「尽=爛」愛がなんだ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
尽=爛
普段決して来ないような若い輩の鑑賞の多さに驚き、改めて俳優成田凌の人気の凄まじさを垣間見た映画館の雰囲気であった。折しも、新潟での地震がこちらにも響いていて、隣は4DXでもないのにかなりの揺れを感じたが動揺したのは自分だけ・・・相当作品に集中していた他の観客との距離感の色々な意味での違いに、感慨深いモノを感じたり感じなかったり・・・
原作未読だが、角田光代作品は別小説を読んだことがある。確かに『紙の月』もそうだが、フィクションとノンフィクションの曖昧さ、溶け合い方の表現が非常に上手な作家である。小説の再現度は不明だが、映像となってもそのブレンド力の高さはよく表現されているように感じた。果たしてこういう女性は実在しているのだろうか、そして男の方のクズさ、無神経、NOデリカシーはあるあるネタでも擦られすぎていることであろう。小説では大して器量が良くない男役を成田凌に変更した意図は分らないが、イケメンの自然すぎる立ち振る舞いに監督の演出が合わず、撮影中は闘い続けていたらしいという逸話は、町山発信の情報である。多分、岸井ゆきのの目を通じて不甲斐ない彼がイケメンに見えていた幻覚という演出も頷ける。
このストーリー構成のフェーズが大変良く出来ていて、始めの内は主役であるヒロインの健気さやそれでも好きな気持を棄てきれないいじらしさに共感を覚えるのだが、進むにつれて、確かにマモルの言い分も理解出来るようなそういう感覚にシフトしてしまう印象操作にやられてしまう。しかし、益々展開されると、一体だれが本当で何が嘘なのかぼやけてきてしまう。それは年上の女が登場してきたところでの不穏さがそれを物語っている。それは自覚無き戦慄感覚えるゲームなのか、いつの間にか参加させられて巻き込まれる周りの関係者達、もうホラーそのものである。モノに対しての執着はあるが、それが人間、しかもそれ程うだつの上がらない薄っぺらな男に対してというのは、その異常さもさることながら、色々な計算や先回りも駆使しての対応に相当の恐怖を覚えずにはいられない。どんどん明らかになるマウント合戦、初めの痛々しさも何処へやら、立場が逆転してゆき弱みにつけ込み、自分自身の犠牲も厭わないサバイバルゲームの様相を呈してくるラストにおいて、いち早く抜けたカメラマン助手の個展に飾られたあの写真は正にそのゲーム参加者の勇姿なのかも知れない。湯葉が気に入らないと言っていたのに平気で湯葉を食べる件等、所々出てくるギャグのセンスも散りばめられていてヒリヒリ感を中和している演出も絶妙である。正に“恋愛”とは社会の縮図そのものであることを如実に語っている作品として、その世界観構築に敬服する。ラストカットのあの象はマモルでもあり、執着で肥大したテルコそのものでもあり、その究極の希望である“同化”を喩えたものと観るが、どうなのだろうか。彼女たちのあの子供ような姿態があれだけの動物に繋がる、大変深い内容に興味深く惹き付けられた。