「大画面と良質な音響で」ボヘミアン・ラプソディ yukarinさんの映画レビュー(感想・評価)
大画面と良質な音響で
フレディ・マーキュリーという人について私が知ることは、ちっとも多くない。
亡くなったニュースが世界中を駆け巡り、多くの人が悼み、嘆き悲しむその人が、Queenのあの独特な個性を溢れさせていた稀有なボーカリストだと気づけるくらいには知っていた。
そして、数年前、彼の生涯を追ったドキュメンタリーをたまたま見て、彼の生涯についていくつかの事を知った。
だから、決してファンと呼べるほどではないし、語れるほど多くも知らない。
でも、ふと思う。
果たして、Queenの曲をどこかで一度も耳にしたことすらない人がどれくらいいるだろうか。
果たして、ジャンル問わず影響を受けてないアーティストがどれくらいいるだろうか。
オープニングのライトに照らし出される20世紀FOXのロゴも、音楽がQueen仕様で、観客はすでにQueenの世界に引き込まれながら映画の幕が上がる。
映画である以上、100%のノンフィクションは有り得ないと分かっているから、描かれていたQueenとフレディがどれだけリアルだったか、どこが創られた部分か、そんなことを思いながら観ていた。
そして、映画の尺の中に納める以上、全ては描ききれなくて当然だとは分かっていても、Queenが世に出ることも、長く活動している間に起きただろう数々の出来事もずいぶんあっさり描かれているようにも見えた。
それでも。
胸に、響いた。
胸が、詰まった。
Queenだけが持つ、彼らのそれぞれの才能がぶつかり合って生み出される作品たち。
ほんの少しとはいえ、映画で描かれるその過程。
どうしてQueenが世界中の人たちを魅了し、唯一無二の存在として、今なお君臨するのか、その理由が垣間見える。
そして、最後の恋人と言われるジム・ハットンのことは知っていたけれど、メアリーに関してはあまり知らなくて。
フレディとメアリーの、いつしか恋愛を越えた愛情と絆、それが時にあまりにもすばらしく、時にあまりにも切なく、見ていて胸が苦しくなった。
紆余曲折はあったけれど、フレディには、メアリーや仲間たちやジム、例えば映画では、ソロとして進もうとしたことで、道を誤りかけた彼を引き戻してくれ、受け入れてくれた人たちがいる。フレディは決して独りではない、はずだ。それなのに、劇中のフレディを見ていると、なぜあんなにも孤独を強く感じるのだろう。
なぜ、それが辛くて、胸にこたえて、泣けてくるのだろう。
そして。
ラスト21分、コピーにも書かれている、魂に響くラスト21分。
本当に魂に響きすぎて、ずっと泣きそうだった。
大画面と良質な音響のおかげもあり、臨場感とともに、そのライブにいるように感じ、アーティストと会場がともに作り出すあの独特の空間と雰囲気と色が身近に感じられるようだった。特にQueenのライブは、コール&レスポンスや観客たちの自然な参加で、一体感の強いライブだから余計かもしれない。
そして、心を揺さぶる何かを目に、耳に、感じ取った時特有の、あの胸が詰まって堪らなくなる感じに襲われ続けた。
そこに、フレディが、目に焼き付けようとでもするかのように、会場とメンバーを何ともいえない表情で見渡すもんだから、完全にやられた。
にもかかわらず、その直後にエンドロールが始まり、ふと気づけば、フレディはこの世を去ってしまった後の現実だ。なんてこった。
映画が終わり、一瞬で画面は暗くなり、劇場は明るくなり、一気に静寂に包まれる。
さっきまでの孤独と感動を引きずった心にその静寂が痛かった。
フレディ・マーキュリーは、こんな形ですら人々を魅了するんだな。
そして、ラミ・マレック、やはり凄い俳優さんだ。