愛がなんだのレビュー・感想・評価
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(この映画は)好きじゃない。けど嫌いと切り捨ててれない。
予想はしてたけど、すべての登場人物に共感できず。好きじゃないタイプの人種ばかり。
ストーリーも受け入れがたい。
けど心はミリ単位でザワザワしました。
こんな人たち好きじゃないと思いながら……いや思い込もうとして見てる自分も、彼らと同じく視野が狭くなってるのかなとか。
恋愛は……いや人生は理論的なモノではないなぁ、と。
彼らの取る行動は理解/納得できない。
けどそういう衝動や囚われが起こるのはすごくわかる。
自分はとにかく田中守みたいな人間が苦手なんだろうなぁ。
思わずいい女(ウルフルズ)のAメロを歌いたくなる;
キャラ設定、ストーリーは好きじゃない。
反対に演出、カット、見せ方、間、音楽、衣装、暗さ、淡さ、サブカル感……はツボでした。
そこは良い。
好きじゃない。けど嫌いと切り捨ててれない……って感覚は最近他の映画であったなぁと思い返してたら『横道世之介』だ。
あれも好きじゃないけど嫌いになれない映画だった。
一見共感できないように見える人物が愛おしくなる、切なくてショッパイ群像劇
主人公はアラサーの会社員山田テルコ。大して親しくもない友人の結婚式二次会で声をかけられた守に何となく惹かれる。最初は手が綺麗な人程度の印象だったはずの守がテルコにとって何者にも代え難い存在となっていくが、守にとってテルコは友人以上恋人未満。ある夜をきっかけにテルコは守に急接近出来たと確信するがその日を境に守からの連絡は途絶え、テルコの生活が荒み始める。
ほぼ20年くらい前に観たブレット・イーストン・エリスの原作を映画化した『ルールズ・オブ・アトラクション』を思い出しました。登場人物の誰もが誰かに惹かれているがその想いがどれも一方通行で誰一人満たされない切なさがよく似ていますが、本作はさらにその先を見つめているかのような世界観。テルコと守、テルコの親友葉子と彼女にいいように振り回されている仲原、守が夢中になっている予備校の事務員すみれ、皆それぞれ自分勝手に振舞って自分のことは棚に上げてガンガンぶつかり合うが、それはそれぞれ他人との丁度いい距離が異なるからで、自分にとって居心地のいい場所に居座ることが相手にとって不快だったり、良かれと思ってやったことが鬱陶しかったり。そんなあるあるがぎっしり詰まっているのでその中でもがいている彼らの誰も嫌いになれず、皆愛おしく思えます。人には色んな面があるという当たり前のことをつぶさに見せて、一見共感出来ないように見える人物の心情もぐっと胸に染みる辺りは『スリー・ビルボード』にも似ています。
個人的には陽子に寄り添う仲原君がどこまでも透き通った瞳で言い放つ「幸せになりたいっすね!」と言う一言に胸を引き裂かれるような思いを感じて泣きました。かつての自分も彼と同じような思いで人と向き合っていた、忘却の彼方にあった記憶まで無造作に引きずり出されて大変迷惑でした。要するに傑作です。
貴方の中の「マモル」と決別するために観てほしい。
テルコもマモルも極端な性格だが、かなりリアルなキャラクターたちだ。
テルコほど日常生活に支障を来さずとも、何をしていてもその人のことが頭から離れないような恋。
マモルほど冷徹ではなくても、追いかけてくる相手を都合よく利用してしまう歪んだ心。
私の中にも、ほんの少しずつだがテルコとマモルが存在すると気が付かされる。
きっと他の人も少なからずそうなのだろう。
私の場合この2人には、ハタチ前後の頃の過去の恋愛を彷彿とさせられる。
テルコに対して多少のイライラがあるのは、青い頃の自分を見ているような情けなさもあるからか。
マモルのような男に盲目の恋をしている哀れな女性たちに心から言いたいこと。
「それは愛じゃない」
その男は貴方に愛など与えてくれない。
貴方が心から助けを必要とした時に、その男は貴方を「無条件」に救ってくれなどしない。
これは絶対と言ってもいい。
愛とは、相手のために無条件に自分が犠牲になれること。
しかしそれは決して一方通行なものではない。
両者がともに等しく相手を思いやることが出来なければ。
お互い様でなければ、そこに男女の愛など存在しないのだ。
過去の甘く苦い恋があってこそ、愛とはなんなのか気が付くことができるのだろう。
しかしテルコのような恋に苦しむ女性が今いるのだとしたら。
この映画を観て終わりのない恋に向かって自分を奮い立たせるのではなく、貴方の中のマモルと綺麗さっぱり決別するために観てほしいと心から感じる。
その男は貴方の足枷でしかない。
貴方に愛とはなんなのか教えてはくれない。
そしてなにより、貴方の深い愛を受けるに値する素敵な男性が、きっとこの世界のどこかにいるはずだから。
そのために。
ちょっとだけ今より幸せになるために、一度自分を客観視することのできる、丁度良い映画だと思う。
皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい。
例えば「恋」とか「愛」とか「幸せ」とかに、“統一的なルール”とか“普遍的な勝ち負け”の基準があるとしたら、主人公のテルコはえらく“負け”や“損”を強いられているように見える人である。
それでも全然懲りなくて負けや損を重ねるテルコに、最初は「イタい女のトホホな恋愛」に笑いながらも、次第にイライラしてきて、
「お前、ちょっとそこに正座して聞け。いいか、愛っていうのはだな・・・」
と説教のひとつもしたくなる観客の人もいるかもしれない。
でもね、
そういう“正しさらしきもの”を掲げる人に対して、「好きとか愛とか、なんだってんだ。うるせぇ、バーカ」って言っちゃってもいいんだよ、という映画。
だと僕には思えて面白かった。
「シンドイ恋愛あるある」的なエピソードをひとつひとつ、これはアリ・それはナシってワイワイ仕分けするのも楽しいかもしれない。あなたの隣の人が、この映画を観てどう感じたか、それをもって何かの発見があったりするかもしれない。
テルコ、マモル、スミレ、葉子、仲原。恋愛においての姿勢や志向はばらばらにバラエティに富んでいて、見ていて楽しいけれど、「皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい」ということに気がついて受け入れていくという意味では、気持ちがいいくらいベクトルが揃ってる。
一歩先を行ってるのは江口のりこ演じるスミレ。安藤サクラに似てることを絡めて何かボケようかと思ったけどやめておく(笑)。
自分の求める愛し方、愛され方に自覚がある感じの人。こういう人の周りには「自由な風」が吹いていて、一緒にいると楽しくて気持ちが良さそうなイメージがある。でも例えば別荘BBQに集合かけてみれば「案外人望がない」ところがちゃんと描かれているのはフェアでエライと思う。
スミレの自由さは、おそらく天然モノの自由さではない。「尽くしてくる男は、イザ付き合ってから“自分系”になる」っていうような、勝ち負け損得の認識をちゃんと持ってる。その上でそういうものを意識的に遠ざけることで獲得した自由さが彼女の選択であり魅力なんだけど、それゆえの寂しさとか虚しさみたいなものもちゃんと引き受けてる人だと思う。
成田凌演じるマモルをクズ野郎と思う人は多いのかな。スミレに雑に扱われる後半のワンコっぷりを見て、ザマァ!って思う人も多いのかな。
仲原の説を借りれば、「王様を残酷にしたのは、それに仕える家来なのだ」ということで、マモルをクズにしてるのはテルコであったり、反面スミレや葉子が女王様になってしまうのは、マモルや仲原の逆説的なエゴであるとも言えるのかもしれない。
でもマモルは王様のように愛されたかったわけでもないし、ワンコのように愛したかったわけでもない。恋愛の勝ち負け損得は別として、自分の求める愛し方愛され方という意味では結局いちばん人に振り回されていた登場人物だ。33歳になるまではガンバレ。自信のなさを克服できたら好転していくよ。
仲原と葉子の関係性は、テルコとマモルの関係性とのいい対比になってる。仲原はテルコに対して「似た犬同士」な意識を持っているけど、テルコは仲原に対して「真逆」だとすら思ってる。
仲原はとってもイイ奴だし、テルコに話した「王様と家来」の考え方もよくわかる。「幸せに、なりたいっすねぇ〜」っていうつぶやきは、叫びだってこともよくわかる。
本当に葉子のこと好きだったよね、心から葉子のためを考えたよね、むっちゃ頑張って諦めることを決めたよね。わかるぜ、今度飲みに行こう。何も悪くないし何も間違ってないよ、テルコに「うるせぇバーカ」なんて言われる筋合いもないよな。
でもさ、正しい答えが正解になるとは限らないのが恋愛っていうクイズだから。落ち込むことないよ、そのうち幸せになれるって。
じゃあ僕が女だったら仲原と付き合うか?っていったら付き合わないけどな(笑)。そういうもんさ。
観る前は、自意識的な何かを突きつけられて苦い気分や苦しい気持ちになるのかな?なんて思っていたけど、観てみたらむしろ痛快というか気持ちの良い映画だった。
今泉力哉という監督の作品は初めてで「こういう作家性の人なんだな」とか思うところがなかった分、物語に没頭できたような気がする。
「えー、カレシいないの?もったいなーい」とか「いいかげんそろそろ結婚したら?」とか「なんでウシダさん家庭があるのにいつまでもモテたがってるんですか?」とか「やっぱウシダさんってめんどくさいですね!」とか言われがちな人にオススメの映画(笑)。
☆☆☆★★★ サイコロを振り、出た目の表と裏を足すと必ず《7》にな...
☆☆☆★★★
サイコロを振り、出た目の表と裏を足すと必ず《7》になる。
原作読了済み。ちょっとだけの感想。
登場する男女の人物像は、それぞれ表裏一体として描かれて行く。
そんな原作は女性目線から描くダメンズ男女の生態。
ほとんど原作通りに進んで行くのだが。(過去の自分との対話等、映画オリジナルな場面も少し在る)映画自体は、監督が男性…と言うのも有ってか?時々男性目線から(当社比)見た、今どき男女の恋愛模様を活写している様にも見えた。
好きな人には好きな異性が存在し…とゆうのは、この監督の前作『パンとバスと2度目のハッコイ』でも描かれていて、その辺りでも興味深い作品と言える。
この監督の作品全てを観た訳では無いので。まだこの時点ではっきりとは断定出来ませんが…。
2019年5月12日 TOHOシネマズ府中/スクリーン4
平日の昼間にもかかわらずカナリの観客 しかも若い女性が多かった 大...
うどん
お見事!3D恋愛感情
あー、不器用、不器用、不器用!!!!!!!
人は恋愛となるとどうしてこうも不器用になってしまうのだろうか?生活の全てが好きな人に振り回され、その人のためになら無理もするし、見栄も張る。たとえ相手が自分のことを好いていなくても、そんな恋をしている自分が好きな時さえある。
そんな経験をしたことがある人にとっては、本作の一言一句、一挙手一投足がボディブローのようにジワリと効いてくる。あー、自分はなんて痛いことをしてるのだろうと…(苦笑)。本作がかなりのロングランヒットとなっているところを見ると、そういう人が実は多いのでは?と勘ぐってしまう。
しかし、共感度が高いだけで本作のヒットが成り立っているわけではないだろう。まっすぐ行くのかと思えば、蛇行し、立ち止まり、時にUターンをするような物語構成は先を読ませない面白さもあるし、大袈裟にならない会話の数々はリアリティがあるものの、実にウィットに富んでいる。
だが、私が本作を高く評価する最大の理由は、恋愛という形ないものを描きつつ、その実態が何なのかを観客に投げかけているところだ。誰かのために自分を犠牲にすることも、報われなくとも努力することも、或いはその逆も含めて、愛とは何だ?何なんだ?と問うてくる。果てには好きという感情は誰のためなのかまでも問うてくる。
誰もが持つであろう“好き”という感情を多角的に描き、物語の奥に潜む感情の立体的構造は繰り返し観たくなる面白さがある。これは、お見事!自分の価値観も含めて久々に見終わった感想を多くの人と語りたくなってしまう、令和初の結構お気に入りな一作である。
あいがなんだ
夢中になる事、それ自体の清々しさ
愛がなんだ。好きですらない?
この執着は一体なんだろう?
何かに一心身を捧げている人物を観るのは清々しい。
テルコは劇中マモちゃんになりたい。という常人を超越した発言をかましてくる。
愛おしさのあまり自分の存在そのものを消滅させ、身を捧げる対象と一体化したいという願望は人が手の届かぬ程の夢を追い、憧れる対象を愛おしむ姿勢に似ている気がする。
ナカハラが催した写真展の、タイトルでも夢、というキーワードが示唆されている。
テルコとナカハラは似た者同士、夢を見ているキャラクターだけども、テルコはより一層純度が高く、決して折れずに弱音を吐かない。そして、メンヘラ的な自傷行為にも走らない。
あれだけの仕打ちを受けているテルコを観ていて、嫌なら別れればいい。と感情的に切り捨てられないのはテルコがどこまでも清々しく夢中になるパワーに突き動かされているからだと思う。
マモルの影響で職場を辞めた後の公園で、同僚からあなた自身はどうなの?それでいいの?と一瞬問いかけられる。
会話のすれ違いでテルコの答えは聞けないが、彼女の返事をどう想像するかで、夢を追い続けることへの考えを問われるのだと思う。
一切の損得を超え、理想を追求し執着し続けることは、なんともだらしなく理解に苦しむ。しかしその一方でなんとも清々しく充足に満ちている。
イライラ
恋とはこういうもの。すごくリアルなお話。
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