「ますます募る危機感」沖縄スパイ戦史 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
ますます募る危機感
三上智恵監督の作品は、3年前の2015年に「戦場ぬ止み」(いくさばぬとぅどぅみ)を観て以来である。前年の2014年に特定秘密保護法が施行されて、反体制の言論人は危機感を強めていたときである。よくこんな映画が公開できたものだと感心したことを憶えている。特定秘密保護法は、国連や海外メディアをはじめ、世界中から日本の言論と報道の自由についての懸念が表明された。
ちょうどその頃、山尾志桜里が国会で精神的自由が経済的自由に優先する理由をアベシンゾウに説明を求めたが、総理大臣は憲法の基本概念であるこんな質問にも答えられなかった。「急に聞かれてもわかりませんよ」とニヤついていた顔を、腹立たしく思い出す。
2017年には組織犯罪処罰法が成立、施行されて、権力による言論弾圧がますますやりやすくなった。山城博治さんが逮捕されたのはその少し前である。
さて今回の映画は、護郷隊の物語を中心に、かつての日本軍が何をしたのか、そして現代の日本軍が何をしようとしているのかを具体的な証言によって炙り出した作品である。タイトルの中の「スパイ」は多義的に使われていて、陸軍中野学校で訓練された文字通りのスパイ軍人と、軍によって密告や相互の処刑が強要された、民衆の中のスパイがある。また、そうした状況下での「スパイ」という言葉が民衆に与える不安と恐怖は名状しがたい。民衆は善悪の判断よりも自分が生き残ることで精一杯であった。
理解しがたいことだが、世の中には国家と自分をダブらせて、国家のアイデンディティと同化してしまう人がいる。国とはこういうものでなければならず、国民は国のために尽くさねばならぬ、そして国の発展に寄与し、諸外国と対等以上の優位な関係を築き、国家としての確固たる威信を構築する、それが即ち国体というものであるみたいな、イカれているとしか思えない思想の持ち主がいる。
そういう人たちにとって国民主権と平和主義、基本的人権を謳う日本国憲法は邪魔で仕方がない。日本は軍備を増強して世界に伍していくのだと、戦後73年たっても本気で信じている人たちなのだ。
思えば大正デモクラシーからしばらくは、日本は平和であった。軍隊はあるにはあるが、今の自衛隊みたいなもので、庶民には縁遠いものであった。選挙もあったがご近所の先生に投票しておけばよかった。その後近所の先生がいつの間にか帝国主義者の仲間入りをしているとも気づかないうちに。
平成最後の夏も、かつての戦争前夜のように平和である。日本がこれから戦争をする国になると思っている人は少ないだろう。ただ、危惧している人はたくさんいる。そういう人は、ご近所の先生に投票することがどんな結果を招くかを説く。しかし民衆は誰も聞く耳を持たない。
ドストエフスキーは「悪霊」の中で「人々はパンのために喜んで自由を投げ出す。人生は不安であり、恐怖である。いま人が生を愛するのは不安と恐怖を愛するからである」と喝破した。その真実はキリストの昔から今まで、ちっとも変わっていない。日本はもちろん、人類は今後も破滅に向かって一直線に突き進み、絶滅の道をたどるだろう。
霊長目ヒト科ヒト属ヒトに代わる種が、次の地球を生きるのだろう。それは決して悪いことではないが、人類にとっては悲観すべき未来である。