「ライヴ・エイドの感動」ボヘミアン・ラプソディ keithKHさんの映画レビュー(感想・評価)
ライヴ・エイドの感動
単に曲がヒットし成功することだけを夢見る野心と熱気に満ちた無邪気な若者たちが、一縷のチャンスを掴み王道を歩み始めた時、メンバーの一人・フレディ・マーキュリーの強烈な個性が、伝説のバンド“クイーン”を生み天界へと羽搏かせました。
ただフレディの我儘で自分勝手で気紛れで傲慢で独善的で傍若無人の言動に、周囲が翻弄され振り回されます。
しかしその着眼の天才性、その敏捷な行動力、その鬼気迫る感情表現には、クイーンのメンバーや関係者も脱帽し敬服せざるを得ません。唯我独尊に只管に孤高の道を突き進むフレディのその姿は、凛々しく神々しくもありつつ、どこか哀感と寂寥感、そして悲壮感が漂ってきます。
彼の言動に耐えられず、気の置けない者が一人ずつ去っていき周りに誰もいなくなっていく孤独、疎外感に苛まれながら、それでも己の信念を貫く壮烈で凄惨な生き様。その性向は徐々に心身を蝕んでいきます。華やかな栄光に包まれながら、半面での鬱々たる苦悩の日々。其処に生じた心の大きな空白に愕然とした時、激しい葛藤と相克を経て彼が最後に求め頼ったものこそ、極めて人間臭い、人との「絆」=Familyでした。
既に残された時間が僅かになったことを自覚しながらも、漸く心の安らぎを得た彼が、鬱積したエネルギーを最後に爆発させた場こそ、1985年7月13日に催された20世紀最大のチャリティーコンサート「ライヴ・エイド」。本作のクライマックスである、そのシーンこそ不世出の英傑・フレディ・マーキュリーの一世一代の晴れ舞台でした。
ライヴ・エイドのロングカットでは、観ていても焦熱と風圧がスクリーンから押し寄せ、しかも徐々に高まり強まっていくのを実感し、「We are the champion」では鳥肌が立ち思わず戦慄き身を乗り出し心が波打ち震えました。顫動しました。
それまでのフレディの長い長い紆余曲折の道程があったればこそ、この滔々と湧きあがる感動を齎したのだと思います。
その性格、その性志向、その嗜好、率直に言って得心できる処の皆無な人物ゆえに感情移入など全く出来ず、共感できたとは到底言えませんが、一人の偉大な狂気の天才の生き様には、素朴な感動と凄烈な人物像の記憶を強烈に刷り込ませました。
また彼の暗鬱な生の終末を一切捨象し、栄光の絶頂であったライヴ・エイドで終わらせる鮮やかな編集手法ゆえに、どちらかというと陰鬱で悲惨なストーリーにも関わらず、観終えた後に清澄で爽快な印象が残ります。