さんが言いかけた夫の昔の話、
白木リンさんの身元票、
屋根裏で見つけた新しい女物の茶碗、
夫に聞くと世帯持とうとした人にあげようと、
••••わかった、白木リンさんとだったんだ。
茶碗返しに行こう、夫と関わって欲しくない。
茶碗をテルさんにことづけた。
空襲警報、
こんな時代だからこそかの花見、偶然リンさんに会う。
茶碗を受け取った礼は言うがそれ以上触れない。
テルさんのことも聞くが‥‥。
リンさんやテルさんの境遇を考えると、
リンさん、女の子なら売れて(私みたいに?)
元気よく生きるからいいよ、と言うが。
人権という言葉なんて、
特攻とはまた違うが、人のことだいぶ軽く考えていた時代。
すずさんは自分のことボーッとしてると何回も言うが、
恋敵にはなかなか俊敏な行動である。
すずさん、
晴美ちゃんの左手を右手で握ってお義父さんの見舞いに
行った帰り知らずに不発弾の近くを通ってしまい、
晴美さんと右手を失ってしまった。
(ただ疑問、義姉さんは愛娘を預けて切符を買いに行ったのがわからない)
久しぶりに会った挨拶が、
🔅無事じゃったかね?🔅なんて⁉️
広島に原爆投下され、
天皇陛下の玉音放送、座敷のラジオ様を
縁側に座ってうやうやしく聞いた。
本物はダメなんだろうけどあまり品が無かった。
偶然、母を失ったヨーコに出会い家に連れて帰る。
また壷井栄さんの『母のない子と子のない母と』を
思い出す。
[いろいろ]
配給当番、
千人針、
大和軍艦、
絵描いてたら憲兵に。
砂糖高騰、
水原さん水兵に。
🍡全編を初めて観たので再度観て修正するかもです🍡
この世界の片隅に
戦争が行われていた時代を過ごした女性の生涯を描いた作品です。
この作品のいいと思う所は、キャラクターの緩さにあるかなと思いました。
戦争というととても重たく苦しいものというイメージが強いからです。
この主人公のどこか抜けたような緩さが観ていて心が和む感じがしました。
広島の方言もまた良いなと思いました。
強い言葉でもそこに温かみがあるような。
主人公がおっとなる人の昔の思い人に遭遇して、心の葛藤がある部分もこの時代だからとかではなく、向き合うべき所に向き合う強さがあるのかなぁ。
そこからお互いがもっと関係を深めていくきっかけとなった。
後半にかけて、物語が段々とシリアスな雰囲気に変わっていきました。
どんな時代でも世界の片隅では、日々が続いてそれが誰にでもある。
この世界の片隅に色んな人温かみがあったり、悲しみがあったり、全てが分かるわけでないけど、
そんな時代の中で生きる人の力強さを感じる作品でした。
なるほどねぇ、この世界の片隅にも、裏があったのだ。
さらにいくつものでない版を1度だけ観て、3年後なので、記憶違いがあったらゴメンナサイなんだが、
間違いなくリンである。
前作(ややこしいのでこう表記させていただく)において、どこか匂わしていた、
いくつかの謎の残り香は、この女のものだった訳だ。
彼女の存在のおかげで、実にいろいろな意味が裏返り、そして、納得いくものになる。
周作にとっては、すずとの縁談も、そもそも、出逢いの籠の中の思い出も、
納屋での一夜の件も、あまりに完璧すぎた、良き夫としての行動も
すべて裏があったのだ、と言うことになる。
つまり周作は、リンとの別れの条件として、存在するはずのない、初恋の相手を引っ張り出してきたのだ。
住所もわからぬ、実存するかもわからぬ、初端から、見つかるはずのない女性を条件とし、
見つからない事が前提の、すずさんだったのだ。
ところが、運命の悪戯か、すずさんは見つかってしまう。その時の周作は、どんな顔をしただろう、
まさか、見つかりましたハイ、リンの事は諦めます、すずさん愛してますとはならない。
成長し、着物を被って誤魔化していたとはいえ、相手がすずだと、わからなかったくらいだもの。
その内側には果たして、どんな気持ちが渦巻いていたのか。
そしてその気持ちから、どうやって変化していったのか。
しかしこれで、前作で感じた違和感は、すべてほどけた。
まさかあの、夢で見たような思い出話だけで、ずっとすずに恋心を抱き続き、いきなり縁談というのは
どれほどの一途な純愛男子なのか、イヤイヤしかしそれでは納屋の一夜をセッティングする理由とは矛盾する。
それともその愛は、妻の思い人と今生の別れを優先させてやるほど、聖人的な自己犠牲も厭わない鋼の愛情なのか? なんなのだ。
…なるほどなあ、裏があったのだ。
自分自身にウシロメタイ気持ちがあったからこその、贖罪でもあった訳だ。
まぁ、、良いさ。
結果的に、桜の木の下で、あの挨拶ができた2人だもの。
そこまでのどこかで、周作のなかで区切りがつき、本当の夫婦になれたんだろう。
これだという切っ掛けになるエピソードは、たぶん、ない。
なんでもない日常生活の積み重ね。
その重みが、その意味が、この映画の本質だもの。
夫婦生活の積み重ねで、いつしか、ふたりは本当に夫婦になったんだと思う。
紆余曲折があったからこそ、遠回りをしたぶん、ふたりは出逢ったのだし、
すずさんは生き延びたのだし、
辿り着いた愛情は、より深くなったのだろう。
人生なんて、結果論的に、なるようになるし、なにが幸いするかなんて、誰にもわからない。
監督がインタビューで「すずさんにそこまで日本を背負わさなくても良い」と語ったように
戦時中の、そして戦後も続く、日常の積み重ね。
淡々と積み重ねられる、人々の生活を描くだけで、この映画の主題も、
戦争というものの本質も、人の強さも、弱さも、
苦しさも、楽しさも、とてもやり切れない悲しさも、
すずがただ1度だけ見せた怒りも。
わざわざ日本を背負わさなくても。
それでも、すずは生きていかねばならないのだし。
それは誰もが同じなのだし。
すずが言わなくても、他の誰もが、言葉は違えど、同じ思いであったのだろうし。
そして、戦争の罪深さは変わらないのだし。
全ての物事には、面があって裏がある…。 ただのディレクターズ・カット版ではない、全く新しいもう一つの「片隅」がここに…。
2016年公開のアニメ映画『この世界の片隅に』に、40分にも及ぶ新規映像を追加して制作されたディレクターズ・カット版。
○キャスト
北条すず…のん。
新たなキャストとして、遊郭で働く病気の女性、テルちゃんを演じるのは『言の葉の庭』『君の名は。』の花澤香菜。
本作のランタイムは168分。これはおそらく、日本アニメーション映画史上最長の作品だと思われる。
片渕須直監督曰く、元々の絵コンテはこの長尺版のものだったらしい。しかし、予算の都合上30分ほどカットしなければならず、なくなくコンテを削って作り上げたのが2016年版。
つまり、2016年版ではなく、この長尺版こそが『この世界の片隅に』という映画の本来の姿なのである。
本作を鑑賞してみて驚かされた!😲
だって、40分の追加映像によって、全く違う映画に生まれ変わっていたんだもん。
16年版はすずさんとその家族に焦点が当てられており、過酷な時代を懸命に生き抜く彼らの姿が描かれていた。
しかし、この19年版では、遊女として働くリンさんのエピソードをふんだんに増量。
彼女のエピソードが追加されたことにより、すずと周作、そして北条家の背後に横たわる暗い影が浮き彫りになってくる。
2016年版がレコードのA面だとするならば、本作はまさにB面。16年版が太陽ならば、本作はまさに月。
人気の”生命”の強さが打ち出されたA面に対し、このB面では人間の”情念”の強さが打ち出されている。
過酷な運命が描かれているものの、どこまでもカラッと明るい作風だった16年版とは打って変わって、本作にはドロッとした冷たい暗さが物語の根底に流れているように思う。
物語の結末が変わった訳ではない。
しかし、この新規エピソードは映画全体の印象をガラッと変化させてしまった。
なんの陰りも見えない幸せそうな家族にも、外からは決して見えない秘密が存在している。現実は綺麗事だけでは済まされない物事に満ち溢れているということを、我々は嫌というほど知っている。
その嫌な部分をあえて取り除いている16年版の方が、確実に観やすい映画ではある。
しかし、このやるせない秘密と、それを胸に秘めたまま前へ前へと進んでゆくすずと周作の姿を描いたこの長尺版の方が、鑑賞後の胸にズシンと残ることだろう。
『この世界の片隅に』が、日本映画史に残る傑作なのは間違いないし、その素晴らしさはこの長尺版でも全く損なわれていない。
ただ…。
やはり、3時間弱というのは長すぎる…。
テレビシリーズでやるとか、前後編に分けるとか、なんかそういう対応策はなかったんじゃろうか?
たしかに、16年版よりも本作の方が物語の骨子はしっかりしている。すずさんの心情も、本作の方がより強く観客に伝わったことだろう。
ただ、丁寧に作りすぎているせいで、16年版にあった勢いが削がれてしまっているように感じた。
このリンさんのエピソードは、原作に描かれているもの。
重要なエピソードなので、映画の中に組み込みたいと思った片渕須直監督の気持ちもわかるが、やはり漫画と映画は違う。
漫画ほどゆったりと進むわけにはいかない映画という表現媒体においては、原作のエピソードを取捨選択するという行為が必須。
16年版はこの取捨選択が非常に大胆に、かつこれ以上ない程的確に行われていた。
それに対して本作はちょっと欲張りすぎてしまっている。
リンさんのエピソードは原作漫画に任せておいて、映画は16年版を完成稿としてしまってもよかったのではないだろうか?
16年版も本作も、両方とも同じレベルの感動を与えてくれた。
だったら、40分も尺が短い16年版の方がより優れた映画であると言えるような気がするし、おそらく後年まで語り継がれるのは16年版の方な気がする。
映画には、丁寧さよりも勢いの方が大切だと私は思うのだが、世間一般ではどうなんだろう…?🤔
リンさんというピースで、よりこうのふみよ先生の作品感は増す
鑑賞当時にレビューする習慣がなかったので後付けですが。
さらにいくつもの、は前作で泣く泣くカットされたすずさんとリンさんのエピソードを多く含み、作品の印象もあるいはすずさん周作さんの印象もかなり違います。いずれにしても心に後から後から染み込んでくる凄い作品です。
こちらだけ観たひと、原作とこちらだけ読んだ観た、という方の感想も気になります。
画竜点睛を欠く おむすびコロリン!
ほぼ、良いのだが、原作にはあって、アニメにはないカットがいくつかある。ネタバレになるので言えないが、アニメを見た方は原作を読んでもらいたい。
また、この作品のテーマは、この原作者の他の作品を読んで見るべきだ。涙だけで済ませてはいけない。
我々は原作からカットされていた一人なのだから。
旦那が無駄に(笑)いい男、よく見ると展開が少女漫画(笑)
素晴らしい作品であることに疑いの余地はない。コロナ禍の今見ると、緊急事態が音もなく日常になっていくことの恐ろしさがリアルに伝わってくるし。
ただ誰も言っていないようなので書くけど旦那(周作さん)が無駄に(笑)いい男なんだ…子供の頃たまたま出会って見初めて、成長して凛々しい軍人になり「結婚してくれ」とやって来る…完全に女の幻想の世界やな(笑)結局この男がよかったから嫁ぎ先に残る決意をしたんじゃないんかい、昔はもっと最低な男いっぱいいたやろ、とか意地の悪いツッコミを入れたくなってしまう。結婚後も乱暴だった小学校時代の同級生が嫁ぎ先にやってきて「昔からお前が好きだった」「そんな、私はもうあの人を愛しているから何を今さら!」という超メロドラマ展開…このヒロイン、これも少女漫画によく出てくる「ドジで一生懸命な女の子」だしね…こんなんで「昔の女性は家庭に縛られて悲惨でした」とか言われてもなー。
極めつけは遊郭の女性、白木リンとの関係。夫・周作は結婚とともに遊郭通いをきっぱりやめ、妻一筋になったという(というより、遊郭のリンに入れあげるのを止めるため、親類縁者が持ち出した結婚だった)。えー、ほんとかよ、男って甲斐性があれば二人三人ぐらい同時に愛せる生き物なんでっせ?しかもそれが咎められなかった時代、結婚した後もこっそり通ってたんじゃないのかなぁ?花見ですれ違っても「お久しぶり」って挨拶するだけって、逆に怪しくないか?
せっかく夫婦の夜の営みのシーンまで描くぐらいなら(笑)、夫の体から遊郭の香りがしてくるとか、そこまで際どく描けばよかったのに。嫉妬に燃えていたら原爆が落ちてリンは死んでしまいました、とかいう展開の方がよほど怖い。
だが例の小学校の同級生が向かう先は生きては戻れない海戦で、夫が逞しい肩で庇ってくれる先では砲弾で何人もの人が亡くなっている。これでは胸キュンどころでない…実家の親も原爆で死んでしまうし…
結論として、旦那がちょいと女性にとって都合のいい設定だったもので、戦争の悲惨さを見る作品としては甘すぎ、胸キュン作品として見るには不謹慎すぎる、どっちつかずなモヤモヤ感が残る…ちなみに…旦那役の声優は細谷佳正、やたら色っぽい。やはりこの「いい男」、完全に無駄である…
すずさんの(さらにいくつもの)心情
Netflixで鑑賞。
原作マンガは未読。
遊郭で働くりんさんとのエピソードなどが追加されたことによって、すずさんの内面がさらに掘り下げられ、女としての葛藤や夫への複雑な想いなど、その心の襞が克明になりました。
すずさんの人間性がオリジナル版よりも奥深さを増し、彼女の存在が一層明確に立ち上がって来るようでした。
特に印象的だったのは、休暇で陸に上がった水原さんとすずさんが過ごした一夜の場面。オリジナル版とは全く違った意味合いを持つシーンになっていて、大人の男女の機微がより濃厚に漂うシーンに変貌しているなと思いました。
※修正(2024/06/22)
戦争は人を変えてしまう。
ほんわかしている女性が、戦争によって変わるという内容。
映画の中で、女性は遠方の地に嫁ぐことになる。結婚してしばらく平凡に暮らしていたが、
姪を失い、自分の手を失い、故郷の父母は無事なのか、妹は?幼馴染は?
色んなことが起こり、女性は強くなる。
強くなるっていうか、強くならなきゃいけない状況というのか…
戦争ってやだね…
恋敵として、だけではなく…
TBS日曜劇場版で最も普及した本作の為、今回既存の無印に追加された『白木リン』及び彼女に関するエピソードは、TBS版での解釈上【あくまでも北條周作との関係ありき】つまりは【すずさんの間接的な恋敵】としてのキャラクター設定を初見以下原作未読の人々に与えてしまっており、とても残念。
原作から入った人間には、北條すずにとっての白木リン、は(TBS版では無理矢理若く設定された隣組の女性が一応親友一歩手前くらいで配役されたりしましたが)夫を介した因縁をも超越した親友または心友として描かれており、そのために必要不可欠なシーンが今回追加された、と解釈しています。
このキャラクター設定での配役設定自体が、「周作の元カノ」とされるか?「すずさんが嫁いで以来の心友」とされるか?、ではかなりの見方の相違が出ます。今回の完全版ともいうべき作品が、『蛇足すぎる』『正直いらない』『恋愛話に手を加えた』などの微妙な評価はそのほとんどがリンの立場を「元カノ」と位置付けているためなので、もしもそういう方が再び本作を見返そうとするならば、「心友」として見て欲しいです。
立場「心友」として、前回泣く泣く「蔑ろ」にされてしまったエピソードが入り、今のまま以上に【北條すず】個人としての『色』が鮮やかになったと思います。
この世界の片隅にの完全版
この世界の(さらにいくつもの)片隅には最初にやったこの世界の片隅にと内容はほぼ同じです。ただ違う所はリンの話を入れただけのものです。といっても前作に比べたらリンとすずの話がかなり詳しくなってます。まぁ簡単に言えばリンの話を追加したこの世界の片隅にの完全版といってもいいでしょうか。前作のこの世界の片隅にが好きでもう一度見るつもりで見るのなら楽しめるかと思います。
追加分により、更に深みが増して素晴らしかった。
・最初のバージョンを初公開時に観て以来たったのでほぼ初見のように観られて良かった。もっと水原と恋人っぽかった気がしたけど、違ってた。ラストの右手で手を振る映像で泣いたけどまた泣いた。
・追加分の女郎さんとのエピソードが凄く良かった。周作に、関してほぼ印象がなかったのが、今回で好きになった。リンさんと周作とは昔出会っていたのかが、空想と混ざって見えていまいちわからなかったけど、新たに3人のキャラクターに感情移入できるようになり、素晴らしかった。そして切なかった。
・すずさんの明るい性格とのんの声が合ってて和んだ。
・リンさんの登場ですずさんがより人間味のある印象になって良かった。
無印と全く印象の違う映画に!
無印は1回みた翌日に2回を鑑賞するくらい感動した映画でした。
逆にあれ以上よくなるのかと心配しながら観にいきましたが、、
そんな心配は全く不要でした!
同じ場面も使用しているのに、観賞後の後の印象が全く異なるとんでもないアクロバティックな鑑賞体験でした。
すずさん=戦時中でも直向きに生きる女性、という面だけでなく、その背景に複雑な負の面があったことが明らかになった。
実は旦那がりんを嫁にしたかったこと、自分がその代わりだったこと、で生まれる嫉妬。
辛い嫁ぎ先での生活でも広島に帰らなかった理由の一つに、兄から暴力が一因としてあったこと、むしろ死んでくれてよかったと思ってる歪んだ気持ち。
こんな持ちを抱えて暮らしてたことが分かったので、玉音放送の後に泣くシーンの印象が全く変わってしまった。
アニメ映画は散々観てますが、これを超える映画はもう出ないんじゃないかと思うくらい最高傑作です。
まだ観てない人にはとにかく観てほしい1本です。
優しさに胸が震える
私は原作を読み、公開時のバージョンは未見。160分もありながら、それでも原作からこぼれている細かなエピソードはあり、この原作の奥深さを逆に感じることとなった。あくまですずという女性の、戦時下の他愛ない男と女の話でありながら、りんとすずというこの時代の、選択肢の少ない女性の対照的な生き方を描き、最後は輪廻転生をも思わせる宇宙観さえ感じる。
すずが西瓜を与えた屋根裏の子供はりんさんかもしれなくて、そのりんさんは周作の隣にいることはできなくて。
はるみちゃんは死んでしまったけど、名も知らぬ子供が新しい家族になって。
誰かが、誰かの場所だったところにおさまって。
そう簡単に居場所が無くなったりしないよ、というりんさんの声が胸を締め付ける。誰もがそうではないことも含めて。
りんさんも、ピカドンで息子を亡くし隣人の女性も、両親と腕を無くしたすずも、あまりにも失ったものへの執着が無くて、それなのに何かを諦めている様子でもなくて。戦争は人に悲しんだり後悔したりする暇も与えず、どんどん何かを奪っていく。そんな状況を受け入れるしかないけれど、でも日々の営みを丹念に過ごしていくすずたちが、健気で胸を打つ。
すずは人生の何一つも自分で決めていないように見えるけど、何でも受け入れてしまうしなやかさに惹かれた人たちから、選ばれているのかもしれない。
戦時下のごくごく普通の家庭の生活を、こんなに丹念に描いた作品はあまり思い出せない。
「配給」「バケツリレー」そういったステレオタイプ以上の描写は、こちらが想像する以上のものがあった。日本全体がこんなにかつかつの生活をしていて、よくご先祖達は耐えてきたなと。
すずの腕に母を見出した子どもは救われたが、実際は戦争孤児としてひどい目にあった方たちもたくさんおり、そのドキュメンタリーを見たときは、同じ人間の所業かと唖然としたことがある。
だからこそ、フィクションであろうと、最後に描かれたすずたちの選択に涙が出た。
世界に誇れる反戦映画であり人間讃歌
オリジナル版もそうでしたが、今作でも後半から涙止まらずでした。世界に誇れる反戦映画であり人間讃歌。人の暮らし営みだけでなく、どうにもならない複雑な感情といったものが本当に繊細に丁寧に描かれていて、ずっと切実な気持ちでスクリーンに引き込まれていた。今よりずっと、人々の人権意識が低く、一人ひとりの人権も守られず、命も儚かなかった時代(嫁入り、人身売買、戦争など)に、それでも日々の暮らしを紡いで繋いでゆく人々のたくましさ、生々しい感情、悲しみ、笑い、楽しみ、切なさがほんとに美しく、そこが反戦映画としてだけでなく、美しい人間讃歌として成立しているこの作品の凄さだと思う。流されるようにして呉にきた主人公も、ほんとは意志を持って人生を生きてる。夫にも真摯に向き合ってる。自分の感情を見て見ぬふりせず、丁寧に扱ってる。そんな誇り高き人の人生を見せてもらえたことが尊い。前作同様エンディングにますます泣いてしまうのだけど、自分が産んだ子でなくとも、子どもの姿というのはいつの世にも希望の光になるとも思った。
戦下の生と(性と)死
2016年公開の『この世界の片隅に』の改訂増補版。オリジナル作品では「戦争の「当事者」としての庶民」を強く意識しましたが、本作では・・・
昭和19年、広島で暮らす19歳の浦野すず。
突然、見初められれ、呉の北條家に嫁ぐことになった。
大らかで、鷹揚で、かなり世間知らずのすず。
嫁いだ先でも、性格は変わらない。
しかし、海軍鎮守府のある呉は、敵機の襲来を繰り返し繰り返し受けることになる・・・
というのは原本のレビュー時に書いたあらすじめいたものだけれども、改訂増補版でもそれは変わりません。
けれども、印象はかなり異なります。
原本が「戦争当事者としての庶民」を強く感じさせるにしても、主人公すずのキャラクターから幾分ファンタジーめいた感がなきにしもあらずでしたが、今回は、三業地の赤線の女・リンとの関係を大きく描くことで、庶民の「生身」感は強くなりました。
夫・周作とリンとの関係、さらに、周作とすずの夜の営みも描かれることで、性=生の側面は強調されています。
個人的には、三角関係=平和な時代、というようなイメージがあるのですが、戦下で死が近しい分だけ、より生々しいものに拘るのかもしれませんね。
この生々しさによって、玉音放送を聞いたすずの悔しさは原本以上に増幅したように感じました。
原本よりも、今回の改訂増補版の方を評価します。
広島で見るこの映画は感慨深い。この世界の片隅にもサロンシネマで見ま...
広島で見るこの映画は感慨深い。この世界の片隅にもサロンシネマで見ましたが、土地のもつ力を感じながら見る映画は格別。あの最後のシーンがお兄さんだったとは、、、。
この世界のさらにいくつもの片隅に
当時の夜の星の位置から釘の頭にギザギザがあったか?まで6年かけて時代考証や検証をし、商店街を再現、その家族まで出演させ、徹底的に普遍性を追求した前作をベースに、さらに原作の登場人物の個人の伏線を掘り下げた完全版になります。初めて観られる方も違和感なくストーリーを追える良作なので、気が付いたら片隅の世界に浸ってしまい、3時間近い上映時間が、あっという間に過ぎることでしょう。前作は11回映画館で鑑賞しましたが、特に、前作で伏せられていた、遊女のリンさんと周作さんとすずさんの際どい絡みや人間関係、リンさん、テルさんのある意味、片隅からの達観した悲しいエピソード。特にテルさんの全てを語るような、博多弁 よかねー で思わず感極まりました。呉工廠に務めるお父さんのシーンでは、35.8Lの副列星型空冷18気筒
2000馬力を誇る 誉 エンジンや二式大艇なども登場し、鉄道オタクさんだけでなく軍事兵器オタクさんも満足できる仕上がりです。当時の広島や呉にタイムリープし浸れる不思議な映画です。
とことん逞しく
168分の長尺が、自分にはまったく長いと感じなかった。
まるで新しい作品をもう一本観ているような、とはいえ
オリジナルの記憶がまだ新しいことで再発見にも至れる。
すず、リン、径子のこれまでの人生とこれからの運命を
丹念に掘り下げてやや大人版となった今作は、鑑賞者の
年齢や立場等で観る角度がかなり違ってくる。一女性が
たどる成長驒として、数奇な運命を振り返るきっかけと
して、現在の自分が感じるありのままを今後もこの作品
で追体験できることだろうと思った。
個人的には、径子の印象がかなり変わった。
意地悪な義姉でなく数々の不遇に見舞われた女性だった。
それでも自分で選んだ人生だから悔いはないと言い切り、
晴美を失った後すずに広島行を促す姿には涙がこぼれた。
すずが周作への愛を確実なものと認識する水原やリンの
エピソードでは、腹を立てて夫を罵る姿が印象的だった。
そうそうもっと想いをさらけ出せ、すずさん!と笑った。
喧嘩して言い合いを重ねて夫婦はどんどん成長するもの。
リンは周作の名書とお茶椀とすずの描いた絵を、きっと
死ぬまで大切に持っていただろう。
自分の居場所を最も分かっていたのは彼女に他ならない。
世界の片隅に活きている女性たちはとことん逞しいのだ。
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