「TV本編の感動はどこへ…?」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン philosophiaさんの映画レビュー(感想・評価)
TV本編の感動はどこへ…?
「泣けるアニメ」として知られるヴァイオレット・エヴァーガーデンの完結編。
私自身もTV放送とはかなり遅れてですがNetflixにてTV本編から外伝まで全て鑑賞し、その世界観やキャラクターの細かな描写に魅了された人間の1人です。
今作を観る前にシリーズをもう一周見直しもう一度涙し、期待に胸を膨らませつつ視聴しました。しかし…
その結果を、評価点と批判点を分けて書いていきます。
まず評価点として…
作画が丁寧でアニメ作品としてビジュアル面で非常に優秀。背景ももはや芸術作品というべきもの。
音楽もTV版に引き続き、Evan call氏によって感動的な劇伴となってます。
キャラクターの仕草や表情、比喩的な表現など、演出面も細かな所までこだわって作られている。完結編というのもあってか、声優さんの演技も熱が入っていて良かったです。
シナリオに関しては、シリーズの重要な要素である「手紙」と、時代の移り変わりで台頭してきた「電話」をそれぞれの役割を持たせてどちらも価値のあるものとして描いていたのは好印象でした。
批判点、気になった点…
今回、個人的に引っかかる原因になったのは主にシナリオ周りにあります。
評価点の方に書いた部分以外のほとんどが、TV本編から考えると首を傾げるようなものだったのです。
一番気になったのはTV本編からの一部キャラクターの乖離。
ヴァイオレットの上司であるホッジンズは事あるごとにヴァイオレットの動向を気にし、休日どこに行ったかまで気にする過保護キャラになっています。ディートフリート大佐が少佐の遺品を譲る、と言ってその通りにしただけで大佐に食って掛かる始末。過去を思えばわからんでもないが、今回大佐は何もしていないわけで…。TVでの一歩引いてヴァイオレットの成長を支えてた彼はどこへ行ったのでしょうか。
ギルベルト少佐は本作で生きていた事が明らかとなりますが、「俺はもう死んだんだ」「俺がヴァイオレットを不幸にしたんだ」とあれこれと言い訳を並べて頑なにヴァイオレットと会おうとはしません。戦争で心身ともに傷を負ったのは分かりますが、悲劇の主人公のように振る舞う彼は見ていられなかったです。
そして1番の問題点。主人公であるヴァイオレットはTV本編で数々の人々と出会い、その想いに触れる度に感情を学び、人として成長してきたはずでした。しかし、今作のヴァイオレットには首をかしげるような言動がいくつもあります。特に少佐が生きているかもしれないと知らされ、会いに行くかどうか葛藤するシーンで言った「今の私は気持ち悪くないでしょうか」の台詞。
制作側はこの台詞は「少佐に会う事への不安」と「ヴァイオレットが人から見られる事を気にするまでに人間らしさを取り戻した」という意図で入れたのでしょう。だとしてもこれまで依頼人の想いを受け取ってきたヴァイオレットが自分を「気持ち悪い」と形容するものだろうか。それは今まで自分を成長させてくれた出会いまで否定する言葉じゃないだろうか…と正直不快でした。
また、今作でヴァイオレットは少佐の生存の可能性を聞かされると、自分に手紙を依頼した病気の少年を放置して即少佐のいる島へ向かってしまいます。案の定島に出ている時に少年の容態は悪化し帰らぬ人に。アイリス達が奔走してくれたお陰で何とか少年の想いは相手に伝わりますが…本当何やってんだ、ヴァイオレット。
クライマックスはヴァイオレットが書いた手紙を読んで思い直した少佐がヴァイオレットを呼び止め、その声が聴こえるはずもなさそうな距離にいる船上からヴァイオレットが海に飛び込み海辺まで泳いで少佐と抱き合うというギャグのような展開。少佐の「ずっとこうしたかった」という台詞にはもう、あぁ…そう…としか言えません。
個人的にTV本編や他の作品を見ても、吉田玲子さんの脚本は間違いないというほど信頼していたのですが…この作品だけは好きになれません。
ともあれ、二人は結ばれて島で幸せに晩年まで暮らしたそうです。この二人がTV本編の二人と同一人物だと信じたくはありませんが、とりあえずこの世界の二人はハッピーエンドみたいなのでそこは良かったと思いたいです。
公開からも配信開始からもだいぶ間が空き、今更も今更なレビューで投稿するか悩みましたが、大好きな作品がこうもグダグダになるのは辛すぎてどこかで吐き出さないとどうにかなってしまいそうなので投稿させて頂きました。
長文失礼しました。読んで頂いた方、ありがとうございます。