「泣くしかない」この世界の(さらにいくつもの)片隅に R41さんの映画レビュー(感想・評価)
泣くしかない
戦争という人間にとっての究極の状況
そんなものは無いのが良いに決まっているが、そんな究極の状況下によって人間性というのか、人の本来の姿を短期間で変化させることができるのかもしれない。
時限爆弾で亡くなってしまったハルミとすずの右手。
しかしそれはほんのわずかな犠牲で、人々は身内を探し続けて彷徨っている。
ガラスの破片が体中に突き刺さりながら娘を連れて当てもなく逃げる母親。
いつしか息絶え、ハエがたかり蛆が湧く。
娘は長い時間をかけて、母が死んだことを理解したのだろう。
食べるものも着るものも、雨風をしのぐ場所さえないまま彷徨い、足元に転がってきた細巻きを手に取った。
娘はそれを口にすることなく、落としたであろうすずと周作に向かってそれを差し出す。
そんなことなどあろうか?
でも娘はきっとそんな風に育てられたのだろう。
すずに言われてそれを口にする。
おそらく何日ぶりかの食事。
二人は娘を連れて帰る。
ゴジラ-1.0の状況を思い返すと、それは相当な決断だったはずだ。
「この世界のさらにいくつもの片隅に、うちを見つけてくれた」のと同じく、彼らはその娘を見つけたのだろう。
「この先、うちは笑顔の入れ物なんです」
この先あの娘は、すずのこの言葉と同様にきっと笑顔の入れ物となるだろう。
この究極への道程、戦争というものの副産物。
計り知れない破壊と犠牲、それに匹敵する本来の人の在り方への変化。
決してそんなことは体験したくはないが、これもまた映画の持つ力によって感じることができる。
さて、すず 人からいつも「ボーッとしとる」と言われる。
暴力的な兄。
兄との日常生活の中ですずはボーっとする技を身に着けたのだろう。
生きる知恵と言った方がいいかもしれない。
力を抜き嫌なことを考えないようにすることが、兄との生活という状況を少しでも楽にするコツだったのだろう。
「肝心なことが言えない」という彼女の言葉は、ボーッとする知恵と引き換えにしてしまったもの。
本当の自分の気持ちを、隠してしまう。
それに気づかされたのが水原の存在。
彼に言えなかった「好き」という言葉。
そしてその事に気づかず、他人にすすめられるままに呉へと嫁に行くことになった。
土地も人も何も知らない場所で生活する。
義理の姉ケイコの存在は、すずのボーっとする得意芸を助長した。
とにかくそこで生きていかなければならない。
しかし、すずのそのあまりにも天然のような性格が、返って北条家に受け入れられる。
嫌味で「広島に帰ったら」と言われ、本当にそうしてしまう。
そしてその帰省は、すずにとっては、嫁に行ったのが夢だったのではないかとさえ思ってしまうほどだった。
それはきっと、それほど自分自身を殺していたのだろう。
10円玉ハゲもそれを象徴している。
再び北条家に帰ってくると、すずの表情は暗く沈み込んでしまっていた。
すずがりんに言った「嫁としての責任」。 この思考は未だにあるが、この考えがすずを殺していたのだろう。
特に絵を描くのが好きなすずから、憲兵によって絵を奪われたことが彼女の心を非常に矮小化させたのだろう。
さて、、 幼いすず。
夢の中で大男にさらわれてかごの中で水原と出会う。
戦争に突入した不安と彼女の心にあった本心。
環境によって「肝心なことが言えない」自分を作ったこと。 水原が北条家を訪ねてきたことで、素の自分を北条家にさらす。
素のすずを初めて見た周作。 周作がすずと水原とに話す時間を与えたことで物語になる。 しかし周作も好きになっている自分の気持ちを水原に打ちあける。
時間差というのか、運命のいたずらというのか、それともそれがタイミングだったのか、すずの働きが義理の父に認められ、その証拠としてなぜ周作がすずを選んだのかというのを、周作とりんとの関係で説明された。
これはすずにとって諸刃の刃となった。
非常に心が揺れ動いてしまう。
その直後の水原の訪問。それ故の二人の会話。
当時の状況下での彼らの心の揺れはなかなか難しいものを感じると同時に、切羽詰まった心の状況はよくわかった。
水原は正式にすずに断られたことを理解すると同時に、戦死を覚悟した。
やがて敵機の機銃がすずを襲い、周作が側溝の中に入って彼女を守る。
ところが機銃はりんがくれた口紅と水原がくれた羽を破壊する。
おそらく水原はりんと同様戦死したのだろう。
その際「もう広島に帰る」と叫んだのは、もちろん戦争という絶望でありすべてを失ってしまったことがあったからだ。
特にハルミと絵を描く右手を失った絶望感が突き刺さるように伝わってくる。
周作はそれでもすずを守りたかったのだろう。
絶望の淵にあってもなお、救いの手は端然と差し伸べられている。
そして、、
りんは幼い頃、すずの祖父母の天井裏に匿われていた子ども。
すずの友達。 遊郭に売られた子ども。
その強さとたくましさに惚れた周作。
同様にりんにはどうしても勝てないと思ったすず。
この4人の関係がこの作品を彩っている。
特にりんとの交流はすずに本心というものを教えているように思った。
すずの言った「嫁の義務」に対し、つまらない考えだと切り捨てる。
さらに「死んだら心の秘密はなかったことになる」。
これはりんが抱えている過去であり、それを抱えて生きる彼女のこと。
死ぬ安らぎの言葉。
さて、、
ケイコ 性格の悪い義理の姉として描かれている。 出戻った理由を離婚だと言った。
しかし実際には夫が爆弾で死んだ。
彼女は口悪くすずに文句ばかりいうが、大和の姿を見て急にどこかへ行った。
彼女の戦争。
夫の死で実家に逃げ込んだが、やり残してきたことがあったのだろう。
彼女のふるまいや悪口は、この戦時下において生きるために気丈にしなければ立っていられないことを意味する。
ハルミにだけは気弱な母を見せたくはなかったのだろう。
それがケイコの「自分で選んだ道の果て」という言葉に現れている。
やがて原爆投下と玉音放送
脳医学博士の養老先生も言っていたが、それまで日本は一億総玉砕を一貫していた。
しかしあのラジオの瞬間、全て嘘だったと思った。
だから日本はモノづくり国家になった。
出来上がったモノは嘘をつかないからだ。
政府は簡単に嘘をつく。だからそんなものは信じない。
すずも大声で泣き喚いた。
当時の誰もが思った暴力に屈しなければならなかった悔しさが、あのシーンに込められていた。
この世界の、さらにいくつもの片隅に、僕らがいる。
すずたちがいたあの時代、あの娘の子孫だ。
この映画は、戦争という極限状態の中で人々がどのように生き抜き、どのように変わっていくのかを深く描いている。
すずや周作、りん、ケイコといった登場人物たちの物語を通じて、私たちは人間の強さや弱さ、そして希望を見つけることができる。
戦争の悲劇とその影響は計り知れないが、それでも人々は前を向いて生き続けることはできる。
すずが最後に見せた笑顔は、絶望の中でも希望を見出すことができるというメッセージを私たちに伝えていたように感じた。
この映画を通して、私たちは過去の出来事を忘れず、平和の大切さを再認識することができる。
そして、どんな困難な状況でも、人間の心には希望と強さがあることを信じ続けることができるのだろう。
素晴らしい作品だった。