「「ただの日常」って物凄い」海獣の子供 なあこさんの映画レビュー(感想・評価)
「ただの日常」って物凄い
やばいものを観てしまった……と茫然自失で映画館を出て3日経つけど、まだ音楽と映像が頭から離れない。すごい。また観に行ってしまうと思う。そしてこれは絶対に映画館で観るべき。
たしかに、ガールミーツボーイ(きらっ)という作品ではない。ないんだけど……琉花は地球を揺るがす物凄い事件(「祭り」)に巻き込まれながらも、その行動の動機のほとんどは「海くんのことを知りたい、守りたい」「好奇心を満たしたい」という身近で少女らしい衝動だった。要するに地球を救いたいとか世界のすべてを見たいとか、大きな望みを抱いていたわけではなかった。だからこそ彼女にとってこの一連の出来事は、すごく不思議な、だけど「誰にでもある」切なくて忘れられない夏の思い出でもあるのだと思う。
原作にはなかったのだけど、「私、何も知らなくて……ただいなくなってほしくなくて……(うろ覚え)」と琉花が涙するシーンを見たときに、強烈にそれを感じた。こんなに神秘的で衝撃的な体験をしてなお、少女にとっては、恋と呼ぶには短すぎるひと夏の思い出にもなりうるということ、そしてその少女が内包する強かさというか寛容さというか消化力というか……とにかくそういったものに、いい意味で愕然とした。現象に、感じた以上の意味、必要以上の意味を付加しない姿勢に憧れもした。少女、本当に強い。
「子守歌」の設定も原作にはないものだけど、この「子守歌」が世界に刻まれて連綿と受け継がれていく記憶の象徴だとすると、その果てしなさや偉大さ壮大さ、を件のシーンでこれでもかと描き上げているくせに、「その子守歌、お母さんもおばあちゃんから教わったの?」「そう。それがどうかした?」「…なんでもない」(すべてうろ覚え)みたいな短いやりとりで終わらせている、その余裕というか風呂敷のでかさというか「それがどうかした?」って……さっきまでめちゃくちゃどうかしたものだよって見せてきてたじゃん、みたいな……結局この映画は、すごい非日常の事件を描いていると見せかけて、「ただの日常」というものが持つ物凄さをがががががーーーっと伝えてくるものなのかもしれない、と思った。
あの超絶壮大なスケールで描かれた生命のことは、海のそこかしこで、そしてヒトの身体の中で、日常的に起こっていることを拡大して取り上げただけなのかもしれない。
今わたしの腹には子がいて「わたしも宇宙、あなたも宇宙……」と腹を抱えながら思うなどした。