「覆い隠した底にあるもの」真実 しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
覆い隠した底にあるもの
国民的大女優ファビエンヌと、脚本家の娘リュミール。母の自伝出版祝いに、家族を連れて帰省した娘。母娘のすれ違いや拗れ、嫉妬やプライドなどの感情を、二人を取り囲む人間模様を交えて描き出す。
この作品は、かなり複雑な構造を持つ。
劇中のキーパーソンでありながら、過去の人物として姿は全く表さない、天才女優サラ。リュミールは、母に代わるかの如く愛情注いでくれたサラと比較し、女優業を優先したファビエンヌを責め、ファビエンヌは、母としても女優としても自らを脅かすサラに嫉妬していた。
そのサラの再来と目される若き女優・マノンと、ファビエンヌは新作SF映画で共演する。マノンにサラの面影を重ねる事で、母娘は、サラを介して捻れてしまった自らの感情と向き合う事になる。
また、SF映画でのマノンのキャラクターは、不治の病からくる死を免れる為、ウラシマ効果で時を止め、7年毎に宇宙から戻ってくる母親。年取らぬ母を追い抜いて老いた娘役がファビエンヌ。母に置き去りにされた孤独を演じる事で、ファビエンヌは娘の寂しさに思いを馳せ、リュミールは演じる母を見守る内に、女優の業を貫く母を認めていく。
このように、幾重にも入れ子や象徴の仕掛けを施しながら、物語の筋そのものには何ら難解な所なく、二人の心情やその変化を浮かび上がらせるような、脚本の造りが絶妙である。
核となる女性達、特に、自身そのものであるかのような大女優を演じるカトリーヌ・ドヌーヴの演技は圧巻だが、取り囲む男性陣も各々に味わい深い。娘婿、老執事、女優の元夫、現恋人。感情的になっている女には真っ向から正論をぶつけず、上手に取りなして沈静化を待つ。この話の男性は皆賢者ですな(笑)二人を優しく支える彼らのお陰で、物語が痛々しくなりすぎず、温かい収束を迎えている。
女優と脚本家、虚構を演じる母と、紡ぎ出す娘。物語の中には、それが真実なのか作り物なのか、事実なのか勘違いなのか、嘘なのか本当なのか、判然としないエピソードがいくつも散りばめられている。
人と人、その距離感の、最も近く、最も難儀であろう家族の関係。期待、失望、理想、現実、甘え、厳しさ、愛情、憎悪。
重要なのは、唯一無二の事実を追い求める事だろうか。異なる個体、異なる思いである事を受け入れ、その上で重ねられる景色を手探りし、共に支えて歩むのが、家族の一つの形ではなかろうか。例え少しばかりの虚構や嘘を嗅ぎとっていたとしても、そこに真実は存在し得ないのだろうか。
現代崩壊しかかる家族の形。監督の描き出す新たな家族の姿に、観客もまた、自分なりの模索をし続けるのであろう。