ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪のレビュー・感想・評価
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欲求不満でなければ人間は前進出来ないものです
ニューヨークで、この美術館の前に立ったとき、「ああ、やっとここに来れた ー」という感慨に満たされた。 「グッゲンハイム美術館」の名を僕が初めて知ったのは、40年まえ。目黒の旧朝香宮邸=東京都庭園美術館でのことだった。 カンディンスキーのコレクションが大量に展示されていたその目黒での「回顧展」。 抽象画のカンディンスキーのすっかりとりこになってしまった僕は、複製の一枚を買いながら、(⇒ベッドの上に貼った)、それらの作品を大量に収蔵しているらしいドイツ語の「グッゲンハイム美術館」とやらに何時かはきっと行ってみたいものだと思った。それが40年まえのことだ。 夢が思いがけずに叶ったのはそれからかなり経ってから。 就職はしたもののかなり無理をして燃え尽きてしまった僕は、すべてを投げ出してアメリカ〜ヨーロッパへ放浪の旅に。 そこでNYCのメトロポリタンの斜め前に丸く鎮座していたグッゲンハイムを発見できた訳だ。 ロイドの設計による「巨大なカタツムリ」のような上昇螺旋 (見学ルートとしては下降螺旋)の建物は、ここかしこに踊り場のような小部屋も隠しており、ようやく再会が叶った懐かしいカンディンスキーが嬉しかった。 僕の訪問時には、あの大きな吹き抜けの中空をグランドピアノが蓋をパッカンパッカンと云わせながら飛び回っており、他の来館者とともに指をさして笑ったものだ。 ここは異次元。 「色占い」で、「一番好きな色は黄色」と答えたら「欲求不満の色だ」と笑われたことが 僕はあったけれど、欲求不満がなければ冒険のスタートも失われるではないか。 この映画の中で絶えず自分存在を探し続け、欲求不満と自信の無さに生きたペギーという人は、そのコンプレックスこそが彼女の向上心の原動力。ペギーのアート・コレクションの野心と蒐集のイグニッションキーだったのだ。 本作品はペギー・グッゲンハイムのインタビューと、彼女を知る人々の証言から成る貴重なドキュメンタリー。 ペギーは、背中を押し 作品の良さを耳打ちしてくれるアーティストたちの人脈にも本当に恵まれていたと言うべき。 思想家や芸術家たちとサロンで知り合い、彼らから美術史や絵画の見方を指南されながら自分なりの審美眼を養い、作家たちのベッドに押しかけては彼らの作品を買い集める。 そうやって自分の「殻」を、そして「鎧」を築いて行ったわけだ。 ・・・・・・・・・・・・・ 「アニー」で少女アニーがウィル・スミスの前で歌ったのは当美術館のホール。 「5時から7時の恋人カンケイ」でアントン・イェルチンがかつての恋人と寂しくもすれ違うのがこの美術館のエントランス。 空撮でその愉快な外観がチラリと映るのは 「オーシャンズ8」。 その他いくつもの映画でこの美術館は舞台となっている。 まずはエレベーターで最上階へ登り、螺旋状の大きな渦巻きをくだりながら作品に親しむ。 床がずっと傾斜しているユニークな建物ゆえ、落ち着かないという批判もあるようだが、設計のロイド・ライトはコンテンポラリーな収蔵品とグッゲンハイム一族の”不安定さ“を、見事この意匠で包括したものだと思う。 成功者であったのか、それとも人生に失敗したひとりの人間の足取りであったのか、どこかもろくて、男どもにそそのかされて金づるにされてもいた彼女のポートレイト。悲しげな表情が胸に残る。 厄介者と呼ばれ、放浪者だったペギー・グッゲンハイムへの僕の思いも、この映画でさらに深まった。 世から理解されない絵に、ペギーは寄り添ったのだと思う。 ・ きりんことわたくし、 今ではおじさんになってしまい、絵を観るときは平坦な床で安心して、そして疲れたら「ソファーはいずこ?」と探してしまう僕だけれど、壊れている僕自身の、旅の人生の、ランドマークにもなってくれた美術館。それがこの渦巻きの躯体、グッゲンハイム美術館だ。 叔父のソロモン・グッゲンハイムの財団に吸収されてしまった格好だが、一族から離れてペギーだけの砦だったベネツィアの彼女の私邸 =「ペギー・グッゲンハイム・コレクション」にも、いつか是非にと思う。
鑑賞動機:近くで上映したから5割、何でデ・ニーロ?5割
企画上映にて。 美術館も含め全く知らなかったのだが、そんな私でも名前を聞いたことがあるような現代アートの大物と関わっていた方とのこと。 一応大まかに時系列順になっているけれど、特に中盤は個人との関係ごとに何度も年代を戻る構成になっている。色々なことがちかい年代で起こっているようなのに、そう見えない作りで、彼女の人物像をもひどく平板に感じてしまった。
現代アートを育てた女性
有名なモダンアートの巨匠やその作品が豊富に出てきて見応えがあった。 子育てには向いていなかったけれど、一方でたくさんのアーティストを育てた女性。 その人生と現代アートのプロデュース過程がよく分かる作品だった。
自分の道を自分で切り開いたかっこいい女性
元々お嬢様だったけど、アートの世界に足を踏み入れてコレクターとしてたくさんの有名な芸術家を発掘した人。 . 私生活もたくさんの男性と関係を持って自分の人生を謳歌。その自由さに当時は大バッシングされたらしいけど、まぁそれはペギーが女だからっていう差別。 . ペギーと関係持ってた男どもの方がよっぽど派手な女性関係あったんじゃないですか。男は、浮気は男の本能っていう言葉で済まされちゃうんだから。 . それにしてもペギーって美人なわけじゃないのに、いろんな人と関係持ってさらにめちゃくちゃイケメンとも結婚して夢があるよな(笑).
良い作品でした
全く事前の知識なく観ましたが、 ほー、ほー といちいち面白かった。 この人の生き方自体が、一つの芸術。 下手なストーリーのある作品よりも、 はるかに面白い。 いや、生き方自体が、 まるで脚本があるかのように 面白さに満ちていると言うべきか。 自分の人格に共通する面もあって そこに共感してしまった、という面もある。 他人ごととは思えない・・・。 しかし、色んな批判的な見方もあるなか、 こうやって何十年後に振り返って観たとき、 “しっかりと、生きていた” そういうことが記録から伝わってくるって 素晴らしい。 孤独だの、変人だの、 そんな見方は、むしろ芸術性、人間性、 ユニークなひとりの人生劇場として昇華して、 吹き飛んじゃうくらい。 素晴らしい人生だったと、 私は評価せざるを得ないです。 自分も素晴らしい人生だったといえる、 そんな生き方がしたい。 今日、今、この瞬間から。
タブーを超えるもの
「自分のやりたいことは、全部、ピカソがやってしまった」 ペギー・グッゲンハイムに見いだされたポロックのセリフです。でも、今やポロックの作品は世界で最も高額なものの一つになっています。モダニズムやシュルレアリスムに道を開き、ポロックのような芸術家を見出し、おそらく、アール・ブリュットにも活力を与える芸術の胎動となったと言っても過言ではない、ペギー・グッゲンハイムの功績は、言葉で表現することが難しいようにも思えます。ペギー・グッゲンハイムは、ひたすら自分の内なる美意識や作品と向き合い、既成のタブーを超えて、新たな波に芸術性を見出そうとしました。僕たちは今、●●コレクションといった、事業家で且つ芸術愛好家の収集した作品に触れることができます。ただ、既成の名声や評判も影響し、多くのコレクションは、ジャンルを超えた幅広いものになっていて、ペギー・グッゲンハイムのコレックションが、如何に濃密で凛としたポリシーのようなものに貫かれているかに驚かされます。批判の絶えなかったポロックの作品は、芸術とは何かといった哲学的な論争を一部では巻き起こし、コマーシャリズムや宗教の宣伝といった目的を内包するものはロー・アートだとする、それまでの芸術を批判する動きにもつながりました。レオナルドダヴィンチではモナ・リザ以外が、ミケランジェロではロンダニーニのピエタ以外がもしかしてローアートになってしまうのかと思うと、少し寂しい気になりますが、論争は論争です。芸術の既成概念が変化・拡大し、僕たちの心を揺り動かすような作品に出合えることは、刺激的で素敵なことです。個人的には、文章では読んだことがあったのですが、地べたに置いたキャンバスをグルグル回りながら色付けしていく、ポロックの制作風景を映画で観ることができて興味深かったです。
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