「心が洗われる佳作」ソローキンの見た桜 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
心が洗われる佳作
露日戦争時の日本を舞台にしたヒューマンドラマである。20世紀を迎えて間もない頃が舞台だが、世界の政治家たちのやっていることは、19世紀から続いている覇権争いだ。武器も兵器も船舶も日進月歩だから、戦争による被害は等比級数的に増大し続けている。
明治維新の政治家たちが今の政治家よりも優れていたみたいな誤解があるが、そんなに変わりはしない。むしろ維新の人間たちは粗野で暴力的で、自分の意見を通すために簡単に人を殺していたイメージがある。そこにはヒューマニズムは存在せず、意見の異なるナショナリスト同士が争っていただけだ。暴走族同士の争いと大差ない低レベルの出来事が明治維新なのだ。
そんな政治家のレベルとは裏腹に、西洋文化と交流した民間の人々の知識レベルは格段に向上した。しかしいつの時代も、民間の知識や技術の向上は常に政治家によって悪用される。但し軍需産業だけは、悪用されることを前提にしている訳だから、そもそも悪用という言葉は当たらない。ちなみに軍需産業というとアメリカの専売特許みたいに思っている人がいるかもしれないが、日本にも軍需産業の企業はたくさん存在する。三菱重工や東芝は有名だが、トヨタや日産も利益の一部は軍需によって得ている。全部で数百企業に及び、日本の防衛費という名目で間接的に国民の税金を搾取している。
維新後の政治家たちが何をしたかというと、尊皇攘夷、富国強兵である。その成果を確かめるように日清戦争を起こし、日露戦争を仕掛けた。本作品はそんな維新の残党のクズ連中が牛耳る日本では、人々が精神的にも国家主義に蹂躙されていたことを伝えている。ロシア人捕虜に向かって殺してやると叫ぶ子供は、心の底からロシア人を憎んでいるわけではない。時代のパラダイムがロシア人憎しという感情を強制しているだけである。
そんな中でパラダイムに縛られずに自由な精神を持つことがどれほど大変だったかは想像に難くない。阿部純子演じる主人公武田ゆいは、稀に見る自由闊達な精神の持ち主で、国家主義のパラダイムの中にあってヒューマニズムを貫いた立派な女性である。ソローキンでなくても好きにならずにいられない。
ソローキンもまた、絶対王政から政治を民衆の手に取り戻す社会主義革命の活動家であり、ゆいのヒューマニズムに共鳴したのは自然の成り行きである。脚本はとても優れていて、無理なく納得できる。
阿部純子は役所広司主演の映画「孤狼の血」で松坂桃李のカウンターパートを上手に演じていたのが印象的だったが、本作品では一段階進んでいる。封建主義と国家主義の環境下で、ヒューマニズムと恋愛感情に揺れる乙女心をわかりやすく、そして美しく演じて見せた。名演と言っていい。
脇役陣はいずれも上手に作品を盛り上げていて、特にイッセー尾形の役どころの所長がいい味を出していた。もしかしたら日本の役人も捨てたものではないかもしれないと思わせる、人間味に溢れる演技は流石である。
ラスト近くからのチェロの儚い音色が桜の美しい映像と相俟って、悲恋の物語の最後に余韻を残す。ヒロインの思いが怒濤のように押し寄せてくるようで、涙を禁じ得なかった。心が洗われるような佳作である。