「京都アニメーションはやはり素晴らしい」劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン superMIKIsoさんの映画レビュー(感想・評価)
京都アニメーションはやはり素晴らしい
本作はテレビアニメの完全な続きとして製作されています。(昨年公開された物は番外編としての1エピソード作品でした。)その後のヴァイオレットと会社の仲間達、そして一番気になるギルベルト少佐のその後が描かれています。
鑑賞後の感想はあれだけ凄惨な事件を経験された後に本作を完成させ、公開してくれた京都アニメーションに深い感謝を覚えました。これだけの作品を製作出来るアニメスタジオは、世界を探しても京都アニメーション以外無いと思います。それほど作画の凄さには驚嘆します。
鑑賞し始めて最初気になったのは、本作はシネマスコープサイズで製作されていることです。当然ですがテレビアニメ版はビスタサイズですので、その部分が気になって仕方ありませんでした。でもしばらくしてその疑問が解けてきました。本作はビスタサイズからはみ出した部分を奥行きの表現に使っているのです。それはとても効果的で作画の緻密さと相まって2Dアニメにも関わらず、まるで実写の映像を見ているような気になります。
この桁外れとも思える画面の素晴らしさに反して、ストーリーや構成について少し疑問符が付きます。まず本作は数十年後の世界のテレビアニメ10話の物語に登場したアンという少女が年老えて亡くなった場面から始まります。そして孫娘が祖母に宛てて母親から毎年1通計50通もの手紙が届いたことを知ります。その手紙を書いた人は誰なのか? その相手が主人公であることが分かり、自動式書記人形と呼ばれたヴァイオレットのことを調べる旅に出るという構成になってます。
こういう構成は映画には非常に多く(最近では永遠の0や古くは市民ケーンなどの作品が当て嵌まります)でもこの構成の作品で重要なのは現在と過去を繋ぐ語り部としての役割です。語り部の存在を意識させる為には、何度も現在に戻って来る必要があるのですが、本作はそれは途中に一回程度しかありません。従って語り部の存在は非常に小さく、構成として成り立っていません。つまりこの構成自体が破綻しているのです。
それと本作の最も重要と思われるギルベルト少佐が生きているという設定ですが、彼の生存に関する返信された手紙というのが余り重要な要素として描かれていません。この辺りは何故手紙が返信されているのか、何故その手紙が彼の生存と結びつくのかをもっと丁寧に描く必要があったと思います。
更に本作の中で時間を多く割いて描いている死の淵にいる少年のエピソードですが、あれはテレビアニメの10話の物語と被るだけでなく、本筋の話から外れているので省くべきであったと思います。このシーンで多くの観客の方が涙していたので反対される方も多いと思いますが、私ならバッサリ切ります。本作のレビューで詰め込みすぎという意見が散見されますが、このエピソードを落とせばかなり物語はスッキリしたでしょう。
本作の本筋はヴァイオレットとギルベルト少佐との再会なのですから、その筋に不必要な場面は切り捨てて、本筋に関連した物に絞るべきなのです。だから語り部は必要なく、それ以外のエピソードも必要ないのです。
そして肝心の本筋ですが、二人の再会に向けてのお膳立てが非常に弱く、再会出来た時の感動が薄まっています。私であればギルベルトの生存の確認には社長だけ向かわせ、そこでギルベルトが何故生存を隠していたのか、何故ヴァイオレットに会えないのか、それを説明するシーンを入れるでしょう。
私の考えた後半の物語は社長から弟の生存を知ったギルベルトの兄がヴァイオレットを連れて島を訪れ、再会のお膳立てをします。そうすることによりヴァイオレットを非情な武器としか見ていなかったギルベルトの兄が彼女を人間として初めて認めるという感動的な場面が作れたのではないかと思います。
島でのシーンは船が到着してから出航までに時間の制限を設けます。これは恋愛物では定番で、制限された時間があることで観客はハラハラします。その僅かな時間でヴァイオレットはギルベルトと再会し、彼女を武器として扱ってきた罪悪感で苦しんでいることを知ります。人の感情が分かるようになっているヴァイオレットは、ギルベルトの前から去ることが彼の為になると思い、一人去っていきます。
兄はヴァイオレットがこの数年間どんな想いで過ごしていたかをギルベルトに告げます。母親の月命日にも欠かさず花を手向けていたことを知らされて、ギルベルトは初めて彼女を一人の女性として愛していたことに気付き、彼女の後を追います。
船は出航してしまい桟橋を離れていきます。ギルベルトはヴァイオレットの名を呼び、それに呼応した彼女は躊躇なく海へ飛び込みます。(この辺りも旅情や昼下がりの情事のような恋愛物の定番シーンのパクリです)しかし浮力の無い義手がヴァイオレットを水底へ沈めていきます。彼女を救ったのはギルベルトでした。必死に陸へ上がった二人は抱き合い、互いに「愛している」の言葉を交わし接吻するところで場面は終わります。そしてエンドタイトルが流れます。
エンドタイトルの後は数年後会社の人達やギルベルトの兄が皆で島を訪ねます。島では平穏な生活の中で、ギルベルトは教師をしており、大人になったヴァイオレットは赤ん坊を抱き、母親になっています。赤ちゃんの手には子供の頃のギルベルトが使っていた玩具が握られています。
そしてテレビアニメも含め作品中で一度も笑わなかったヴァイオレットが、赤ちゃんに笑顔で優しく微笑んでいるところで映画は終わります。
私は物書きなので映画などでストーリーが腑に落ちないと、それならどうすれば良かったのか考えて、気に入った物語に改変するまで熟考してしまいます。まあこれは私の悪癖なのでどうしようもありません。
私の感想は本作を全然誉めたことになっていないじゃないか、と言われそうですが、本作は公開されたことに意義があり、余り細かなことに拘る物ではないと思います。今後の京都アニメーションにとって再出発の第一弾としては実に素晴らしい作品です。
私は本作を鑑賞して京都アニメーションは日本の至宝といえる存在という思いを益々強くしました。