「手玉に取られる160分」ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド はてんこさんの映画レビュー(感想・評価)
手玉に取られる160分
クラシックカーの運転席と助手席に居並ぶディカプリオとブラッド。彼らのシルエットを後部座席から捉え、レオ側にブラッドのクレジットを。ブラッド側にレオのクレジットを出す。冒頭のそんな些細なシーンでさえ観客の思い通りにさせないーークエンティン ・タランティーノという監督だ。
シャロンテート殺人事件を語ろうとすればそれはおそらく悲劇となるだろう。しかし、この作品を見た人は果たしてそれに同意するだろうか。クエンティン曰く"悲劇的な物語にはしたくなかった"。
もちろん、観客はこの映画に横たわる重いトーンを常に感じながら視聴することになる。クリフがスパーン牧場を訪れるシーンなどは物語終盤での彼の悲劇を予感させるし、序盤の火炎放射器のくだりからもリックの凄惨な最後を想像するに難くない。
しかし、これらはシャロンテート殺人事件を知る観客が"勝手に"映画へ悲劇と凄惨さを持ち込んでいるだけで、クエンティンはその緊張感を巧みに利用し、終始裏切り続ける。
ネタバレなしのレビューでこの内容に触れた事。その賛否も、映画を見る前と後では違ってくるのではないだろうか。
どういう意味か?それは是非映画を見てもらいたい。
本物の街の一角を貸し切ったというハリウッドをクラシックカーがラジオをかき鳴らして流れていく。そのシーンからはまるで、超の付く映画ファンで、音楽好きで、車好き。そんなクエンティンが世界中の映画ファンへ贈り物をした。という印象さえ受ける。
子役のジュリア・バターズ含めた殆どのキャストの素晴らしい演技も手伝って、映画作りにおけるバランス感覚に優れた監督だと改めて感じた。
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