「イイ感じの“下り道”」ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
イイ感じの“下り道”
“下り道”をイイ感じに降りていく2人のオジサンの映画としてむっちゃ良かった。
自分が“落ち目”であることを思い知らされて、「人前で泣いてやるぞバカヤロー」とベソかいてるディカプリオが最高に可笑しくて切なくて、グッと来た。演技をトチる自分にイラつきながらも、自分にやれることをやり切って、それを褒められてウルッとしちゃってるところとか、良かったなぁ。「自分のやりたいことと、自分のやれることの釣り合いと折り合いがついていく様子」っていうのかな、そういうのを映画で見せてもらえると、僕なんかは切なくもホッとするような気がしてグッと来るんだ。
ブラッド・ピットは「正しくモテ終わった男の、余裕の色気」がすごくカッコ良かった。「セックス用の色気じゃない色気」っていうか。実際ブラッド・ピットは劇中でセックスしてないしね。超有能ワンちゃん(ジョン・ウィックの相棒になったらいいのに)とトレーラハウスで暮らしてるんだけど、それが寂しそうでもわびしそうでもない。『運び屋』のクリント・イーストウッドが“老いてなお盛ん”っていうのもカッコ良いけど、本作のブラッド・ピットのノホホンとした“下り道”感には憧れる。
マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートは美しく可愛らしく、スクリーンや観客の真ん中、ハリウッドへの“上り道”。
劇中、シャロン・テートと僕ら観客の目線は交わらない。
本作はハリウッドへの夢や希望を抱いたシャロン・テートという特定の人物に感情移入させるというよりは、「華やかなりしハリウッドの象徴」として、みたいなバランスでの描かれ方だったような気がするんだけど、それがなんだかとてもちょうど良かった。
劇場で自分の出演作を観ながら、観客のリアクションに喜ぶ場面がとても素敵だったけれど、それはシャロン・テートの可愛さというよりは、「当時ハリウッドはそういう役者たちが、そういう喜びを味わう場所だったのだ」みたいな印象だった。
“クエンティン・タランティーノ監督の作家性や映画愛”とか、“史実事件へのタランティーノ的アンサー”とか、数多の映画評で触れられてるだろうと思うので、そのへんについてはもう、それらに無条件同意でいいや(いいかげん笑)。「みんな大好きだよね」ってことでまとまっちゃう話(たぶん)。
強いて言うなら「ずっと観ていたい」「ずっと観ていられる」という声がけっこう多かったのが印象的だった。これはホントに、そう。同感。
「あぁ、オレは今“映画”を観てる、そして“映画を観る”って楽しい」って終始感じさせてくれるタイプの作品だったと思う。
それはハリウッドを舞台にした「映画についての映画だから」っていうことじゃなくて、「すっごい映画らしい映画だから、観てる間ずっと「映画観てる!」って実感がある映画」っていう感じかな。だから物語の起承転結にはあんまり関係なく、どこのどの場面観てても楽しいから上映時間160分を長く感じないし、ずっと観ていられる気がしちゃう。僕にとっては最近『COLD WAR あの歌、ふたつの心』がそういう映画だったなぁ。
タランティーノはかねてから「10作品で監督キャリアを終える」と公言していて、本作はその9作目。「あまりに気に入った出来だったから、もうこれで止めにしてもいいかな」と言ってるなんて噂もあるらしい。
タランティーノファンにとっては「んなこと言わずにもっと撮ってよ」って気持ちになるだろうけど、僕はそれはそれでアリだよなって思う。それくらい『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は良い映画だと思ったし、タランティーノ自身にとっては、またビデオショップのカウンターに座って、一日中好きな映画観まくる毎日の方が幸せかもしれない。
タランティーノもイイ感じに“下り道”を進んでるんじゃないかな。