「全ての物事には、面があって裏がある…。 ただのディレクターズ・カット版ではない、全く新しいもう一つの「片隅」がここに…。」この世界の(さらにいくつもの)片隅に たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
全ての物事には、面があって裏がある…。 ただのディレクターズ・カット版ではない、全く新しいもう一つの「片隅」がここに…。
2016年公開のアニメ映画『この世界の片隅に』に、40分にも及ぶ新規映像を追加して制作されたディレクターズ・カット版。
○キャスト
北条すず…のん。
新たなキャストとして、遊郭で働く病気の女性、テルちゃんを演じるのは『言の葉の庭』『君の名は。』の花澤香菜。
本作のランタイムは168分。これはおそらく、日本アニメーション映画史上最長の作品だと思われる。
片渕須直監督曰く、元々の絵コンテはこの長尺版のものだったらしい。しかし、予算の都合上30分ほどカットしなければならず、なくなくコンテを削って作り上げたのが2016年版。
つまり、2016年版ではなく、この長尺版こそが『この世界の片隅に』という映画の本来の姿なのである。
本作を鑑賞してみて驚かされた!😲
だって、40分の追加映像によって、全く違う映画に生まれ変わっていたんだもん。
16年版はすずさんとその家族に焦点が当てられており、過酷な時代を懸命に生き抜く彼らの姿が描かれていた。
しかし、この19年版では、遊女として働くリンさんのエピソードをふんだんに増量。
彼女のエピソードが追加されたことにより、すずと周作、そして北条家の背後に横たわる暗い影が浮き彫りになってくる。
2016年版がレコードのA面だとするならば、本作はまさにB面。16年版が太陽ならば、本作はまさに月。
人気の”生命”の強さが打ち出されたA面に対し、このB面では人間の”情念”の強さが打ち出されている。
過酷な運命が描かれているものの、どこまでもカラッと明るい作風だった16年版とは打って変わって、本作にはドロッとした冷たい暗さが物語の根底に流れているように思う。
物語の結末が変わった訳ではない。
しかし、この新規エピソードは映画全体の印象をガラッと変化させてしまった。
なんの陰りも見えない幸せそうな家族にも、外からは決して見えない秘密が存在している。現実は綺麗事だけでは済まされない物事に満ち溢れているということを、我々は嫌というほど知っている。
その嫌な部分をあえて取り除いている16年版の方が、確実に観やすい映画ではある。
しかし、このやるせない秘密と、それを胸に秘めたまま前へ前へと進んでゆくすずと周作の姿を描いたこの長尺版の方が、鑑賞後の胸にズシンと残ることだろう。
『この世界の片隅に』が、日本映画史に残る傑作なのは間違いないし、その素晴らしさはこの長尺版でも全く損なわれていない。
ただ…。
やはり、3時間弱というのは長すぎる…。
テレビシリーズでやるとか、前後編に分けるとか、なんかそういう対応策はなかったんじゃろうか?
たしかに、16年版よりも本作の方が物語の骨子はしっかりしている。すずさんの心情も、本作の方がより強く観客に伝わったことだろう。
ただ、丁寧に作りすぎているせいで、16年版にあった勢いが削がれてしまっているように感じた。
このリンさんのエピソードは、原作に描かれているもの。
重要なエピソードなので、映画の中に組み込みたいと思った片渕須直監督の気持ちもわかるが、やはり漫画と映画は違う。
漫画ほどゆったりと進むわけにはいかない映画という表現媒体においては、原作のエピソードを取捨選択するという行為が必須。
16年版はこの取捨選択が非常に大胆に、かつこれ以上ない程的確に行われていた。
それに対して本作はちょっと欲張りすぎてしまっている。
リンさんのエピソードは原作漫画に任せておいて、映画は16年版を完成稿としてしまってもよかったのではないだろうか?
16年版も本作も、両方とも同じレベルの感動を与えてくれた。
だったら、40分も尺が短い16年版の方がより優れた映画であると言えるような気がするし、おそらく後年まで語り継がれるのは16年版の方な気がする。
映画には、丁寧さよりも勢いの方が大切だと私は思うのだが、世間一般ではどうなんだろう…?🤔
> 映画には、丁寧さよりも勢いの方が大切だと私は思う
なるほど。面白い着眼点ですね。自分はそれぞれ好きだけれど、わかる面もあります。
映画じゃないけれど、俺には、5巻で完結したコミックスに対して「コイツは傑作だ」と思うクセがあるようです。永井豪デビルマン、松本大洋ピンポン、大友克洋AKIRAとかね。